余命90日の花嫁は死神と共に永遠を生きる

響ぴあの

第1話 死神の花嫁

「俺は、あなたのためならどんな犠牲もいとわない。だから、全力で君を守ってみせるから」


 この世界には人間の世界にごくわずかに生存している死神族という種族がいる。

 その見た目はとても美しく、巨額の富を持ち、花嫁となる女性には永遠なる命を授けることができる。

 死神は残りわずかな寿命を持つ人々に未練をなるべく残さないよう手伝うための存在だ。

 普通に生活していても一般人は死神に滅多に遭遇することはない。

 もしも、遭遇したのならば、自分が余命わずかの場合か花嫁候補となった時だ。

 遭遇率が低いので、おとぎばなしの類のようにも思えるが、確実に国が公認する高貴なあやかしに分類される種族だ。

 見た目は人間とほとんど違わないが、特別な力を持ち、人間とはかけ離れた美しい容姿を持ち、若い時代が長い。

 死神族の一番上位である四神しがみ家に生まれたものは、余命九十日の者の中でも、未練を持つ者に寄り添い、よりよい死へいざなうことが義務付けられている。残りわずかな日々をいかに満足いくように生きてもらうか、これがよりよい死となる。

 女性の死神族の場合は花婿となる人間に永遠なる命を授けることとなっている。

 花嫁に選ばれたものは夫に寄り添い、死神の仕事を手伝う。

 死ぬことをわかっている人間を相手にするので、とても難しく悲しい仕事でもある。


 死神族の本家の名字は四神しがみ。名前の由来は四神しじんだ。

 東西南北の四方を守る神(守護神)のことで、「方位の四神」だ。

 分家となるのは。東は青龍せいりゅう、西は白虎びゃっこ、南は朱雀すざく、北は玄武げんぶが本家である四神の遠い親戚となる。もっと昔は死神族がたくさんいたらしいが、今はだいぶ減っており、四神家以外の分家は異能の力を持つ者はごくわずかとなっている。今は普通の人間と同じように生活しているのが四つの分家だ。


