1 俺が目を覚ました時、始業時間の3分前だった

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは会社への遅刻の電話だ。

 始業時間は9時。

 俺の目覚まし時計は8時57分を指している。

 終わった。もう急ぐとかそういう次元じゃない。朝のトイレに行ったら終わる。

 ここまでギリギリだとパニックも起きない。

 俺の頭は冷静に遅刻の言い訳を考え始めていた。


 急な体調不良ということにするか。

 腹痛か、頭痛か。

 病名を考えていたところ、だが待てよ、と脳内でストップがかかる。

 つい先週、ほんとに腹を壊して休んでいたことを思い出したのだ。

 秘密だけど、会社の女上司が配った手作りチーズケーキが原因だと思う。

「ヨーグルトを使ってみたの」って言ってたけど、チーズがよく固まってなくて、ししゃもの卵のかたまりみたいになってたもん。

 犠牲者は3人ほどだったらしい。「仕事のカバーが大変だったぞ」とあとから同僚に怒られた。加害者ではなく被害者が怒られる、これが日本の縦社会だ。

 ともかく2回連続の体調不良は、仮病を疑われるかもしれない。


 ならば母さんの体調が悪いから実家に行くことにするか。

 利用して悪い母さん。今度好きなまんじゅう買って帰るから。

 だが待てよ、と再び脳内ストップ。

 うちの母さんは、たまに会社の内線番号に電話をかけてしまう時がある。

 本来は家族の緊急事態に備えて教えている内線番号なのだが、母さんは「うっかり」間違えて掛けてしまうのだ。

 多分、スマホの電話履歴をタップしてかける時に間違えて、会社の内線番号を押してしまっているんだ。

 ほんとうに勘弁して欲しい。

 買い出しに出た父と間違えて「あんたあ! トイレットペーパーも買って来てねえ!」と会社に電話をかけて、それを取った後輩の女の子に大爆笑された俺の身にもなって欲しい。

 ともかく、もし今日母さんが「間違い電話」を掛けてしまった場合、俺の嘘はすぐに露呈してしまう。

「お前のお母さん、めっちゃ腹から声出てたぞ」って言われちゃう。


 俺はひとしきり悩み、苦悩し、そして決断した。

 スマホを取り、会社の電話番号をタップ。

 3コールほどで上司が電話に出た。

 時刻は7時59分。

 悩み抜いた俺の答えは。


「──すいません、寝坊しました」


 素直が1番、ということだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る