スタンバイ #2

『…ラジオネーム、ハッサクさんからです。…』

ハッサク。その名前を聴いて、ある人の顔が浮かんだ。でも、確信するにはまだ早い。ひとまずリクエスト曲を聴こう。

しずく、どうしたの?」

隣でカツ丼を食べている悠乃ゆうのが不思議そうに私を見つめる。なにか勘ぐられそうだと思って、私は再び親子丼を口に運ぶ。

「ん?…あぁ、なんでもない…」

「カツ丼さぁ、量減ったような気がするんだけど。値段変わらないのに」

「それは悠乃の食べる量が増えただけなんじゃないの?」

「ええ、どうしようー。ダイエットしてるのに。この前もさあ、また太っちゃってさあ」

そんな垂れ目で言われても危機感ないんだよな…まあ、そういうのんびり屋なところが好きなんだけどね。

私たちは2週間に1回、学食でご飯を食べている。今日は校庭が見える窓辺の席。

食堂のざわめきの中で神経を尖らせていると、リクエスト曲が流れてきた。この曲、聞き覚えがある。

これ、もしかして───?

「雫?さっきから箸止まってるよ?」

「え、えっと、ちょっとラジオ聴きたくてさ」

「あ~、放送部のやつ?」

悠乃が大きな口でカツを頬張った。そしてもごもごしながら私に言う。

「早く食べて、教室戻る?ここだと聞こえないでしょ」

「あ、うん!そうする!」

そうだ、まだ間に合うかも!私は残りの親子丼をかき込む。水もすべて飲み干して、食器を片付けに席を立った。

「ごちそうさま!悠乃、ほんとにごめんだけど、先に戻るね!食べすぎ注意だよ!」

「え、待ってよ~…ていうか、なんでから揚げをおやつに買ってこうとしてたのばれてるのー!?」



食堂の熱気と喧騒から抜け出すと、廊下は静かでひんやりとしていた。よかった、まだ曲流れてる。私は廊下の壁にもたれかかる。

それにしても、この曲って…。

しばらくして、曲のボリュームが小さくなると、メッセージを読む声が聞こえてきた。

『早川先輩、自分はこのメッセージをとある人に送ります。届けてくださいますか?

ここからその手紙です。…

桜が舞う去年の春、僕はあなたに出会いました。教室が分からなくて迷っていた僕に明るく声をかけてくれて、同じクラスになっても優しくみんなと接している姿、一目惚れでした。手をつなぐとか、そういうことをしたいと本気で思いました。初めての感情でした。…』

曲をバックに読まれるメッセージ。思い当たる節がある。去年の4月の記憶、出会った人と、交わした言葉。

『…あなたには好きな人がいるようでした。あなたを忘れたい、そう思いました。でも、苦しくて、悲しくて。そんなこんなで2年生になって、あの人とクラスが離れて、それきり話してません。…』

走ってる間にもメッセージが流れていて、この言葉で確信に変わる。絶対、あの人だ…。

あの人の教室に着いた。去年同じクラスだった人がドアの近くにいたので、息を整えて、落ち着いて聞く。

「ねえねえ、弥永やながくん、今日来てる?」

「あ、雫ちゃん。弥永くんは…。来てるけど、今いないみたい。どうしたの?」

「いや、いないんだったらいいや。……もしも帰ってきたら、私が探してたって伝えてくれない?」

「オッケー!」

「ごめん、ありがとう!」

探そう。会って、あの人と話そう。あの人がいそうな場所。あそこしかない。私は階段を駆け下りた。あの人と過ごした去年の思い出が、次々にフラッシュバックする。






「弥永くんの帰り道って、こっちの方?」

去年の8月。夏期補習で登校した私たちは、午前授業が終わって校門を出たところだった。その時、悠乃はサボってて来なかったんだっけ。

「あ、うん」

弥永くんは無口なタイプだけど、しゃべったらおもしろいってこと、私とクラスの何人かは知ってた。彼とはよく話すわけではなかったけど、「全く話さない男子」のポジションでもなかった。校門で会ったから、ちょっとしゃべっただけだったけど、私の変な夏のテンションのせいか、そのまま一緒に帰る雰囲気になった。