 自分たちは無力で、一人の力では何かを成し得ることはできないような気がする。

 いつもどこか無気力で生きている感じがしない光野歌恋ひかりのかれん

 いつもため息交じりに空を見上げる。それは、自分の無力さを紛らわすためかもしれない。

 つまらない毎日を諦める毎日。

 高校を卒業したら何かが変わるのだろうか。

 完全に変わるなんて、そんなことはないのかもしれない。

 今の今まで素敵な出会いだって、心躍る出来事だってなにもない。

 毎日息をしてただ日常を過ごす。

 ただの生き物。

 漫画や小説の中だけでしか、きらきらした輝く青春なんてあるわけがない。

 つまらない人間にはつまらない日常がぴったりだ。

 人生なんて自己完結している。そんなものだと思っていた。


 いつも通りの、けだるげな午後だった。


 自宅に帰ると妹ばかりかわいがる両親。

 母が早い時期に他界してしまい、父が再婚して、義理の妹ができた。

 この家で大切にされている子供は妹の夏香なつかだ。

 妹が家族の中心で一番の存在。

 妹にきつく当たられる毎日はひどく過酷なものだった。

 妹に嫌味を言われ暴力を振るわれても家族は辞められない。

 親も黙認している。

 食事は歌恋だけ別な粗末なものだ。

 表向きは立派な親を演じているだけ。

 周囲から批判されたくないから、最低限のことだけをして普通のふりをしている。

 おこづかいもほとんどない。

 妹は月に何万円ももらっている。

 歌恋はこの家の邪魔者だ。

 高校を卒業したら家を出たい。

 でも、働いたりできるのだろうかとても不安だった。

 必要としてくれる場所があるのだろうか。

 結婚する相手がいるのだろうか――。ただただ不安になる。

 だから、死にたくなる。

 涙が流れる。苦しいよ。


 光が照っているにも関わらず、小雨が降る。

 こんな日はきっと、不思議なことが起きそうな気がする。

 子どもの頃に絵本で読んだきつねの嫁入りを思い出す。


 雨上がりに虹を見つけたようなあの感覚はきっとこの世界に平等に訪れるのだと思う。

 まぶしい空を見上げる。雨雲の隙間から青い空が見える。

 この後に晴れが待っている予感がする雨空は割と好きだ。

 何もかも諦めたとしても、雨上がりの虹は心に刺さるものがある。

 晴れている空が見えた瞬間にきれいだと思える。心はまだ生きているのかもしれない。


 気配がなく、後ろから急に声を掛けられ、驚いて振り向く。

 初めて聞く声だけど、落ち着いた素敵な声だと思った。

 声に惹かれたのは生まれてから初めてのことだった。


「光野歌恋だよな。おまえの余命は九十日となっている。もう少し生きたくないか?」

 不可解な言動をする男性が目の前に現れた。やはり不思議な天気のせいだろうか。


「あなたは誰?」

 顔は初めて見る。会ったことはないと思う。少年と青年の間のような年齢だ。

 どこか冷たい瞳だけど、端正で美しい人間離れした顔立ち。

 モデルのように手足が長く背が高い男性。

 銀色で手触りのよさそうな手入れの行き届いた髪型。吸い込まれそうな赤い瞳。

 芸能人だろうか。地毛が銀色なのは四神の証と言われている。まさか伝説の死神だろうか。


四神至しがみいたるだ。俺は死神族だ。その命、俺にあずけてくれないか?」

 手を差し出す。細くて長い指。きめ細やかな肌。光を帯びた瞳は笑っているのか怒っているのかわからない。


「死神に命をあずけるとどうなるの?」

「俺の嫁となる」

 真面目な顔でこんなことを言われるとは。こんな状況になるとは思っていなかった。

「はい?」


 余命九十日で未練のある者に死神が現れることがあるという話は聞いたことがあった。

 でも、実際遭遇してもそれ以上の言葉は出てこない。

 たしかにこの世界に死神がいるということはわかってはいたつもりだ。

 でも、滅多に遭遇することはないから実感がわかない。

 一度も接触することなく一生を終えるほうが一般的な存在だからだ。

 

 自分が余命九十日で、死神と結婚しないと死ぬこととなるなんて――。

 これって強迫じゃない?

 いくら美しいからって急に結婚を考えるのは難しい。

 断ったら死ぬしかない。

 でも、レベルの高い容姿の男性に求婚されて嫌な気持ちになる女性はいないような気がする。


「赤い糸の主を探していた。以前この橋の上を通った時に、偶然歌恋の薬指から赤い糸が見えたんだ。死神にとっては運命の相手となる。君のことを調べさせてもらった。大変な環境で生活をしていて辛いようだな。橋の下を見つめる歌恋を見つけて、花嫁は君しかいないって思った。既に君は死神をやってる俺と婚約すれば、命は永遠に近いものとなる。九十日後に死ぬことはない」


「私はまだ十七歳だよ。結婚とか無理だよ」


 いくら美男子でも急に結婚するわけにはいかない。

 普通お互いをよく知らなければいけないわけだし。

 でも、普通とはなんだろう。

 光野の家族は普通ではないとどこかで感じていた。

 学校の中でも普通になるために努力していた。

 でも、普通ということを一番わかっていないのは自分なのかもしれないと思う。


「九十日以内に俺のことを知って好きになればいいだろう」

 こちらをじっと見つめる死神。

 やはり美男子だけあって、自信があるのだろう。強引だ。

 顔だけで好きになるわけでもないし、惚れっぽいわけではない。

 そんな歌恋が結婚を決断できるのだろうか。

 それに、そんなに美人でもない女性をなぜ選んだのだろう。


「だいたい、なんで私なの?」

「直感だ。死神には運命の赤い糸が見えるんだ」


 冷めた瞳で見下ろさられる。この人、本当に背が高いんだな。

 体は細いのに鍛えられた感じ。死神なんて本当だろうか?

