第三章 消えた卵の行方を追え
第14話 素朴な疑問と蒼真の譲歩
昨日に続けて、今日も無事に宿屋に泊まることができた。
宿屋の一室で、ベッドに腰かけた蒼真が心底安心したように大きな息を吐く。
「野宿にならなくてよかったぁ」
「キャンプみたいなものだと思えばいいんじゃないの?」
焚き火って見てると落ち着くじゃない、そう言って弘祈が首を傾げた。
その台詞に蒼真は一瞬目を見張った後、大げさに溜息をついてみせる。
「弘祈、お前なかなかの強者だな……。この数日でずいぶんとたくましくなったんじゃねーの」
「そうかな?」
「そうだよ……」
きょとんとした弘祈がまたも首を捻ると、蒼真は「俺には野宿なんて無理」と答えながら首を左右に振った。
弘祈はひ弱そうな見た目とは違い、精神的には意外とたくましいのかもしれない。だから、いつも自分に噛みついてくるのか。
蒼真がそんなことを考えながら一人で納得していると、弘祈は思い出したように手を打つ。
「あ、そろそろヴァイオリン聴かせておいた方がいいよね」
いそいそと
今の卵の色は淡い黄色だ。ピンク色にまではなっていないが、どうやら落ち着いているらしい。
取扱説明書によると、ピンク色が一番安定している時の色だそうだ。
また、取扱説明書には『毎日、少なくとも一度は音楽を聴かせてください』と書かれていた。
ちなみに今日は平和にここまで来られたので、まだ一度もヴァイオリンを聴かせていない。
卵を置いた弘祈が手にヴァイオリンを出すと、蒼真はすぐさま前のめりになる。
「今日の曲は?」
ワクワクしながらそう訊いた。
いつの間にか、蒼真も弘祈の演奏が毎日の楽しみになっていたのだ。
「今日は『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』にしようと思って」
「第一楽章か?」
「うん、たまには明るい曲も弾きたいし」
「へぇ、いいんじゃねーの。卵もきっと色んな曲聴きたいと思ってるんじゃね?」
俺も聴きたいもんな、素直にそう言った蒼真が無邪気な笑みを浮かべる。
「あ、うん」
蒼真があまりにも素直なことに驚いたのか、弘祈は目を見開いてそれだけを答えると、すぐにヴァイオリンを構えた。
途端に、蒼真は部屋が音楽ホールへと変わったかのような錯覚を覚える。
モーツァルトが作曲したこの曲も、もちろん有名な曲である。聴けばすぐに「あ、これか」とわかるだろう。
軽快なテンポで紡がれるのは、明るくも美しい旋律だ。
これまでは心が落ち着いて穏やかになる曲ばかりだったが、今日は元気をもらえる曲である。
だんだんと「明日も頑張ろう」という気分になってくる。
演奏が終わり現実へと引き戻された蒼真は、ふと思いついたように素朴な疑問を口にした。
「なあ、弘祈は何であんなに俺に突っかかってくんの?」
弘祈はヴァイオリンを消してから、蒼真をちらりと見やる。オリジンの卵を手にすると、ゆっくり話し始めた。
「少しでもいい音楽を作りたいから。オーケストラのレベルをもう少し上げたいって言ったでしょ」
「うん、それは俺も同じなんだけど」
何で意見が対立するんだろうな、と蒼真が腕を組んで首を傾げると、弘祈はベッドの端に腰を下ろして即答する。
「多分、求めてる音楽の方向性が違うんじゃない? 楽譜から読み取ってることとか、他にも色々」
蒼真と僕は考え方が正反対なんだよ、弘祈はそう言って小さく苦笑した。
確かに目指している音楽の方向が違えば意見も異なってくるし、楽譜から読み取る解釈も違うものになるのだろう。
もちろん、性格がまったく正反対であることもわかっている。
それでも、オーケストラのレベルを上げたいという目標は変わらないはずだ。
弘祈の分析を聞いて、蒼真はさらに問う。
「でもさ、もう少しお互いの意見を擦り合わせるとか、譲歩することはできないわけ?」
「蒼真もそれはできてないよね?」
「うっ、それは……そうかも……しれ、ない……」
しかしすぐ弘祈に睨まれて、蒼真は言葉に詰まる。語尾は消え入りそうになっていた。
まったく自覚がないわけではない。弘祈が相手だと、なぜか「負けられない」と思ってしまうのだ。それを改めて思い知らされる。
「ほらね。指揮者だからって何でも自分の思い通りになると思われちゃ困るよ」
「別に自分の思い通りになるとは思ってねーよ」
「どうだろうね。今まで僕の意見を取り入れてくれたことってあった?」
弘祈は布で包んだ卵を鞄の中にしまいながら、蒼真をまっすぐに見つめた。
「まったくないわけじゃねーだろ?」
「そう?」
「じゃあ、無事に地球に帰れたら、もう少しはお前の意見も聞くようにするよ」
追及された蒼真が渋々譲歩すると、弘祈は疑うような眼差しを向けてくる。
「ホントに?」
「ああ」
弘祈を見つめ返しながら、蒼真は大きく頷いた。今の言葉に噓偽りはない。
「なら、何としてでも地球に帰らないとね」
その答えに弘祈は満足そうに目を細めて、「じゃあおやすみ」と布団の中に潜り込んだ。
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