「数学の授業、眠かったなぁ」

「ね。先生の話し方が眠気を誘うよね」

「てか、なにあの問題!二次関数苦手過ぎてやばいよ…」

「俺は数学より国語の方が苦手だからなあ」

「そっか、弥永くんは数学のテストいつも高得点だもんね」

暑さと同じくらい、話は盛り上がった。勉強の話、部活の話、進路の話…。ここまで彼と深く話をしたのも初めてだった。

「え、弥永くんもしかして、あのアーティスト好き?」

私は彼のカバンについたキーホルダーを見て言った。彼は小さくうなずく。

「…うん」

「私も!」

そういうと彼は目を見開いて、私をまじまじと見つめた。暑さのせいか顔が赤くなっていた。

「俺、あの曲好きなんだ、ほら、夏の曲」

「え、分かる!いいよね!今の季節にぴったりだよ!」

趣味が同じと分かって、私の体温も上がる。ぼやけたアスファルトに、汗が落ちて蒸発する。二人の汗が途切れることはない。

「暑いね、なんか飲む?」

屋根付きの自動販売機があったので、そこで飲み物を買った。多分こんなことをしたのも、夏の暑さのせいだ。何にするか悩んでた私は、弥永くんに先を譲った。彼はすぐに決めて、お金を入れる。ガタンと出てきたのは、オレンジ色の小さな缶。

「ハッサク味の炭酸?」

「うん。好きなやつなんだ」

…思えばこの日の弥永くんはいつもと少し様子がおかしかった。でも、私と目が合うと、恥ずかしそうに、でもうれしそうに笑っていた。

「私も飲んでみよう」

2人で並んで缶を開けた。カチッ、プシュという音が小さな日陰に響いた。

「あ、おいしい」

甘さの中に苦みがあって、飽きない。汗ばんだ手に、缶の冷たさが染みる。弥永くんを見ると、炭酸を飲むたびにこくりと喉が動いていて、どこか遠くを見ていた。私はそんな彼に目が釘付けになった。────いつもの弥永くんと違う。どこか頼りない空気がなくなって、私よりも年上みたいだ。あれ、こんな人だった?

秋山あきやまさん、あのさ」

「ん?」

「俺、高校入って好きな子ができてさ」

え、いきなり恋愛の話?と思ったけど、今ならなんでも話せそうな気がしてた。なぜかは分からないけど。

「今度の夏祭り、誘いたいんだけど、どんな感じで言えばいい?」

へー、弥永くんにもそんな子いるんだ、と思った。…へー。

「普通に、だれだれさんと夏祭り行きたいんだけど、予定空いてる?とかでいいんじゃないかな。あくまで自然な感じ?私も誘われたい人がいるけど、自然体がいいなぁ」

「誘われたい人、いるんだ?」

弥永くんの額から鼻筋を流れて、汗が滴る。

「?うん。夏祭りといえば、高校生の一大イベントって感じじゃん!」

「…。そうなんだ…、いいね、がんばって」

なんでがんばってって言ったのかよく分からなくて、返事に戸惑ったけど、弥永くんがこちらを見てほほえむので、「がんばる!」と答えた。そのとき、目が合った。

ほら、弥永くんはいつもそう。笑っているのに、目元がどこかさびしげで、でも瞳の奥は優しさがあって…。…って、おかしいな、胸がどきどきする。彼の顔を見るたび、彼の声を聞くたび。

───なんか、これって…。

屋根の下はもう、私たちだけの空間だった。見えないバリアがセミの鳴き声をブロックしているような、穏やかで静かな雰囲気。気恥ずかしくなって弥永くんから目を逸らす。一気に炭酸を飲み干すと、喉がひりひりした。









ずっと走っていたせいで、息が切れてきた。それでも弥永くんに聞きたいことがある。そして、私もずっと、あの夏の日から弥永くんが気になってて…。いや、はっきりと自覚した。