 突如カッターナイフを向けられた。でも、体が刃物を拒否する。

 磁石の同じ極が反発するような感じだ。

 実際に階段から飛び降りようとしたが、高い場所から落ちることはできない。


 どうやら歌恋はこの死神のおかげで、死ぬことができないらしい。

 こんな不思議な現象が起きているのならば、九十日後に死ぬという話はあながち嘘でもなさそうだ。

 残念ながら未来を見る力はないから、何もできないけれど。

 婚約をしなければ死ぬ。その事実を受け止め、一気に青ざめる。

 

 もし死ぬのならば、ちょうどよかったのかもしれない。

 恋人もいないし、家族も誰も大切にしてはくれていない。


「私、死んでもいいと思ってたんだ」

「もったいな。こんなにいい女なのに。もし、死神の花嫁となれば、俺の仕事を手伝ってもらうこととなる」

「死神の仕事ってどんな仕事なの?」

「死ぬ前にやりたいことをするサポートが主になる。生きた証を遺したり、死にゆく人が誰かの心に残ることを手伝うんだ」

「結構難しい課題なのね。でも、あなたは本当に死神なの? 見た目は高校生くらいの人間に見えるけれど」

「俺、地面に足ついてないだろ。実は今、体が浮いているんだ。九十日で俺との婚約を決意すれば永遠に近い命が手に入るのに、みすみす捨てる気なのか?」

 少しばかり不機嫌そうになる。

 本気で結婚したいと思っているのだろうか。

 こんなに美しいのならば、いくらでも相手はいるだろうに。


「永遠ってどれくらいなの?」

 これ以上長生きすることは、自らの首を絞める行為でもある。


「人間の生きる時間と比べたら永遠と呼べるくらい長い。でも、いつか消滅する時は来るらしい。俺もまだ本当の期限のことは知らない。死神の場合、十八歳になる前の花嫁探しがとても大切なことなんだ。今十七歳だから、十八歳になるまでに花嫁を探したいと思っていた。でも、ようやく赤い糸が見える相手をみつけることができた」

 愛想がない死神が少しばかり嬉しそうな顔をする。

 同じ歳なんだ。大人っぽく見えるな。


「死神なら魔法みたいな力もあるの? 実はずっと探している人がいるんだよね。私の未練はそれなのかもしれない。私が小学生の頃、溺れた少年を助けようとして母が死んでしまったの。私が最初は海に飛び込んで助けようとしたけど、自分自身が溺れてしまった。結局溺れた少年を私の母が助けたんだけど、母はその後、溺れて死んでしまったの。私がその人を助けなければ、母は死ななかった」

 今でも涙が出る。心が痛い消せない出来事。後悔だらけの過去。


「もし、あの時に戻れたら、人助けはしていないのか?」

 一番痛い所を突いてくるな。正直本当の母が生きていたら、きっと今は幸せだったと思う。


「あの時は咄嗟で、母が死ぬなんて思わなかった。私はしばらく入院していて、いつの間にか母はこの世界からいなくなっていた。そのことを知っていたら、少年を助けなかったかもしれない。でも、母には目の前に困った人がいたら助けるようにと言っていたんだ」

 正直な今の気持ちを会ったばかりの人に話すなんて不思議な感じがする。


「お母さんはいい人だったんだね」

 なんか普通にしゃべってるけど、この人、死を告げる不気味な存在なんだよね。

 改めて少しばかり怖くなる。

 希少な死神族ということは、育ちも違うのだろう。

 どこからどうみても美しい。

 でも、死ぬというならばちょうどいい。

 いい時期に消えられる。結婚なんて想像もできない。自己嫌悪の塊。

 こんなに美しい人の花嫁になるなんて釣り合いが取れないと思う。

 死神の家は巨額の財産を持っているときいたことがある。

 この人の家がお金持ちならば、尚更釣り合わない。


「助けた人、どうなったんだろう。死ぬ前に知りたいかも」

「死ぬ前ね。つまり、まだ俺と結婚したいとは思わないってことか」

 少し気難しい顔をする。

 死神にとって花嫁はとてもとても大切な存在だ。

 簡単に死なれては困るというのが本音だろう。


 今知り合ったばかりの人と結婚してまで長生きしたいとは思えない。

 でも、ずっと母親の死を連想させる事件のことを避けてきた。

 日々の生活でいっぱいいっぱいだった。

 子供にできることなんてたかが知れている。

 小学生の行動範囲はそんなに広くない。

 知らない土地の海にもう一度行くチャンスもなかった。

 父も海を避けているような気がした。

 いつのまにか寂しさを紛らわせるべく、父はいつの間にか知らない女性と再婚していた。

 いつのまにか新しいお母さんができて、いつのまにか新しい妹ができた。

 生活が激変して、過去を振り返る余裕もなかった。

 もし、死ぬのならば、その前にやりたいことがある。


「小学生の時の海の事故について調べたいんだけど」

 これを提案したらこの人はどんな反応をするのだろうと少しばかり怖く感じていた。

 表情を変えずに返答する死神。

「わかった。協力する。親愛なる花嫁のためだ」

 なんと恥ずかしいセリフを言うのだろう。今まで生きてきた中で一番恥ずかしいような嬉しいような気持ちだ。

 冷めた瞳のきれいな顔をした男子は温度というより存在全体がとても冷たい気がする。

 銀色の髪に赤い瞳。恐ろしさを兼ね備えた美しさ。

 これは死神特有の顔面偏差値なのだろうか。

 染めているとか脱色しているわけではない純粋な銀色は死神の証らしい。

 美しすぎてつい見とれてしまう。


「俺は自分のためにこの仕事をやりきる。俺は、君に死んでほしくない」

 神々しいという言葉を死神に向けるのは何かが違うのかもしれないけれど、特別な何かを感じさせる人だということは直感で感じていた。

 こんな夢みたいな展開があっていいのだろうか。少し頭がぼーっとする。


「当時の記憶はないのか?」

「うん。少年を助けたということしか覚えていないんだよね。助けようとして自分が溺れてしまったから記憶がないの。私のせいでお母さんを殺してしまった」

 思い出すだけで、目じりが熱くなる。


「後悔してるのか?」


「今の新しい家族は後悔しかないよ。人命救助をしたことはとてもいいことだったとは思うけれど、自分自身に力がないのに力以上のことをしてしまった。だから、母の命がひとつ消えてしまった」

 地面を向いてしか話すことはできない。

 あまりにも凛々しくまっすぐな瞳の死神を見ることはできなかった。


「ずっとおまえが探している少年をすでに見つけている。実は、助けた少年がもうすぐ死ぬこととなっているんだ。俺の担当の仕事でな」

「嘘? 死因は?」

「死ぬ原因というのは死神にもわからないんだよ」

「死を止めるることはできるの?」

「もう決まった寿命で、自殺も他殺も事故死も全てが寿命なんだ。だから、延ばすことはできない。実はおまえの高校にそいつはいる」

「そんなに近くにいたの?」

「案外近くにいるものだよ。死ぬことが確定したのはつい最近だ」

 死神が黒い手帳を持っている。何か書いてあるのだろうか。

 死神手帳について丁寧に説明をしてくれる。案外親切らしい。


「これは死神手帳といって、死ぬことが決定した人間について書かれるんだ。その人の後悔を少しでも減らすべく、未練のない死を提供するのが死神の仕事だ。今の暮らしが辛いならば、俺の家に住めばいい」

 優し気な瞳だ。


「いきなり同居?」

 提案に驚いてしまう。


「花嫁にしたいと俺が思っているんだ。誰も反対する者はいない」

「もちろん、今の高校に通うこともできる。高校が嫌ならば転校させてやる。四神の力はこの世界で偉大なる力を持っているからな」


 なんだか偉そうだけれど、本当に権力があるんだろうな。

 口を開けて見とれてしまう。

 若いのに権威があるのが伝わってくるたたずまい。

 この人の花嫁になったら永遠に生きるのだろうか?

 ずっと共に生きるのだろうか。

 死よりも生について考えた瞬間だった。


「私を花嫁にしたくなくなるかもよ。私は根暗だし、気の利く方でもないし」


「その時は、おまえが死ぬだけだ。とはいっても、運命の赤い糸は絶対なんだよ。だから、俺は歌恋を守る」

 瞳がぶれない。

 歌恋の命を握っている人。寿命は変えることができないと言っていた。

 もし、結婚の意志を見せなければ、歌恋の寿命は消えるのだろう。

 ただし、婚約して結婚すれば死ぬことはない。

 嫌な家族と離れることができる。


「同居とはいっても、ただ部屋を提供するだけだ。この世界で言う下宿のようなものかもしれないな。もちろん世話人がいるから家事をする必要はない。結婚と言っても何も恐れるようなことはない」


 恐れるようなことがない?