───彼が好きだ。

その日からそっけない態度だったかもしれない。どうしよう、私のせいだ。なんども角を曲がって、階段を下りて、図書館と校舎をつなぐ渡り廊下に出た。少し歩くと、自動販売機が見えた。去年、部活終わりにここで会ったときに彼が言ってた。「ここ、あんまり人が来ないから穴場なんだよ」って。

「弥永くん…?」 

問いかけてみるも、返事はない。勘違いだった。私バカだ。勢いだけでこんなとこ来て。

─────いや、弥永くんはいる。

自動販売機の裏に近寄ってみる。案の定、人の気配がした。

「…っ、秋山さん?」

「弥永くん」

…いた。弥永くんは自動販売機の裏に座ってた。こんなとこに座ってたら、誰にも気づかれないよ。

「弥永くん。メッセージ、聴いたよ。もしかして、『あなた』って、私のこと?」

「………うん」

「すぐ分かった」

彼は赤くなってうつむく。私も座り込んだ。しばらく沈黙が流れたあと、弥永くんが私の目をまっすぐ見据えた。

「秋山さんが、ずっと好きだった」

「…」

「ごめん、口で伝えられなかった。俺、気持ち悪いとか思われても仕方ない。本当にごめん」

「違うよ」

「え」

私は口調を強めた。目を伏せていた弥永くんが顔を上げる。

「弥永くんはちょっと不器用で恋愛面は鈍感だけど、繊細で優しくて、ロマンチストなところもある。去年1年間、弥永くんと関わってきたから、私には分かる。このメッセージを他の人がどう言おうと、知らんぷりしていいよ」

弥永くんの長いまつげが震える。

「私、弥永くんが好きだよ」

私と彼の目線が絡み合って、ほどけない。

「でも、秋山さんは好きな人が…」

「あ、去年の補習のとき言ってた夏祭りのこと?もう、それは悠乃のことだよ!男子だと思ってたの?この、勘違い男め!」

「だって、あの流れでいったら、絶対好きな人の話って捉えるでしょ!?」

「違うって!ていうか、めっちゃ恥ずかしい勘違いじゃん…!」

「うわ、俺、…あー!くそ恥ずかしいーー!」

「一生黒歴史で苦しめー!」

ふたりで笑い合う。ひとしきり笑ったあと、私は彼をまっすぐ見据えて言った。

「…よかったら、恋人になりたい。もっと弥永くんのこと知りたいし、もっと二人で笑いたい」

いつの間にか汗ばんだ私の手を、弥永くんが握る。驚いて声が出そうになった。

「付き合おう、俺たち」

弥永くんの顔は相変わらず赤いけれど、頼もしい顔つきになっていた。

「今年の夏こそは、夏祭り行こう」

「うん!」

「…そうだ、ハッサクの炭酸、ここの自販機にもあるんだ。よかったら飲む?」

「私、お金持ってないよ?」

「俺のおごりで」

そう言って立ち上がる。やがて弥永くんが1本の缶を持ってきた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう…弥永くんは飲まないの?」

缶を開けながら言う。なぜか、弥永くんは恥ずかしそう。

「俺はそれ、半分もらうよ」

「うん、分かった………え?」

「ほら、早く飲みなよ。昼休み終わるよ?」

弥永くんが急かす。──ど、どういうこと?でも、弥永くんの目線に耐えられなくなって、私は勢いよく飲み干した。半分中身が残った缶を彼に渡す。すると彼も、缶をぐっと流し込んだ。彼の喉仏が大きく動く。

「…っ!」

間接キ…!?いや、言えない!恥ずかしくて、言えない…!!弥永くん、なにしてんの!?

「行きましょうか、雫さん」

冗談めかして言いながら、戻ろうと立ち上がった彼に、私は膝の力が抜けていく。弥永くんは立ち上がれなくなった私の手を取って、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。

「ほんとのやつは、またいつか」


このあと悠乃に、「熱あるの?顔真っ赤だよ?」と本気で心配されたのは言うまでもない。













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