「俺はおまえに触れるようなことは一切しないから心配するな。正式に結婚するのは十八歳を過ぎてからと決まっている。そこからが本当の夫婦と認められるんだ」

「永遠の命と言っても、私は老けてしまうの? 老体で長生きするのは結構大変そう」

「死神族は若い時期が長い。結婚して死神族となれば、十九歳の肉体のまま老化現象が遅くなるため、長く生きることができるんだ」

「生きるか死ぬかは、婚約するかどうかにかかっているってことね」

 

 でも、生きていても本当に幸せになれるのだろうか?


「おまえは辛そうに生きているな。死神は精神の状態が色で見えるんだ。かなりひどい色をしている」


 おでこに手を近づける。目をつぶると、風が死神のさらさらした銀髪の毛が風で揺れる。


「今、記憶を読ませてもらった。今日からでも家に住めばいい。うちには家族もいる。俺と二人きりになることもないから安心しろ」


 記憶を読むことができるなんてやっぱり普通じゃないんだ。

 怖いような気もしていた。


「私、あなたとお話することもとても恥ずかしくて、目を合わせることもあまりできないんだけれど」

 先程からもどかしいほど話すだけで緊張している。


「そんなことは気にするな。じきに慣れる。あなたさえ拒否しなければ俺たちは家族になるのだから。明日、答えを聞きに来る。もちろん、すぐに結論はでないだろう。答えが出るまで毎日通わせてもらう」

 拒否をすれば九十日後に死ぬというだけだ。


 死ぬ前に何か人助けをしてみたい。死神の仕事を手伝わせてもらいたい。


「私が助けた少年の最期を手伝いたい。だめかな?」

「かまわない」

 ずっと心に引っかかっていた少年がいた。その少年はあの後どうなったのだろうか。

 どんな名前なのかも知らないまま今にいたる。


 冷静沈着な人だな。人の命の重さをどう考えているのだろう。

「私のことを本当に好きだと思っているの?」

 これは、聞いておかねばならないことだ。


「好きという感情を今まで持ったことはないが、死神族は直感を感じた赤い糸で結ばれた運命の相手のために全力で守るという習性がある」

 一般的な恋愛観とは違うようだ。


 恋愛感情が豊富ならば、この顔で女性に困ることはないだろう。

 もしかして、恋愛感情が少しばかり乏しい種族なのだろうか?


「俺たちは恋愛感情が乏しい生物らしい。だから、結婚を義務付けることで子孫を保ってきた。正直愛なんてわからない。でも、あなたを知りたいと思っているのは事実だ」

 炎のような赤い瞳。思わず見とれるきれいな瞳だ。


「歌恋の実家には大金を献上する。住処も安全も保証すれば、誰も文句を言わないだろう」

「人間は相性を大切にする生き物だから。あなたと仕事を共にしてから結婚するかどうかは決める」


 少しばかり強い視線を送る。

 彼の赤い炎のようなオーラに包まれていると、安心している自分がいることに気づく。

 なぜだろう。知り合ったばかりなのに懐かしい。

 帰宅する時も、傍にいる人がいるなんて、今日は特別な日だと思う。


「あなたは、今まで彼氏が一度もいないようだな」

 色々調べられている。これは一歩間違えたらストーカーなのかもしれない。

 美しい顔でカモフラージュされた一種のストーカー。

 見方を変えたら深く重い愛を持った生物。

 

「歌恋の家には邪気を感じる。しかし、結婚の決断していない以上俺が何かをまだすべき時期ではないからな」


 憂鬱な家の空気。

 母親は一応気を遣ってはいるようだけれど、方向が違うような気がする。

 妹はわかままで、一人っ子状態。姉のことを嫌っている。

 父親は妻と妹ばかりを気にしている。

 悲しいな。

 本当の家族ではないという空気をずっと吸って生きてきた。


 生きる価値って何なのだろう。

「生きる価値か」

「私の心を読んだの?」

「死神は全部読めるわけじゃないが、一部強い想いを単語として汲み取ることができるんだ。相当難しいことを考えているな。死神の仕事は実に面白い。生きる価値がわかるかもしれない」


 深呼吸をして玄関に向かう。

「ただいま」

 不思議な高揚感の中、死神とは別れた。

 私の夕食は粗末な残り物だ。誰がどう見ても格差のある料理。

 最近妹はヒステリーに拍車がかかっていた。

 高校受験なのに、成績が上がらないらしい。

 歌恋よりも低い学力なので、進学校と呼べる学校に行けそうもない。

 それを気遣う両親は逆らえる様子もない。


 帰宅すると、残酷な現実を目にする。

 お母さんからもらった大切なハンカチ。お守りみたいにいつも持ち歩いていた。

 今日は見つからないなと思っていた。

 あぁ、納得だ。なかったわけだ。

 その姿は変わり果てて床に落ちていた。

 ハンカチは切り刻まれ、帰ると妹がにやりと笑う。


「このぼろ雑巾、私が始末してあげたの。ちゃんと細かく切ってゴミ箱に捨てておくから」


 いじめというのは教室内だけではなく家庭内でも起きうることなんだ。

 両親は見て見ぬふり。

 妹は私とは顔立ちも性格も似ていない。

 半分血がつながっているとは信じられなかった。


 母との想い出であり絆はこのハンカチしか残っていない。

 写真もいつの間にか捨てられていた。

 遺品も残っていない。

 母からの贈り物はもうない。

 心が痛い。妹に心はないの?

 人間の形をした悪魔だ。

 きっと目の前にいる女が悪魔に違いない。

 ずっと我慢してきた。このままでいいの?


「これは、母の形見です。弁償して」


 言えた。でも、妹の形相が鬼と変わる。

「あんたはこの家にいさせてもらえるだけ幸せよね。今までの遺品は全部私が捨てたの。だって、今の家族に元妻はいらないの。今の妻は私のお母さんよ。写真は燃やしたし、目障りな思い出はゴミだから捨てた」

 涙があふれる。差別されている。宝物である想い出をゴミだと断言された。言い返しても、味方はいないと悟る。


 扉が開く音がする。

 颯爽と入ってくるのは美しい死神だ。


「おじゃまします。わたしは四神至と申します。死神族の十七歳。現在花嫁を探していたのですが、歌恋さんを花嫁として正式に迎えたいと思っています」


 両親は驚いた顔をする。

 妹は絶対に負けたくないと思うタイプだ。学力でも仕事でも恋愛でも。

 この世界で死神と結婚できる人間はいわゆる勝ち組だ。

 この状況を光栄に思うのが一般的だ。

 一生お金に困ることもない。

 妹は怒りの形相だ。絶対に負けたくないから、結婚してほしくないのだろう。


「あなたは一体何者? 死神族は希少な種族だと聞いている。あなたが本当に死神なのか証明してよ。だいたい、こんな無能な姉をなぜ花嫁にしようとしているの? あなたは女を見る目がないわね」


 死神は睨みつける。その瞳はまっすぐで力強い。

「死神は想い出を形に復活させることができるんだ」

 ゴミ箱に捨てられたハンカチ。これは、母と一緒に動物園に行った時に買った想い出。

 愛着があって、ボロボロになっても大切な宝物だった。


 空中に切り刻まれた布が浮いている。人間ができることではない。

 さらに、布がきれいに修復された。

 空中から歌恋の手のひらに乗る。


「これは俺からの初めてのプレゼントだ。歌恋のことは婚約者として四神家で丁重に迎える。明日、結納金を持ってくる。今から荷物を準備してくれ」

 真っ直ぐで誠実な瞳だ。


「でも、まだ私、あなたのことを好きだとか思っていないし、結婚の決意をしていないよ」

 両親はどう思うだろう。高校生で婚約者の家に居候だなんて。


「俺のことは好きになっていないかもしれないが、この家族が好きだとは思っていないだろ」

 この人はいつも心の中を丁寧に読んでいる。


「お父さん、私、死神様と結婚前提にお付き合いします。婚約中は四神家にお世話になります」

 ハンカチのことがあって半分ヤケになっていた。

 守ってくれる親はいない。


「死神族の花嫁とは大変名誉なことではないか。そして、結納金はどの程度になるのだろうかと……」

 お父さんはいつもお金が必要な人だ。今も失業中で転職先を探している。お金に困っている家族だということは事実だ。

「はした金です。とりあえず一億ほど用意してきます。今後歌恋に危害を及ぼさなければ、生活費の援助をします。歌恋の今後の生活費はこちらで負担するので、教育費や食費などの心配はゼロです」


「養子にやったようなものですね。こんなに大切にされているのでは拒否する理由はありません。女の幸せは結婚です」


 お義母さんが珍しく声を発した。パートを何個も掛け持ちして、大変そうだとは思っていた。

 きっと義理の娘だからこそ、本音は養子にあげたかったのかもしれない。

 養子にもらわれる感覚でいよう。

 でも、お義母さんがお父さんと結婚して幸せそうだとは思えなかった。

 わがままな実の娘。勉強はしないし、深夜まで遊んでくることも多々ある。

 結婚したお父さんは失業中。仕事が続かず、お義母さんがパートを掛け持ちして働いていた。


「なんで、上級国民といわれる死神がお姉ちゃんなんかを? 姉妹の私だっていいと思わない? 若いし顔立ちもスタイルも私の方が断然格上だと思うけど」

 自信家の妹は平気でそういうことを言う。恥を知らない人間。悪魔の心を持った人間。


「俺は、絶対に歌恋の方がいい。貴様の生意気で悪魔のような所作が許せん。俺は歌恋のことを脅かす人間に微塵も魅力を感じることはない」


 不思議な力を持つ善良な死神になぜか選ばれたらしい。そして、勢いで結婚すると決断してしまった。考え方次第では、家出をできる手段になるのかもしれない。


「よろしくおねがいします」

 いつも偉そうにしている父親がお金に目がくらんだのか丁寧にお辞儀をする。

 お金のために売られた娘のようだ。親子の縁なんてこんなものだろうか。


「この家は危険だ。今から我が家へ行こう」

「でも……」


 察した死神は優しく囁く。

「一泊友達の家に泊まる程度の荷物を持ってくればいい。あとはこちらで準備をするから」

 部屋に入り、自分の物の少なさに気づく。洋服は古いものばかり。妹のおさがり。お金がないから、趣味に費やすことはできなかった。お母さんとの想い出もない。持っていくものはほとんどない。学校の教科書や制服。あとは少しばかりの下着に古びた洋服しかない。ここに自分のものはなかったのかと改めて思い知らされる。


 死神が階段の下で待ちわびていた。

 その瞳は心なしか温かく感じる。

 初めての嬉しさと知らない人の家に泊まることとなるという緊張がほとばしる。

 歌恋の頬は勝手に紅色に染まった。

 親不孝なのだろうか? 曲がりなりにもここまで育ててくれた親を捨てることになる。良心が痛む。

 なぜかあんなにされていたのに、罪悪感を感じる。


「罪悪感なんて感じる必要はない」

 強く心に感じた言葉を読み取る死神は心に寄り添ってくれる。

「ちゃんと援助もするし、生活に困ることはないんだ」


 たしかに。ただ高校生をしているよりはずっと親孝行なのかもしれない。

「君は優しすぎるんだよ。お人好しだな」

 頭を軽く撫でようとするが、ぴたりと止まる。

「指一本触れないと言ったばかりなのに、つい触れようとしてしまった」

 少しばかり照れているようだ。律儀だと感心してしまう。


「死神って邪悪な存在だと思っていたけど、あなたは違うような気がする」


「良い死に際に導く存在と言ったほうが正確かもしれないな。死をもたらすことには変わりはないし、寿命を延ばしてあげられることもない。ただ寄り添うだけの無力な存在だ」


 この人から無気力感を感じるのは能力の限界を知っているから、変にがんばらないようなところがあるのかもしれない。己の限界を知ることは変な夢を見ることもない。親にいつかは変わってほしいと思っていた。いつかは仲のいい家族になれるように希望を持っていた。そんな日は来ないとどこかで知っていたけれど、それはありえない未来だ。自分の力ではどうにもならないこと。親が変わること、妹が変わることなんて期待しても無駄なことだ。前を向いて新しい生活を始めよう。銀髪の美しい髪の毛を見つめながら、決意をする。


 悲しいことがたくさん詰まったこの家とはお別れしよう。

 ここよりも悪いことは起きないだろう。

 好きかどうかなんてわからない人と婚約を決意した夜だった。


 その瞬間光野歌恋は死神の花嫁となり、彼の助けとなることで、ご加護と寵愛を受ける権利を手にした。


 

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