第五十一話 スライダーの最中


 ようやく真衣の暴走も収まり、順番待ちも進んできたので滑る頃合いも近くなってきた。

 そしてそのタイミングで、あることに気が付く。


「…ん? これって二人で滑る感じなのか」


 前の方で滑っていく人たちを見ていれば、その人たちのほとんどが浮き輪に二人乗りになっている。

 てっきり一人で滑っていくものだとばかり思っていたので、少し想定外だった。


「気づいてなかったのか? 下の看板にも書いてあっただろ?」

「そこは見てなかったな……。てことは、颯哉と滑るのか」

「いや、俺は真衣と二人で乗るから、お前は秋篠さんと乗って来いよ」

「……は?」


 それはまさに晴天の霹靂だった。

 二人で乗る浮き輪ともなれば、当然男は男同士、女子は女子同士で乗っていくのだと思い込んでいた拓也にとって、その提案は衝撃的すぎた。


 見れば浮き輪は二人乗りではあるが、サイズとしてはかなり小さめのものであり、唯と乗ったりでもすれば当然その密着度は高くなる。

 付き合っている颯哉と真衣ならば問題もないだろうが、そういった関係でもない俺たちが乗り合わせるものでもないだろう。


「唯はこのこと知ってたのか……って、知らなかったんだな……」

「……い、今真衣から聞かされて……」


 表情を驚愕に染めている彼女を見れば、知らなかったことは一発で分かった。

 どうやら唯も二人で滑っていく類のものだとは知らされていなかったようで、たった今真衣から耳打ちされたらしい。

 事前に教えてくれればまだ対処の仕方もあったのに……もうここまで登ってきてしまえば、引き返すという手段も取れない。

 少なくとも俺たちは、滑るという選択肢からは逃げられなくなったわけだ。


 あいつらのことだし、このことは前々から把握していた可能性も高いな。

 こうして拓也と唯が二人でくっつく瞬間を今か今かと待ち続けていたのかと思うと、あまりの回りくどさに眩暈がしてくるが、今自分たちはまんまとその術中にはまったわけだ。


「俺たちは先に行ってるからよ! 下で待ってるぜ!」

「お前ら、あとで覚えとけよ!」


 どうやら考える時間すら与えてくれないようで、準備が整い次第さっさと颯哉と真衣は滑って行ってしまった。

 二人の「ひゃー!」や「うおー!」という甲高い声が響いているのを耳でとらえながら、こちらは選択を迫られていた。


「…えーと、どうするか。さすがに二人で乗るのは嫌だろうし、一人ずつやってくか?」


 先ほど見ていた限りだと、やはり二人で乗っていく客の方が多いことは確かだったが、一人で乗っている者も少なからずいたことは確認していた。

 別に一人ずつ行くこともルール違反ではないようなので、それが一番丸く収まると思って提案したのだが……現実は常に斜め上の答えを持ってくる。


「わ、私は……いいよ? ふ、二人で乗っても……」


 その言葉は、拓也から冷静な判断力を奪い取るには十分すぎる威力だった。

 口ではいいと言っていても恥ずかしさまでは消えていないのか、両手を後ろで組みながらもじもじとする様は破壊的なまでの可愛らしさがあり、蕩けそうな眼差しから繰り出される上目遣いは容易に理性を刈り取ろうとしてくる。


 そんな唯の反応に、拓也が抗えるわけもなく───


「…じゃあ、乗るか。二人で」

「うっ、うん……」


 あっさりと了承を下してしまった。

 …あんな姿を見せられて、その誘いを断ることは俺にはできなかった。

 せめて同乗する時には、思考を無にしておくしかないな。




「それではお次のお客様、どうぞ!」

「…俺たちの番か。行こう」

「わ、分かった!」


 颯哉たちの番が終わってから大して待つこともなく、すぐに順番は回ってきた。

 職員の人が浮き輪のセッティングも既に終わらせているようで、あとは乗って滑り落ちていくだけだ。


「それぞれ前後に座っていただくことになりますが、どうされますか?」

「あっ、そうか。座る位置も決めるのか。唯はどっちがいいとかあるか?」

「前と後ろなら……前の方がいいかな!」

「了解だ。んじゃ、先に座ってくれ」


 拓也的にも、両者の身長差を考えれば自分が前になるのは少し怖いと思っていたので、彼女が前に来てくれるのはありがたい。

 そうして唯がちょこんと浮き輪に座ったのを確認すると、自分も彼女に半ば覆いかぶさるような形で座り込む。


「…悪い。ちょっと触れるかもしれないけど、なるべく距離は取るようにするから」

「気にしなくてもいいよ。…た、確かにちょっと緊張はするけど、拓也くん相手なら嫌じゃないから」


 気を使ってくれているのか、本心からそう言ってくれているのかはわからないが、ともかくこれで用意はできた。

 二人の準備が整ったことを皮切りに、職員の人からカウントダウンが開始される。


「それではいきますよ! さん、に、いち……!」


 浮き輪の背面に手が掛けられ、もうすぐに押される。

 そんな時だった。


 なんとなく拓也が下をパッと向くと、そこには唯がいる。

 ここで重要なのは、二人の身長の差によって、彼からは彼女の頭の上から覗き込むような体勢になっている。

 そして何より……彼らは今水着であり、そこから眺められるは唯の意識しないようにとしていた確かな膨らみが、ばっちりと見えてしまう格好になっていた。


「……っ! ちょっ、待っ!?」


 慌てて顔を横に向けて姿勢を整えなおそうとするが……時すでに遅し。


「ゼロッ!! いってらっしゃーい!」


 勢いよく押された浮き輪の動きに抗えるはずもなく、唯の「きゃー!」という声と共に拓也はひと時の地獄へと誘われていった。




「げほっ、げほっ! …ちょっと水飲んじゃった。拓也くんは大丈夫だった?」

「……ああ、いろんな意味で大変だったけど、概ね大丈夫だ」

「?」


 距離にしてみれば短い、しかし体感でははるかに長く感じられたコースターを駆け下りてから、目の前に座っている唯に声をかけられるが正直それに返す言葉もないくらいに疲弊がすごい。

 …なんとか耐えきったな。途中で危ないところもあったけど、何とかなった。


 滑り落ちる道中で、唯の方を見ないようにと意識を最優先にしていたが、ぐるぐると回り続けるスライダーの軌道や、とんでもない速度を保ったまま落ちていくあの浮き輪の上では完全に視線を逸らすことは不可能であり、幾度か危険な場面もあった。

 だが拓也はすんでのところで耐え切り、ギリギリの戦いを制することに成功していた。


「はーい、お疲れさまでした!」

「…あっ、浮き輪だけお願いします」

「こちらでお預かりしておきますね! また良ければ遊びに来てください!」


 搭乗していた浮き輪から降りてそれを回収し、下で待ち構えていた職員の人に託す。

 最後に再来場を促されてしまったが、あれだけ精神的なダメージが深刻になるとは思っていなかったので、もう一度来ようとは思えなかった。


「おっ、来た来た。おーい! 拓也、どうだったよ!」

「唯ちゃーん! 楽しかったー?」


 そのままプールから上がれば、聞き慣れた声が耳に入ってくる。

 その声の方向を向けば、先に下っていた颯哉と真衣が手を振っていた。


「真衣! えへへっ、すごい楽しかったよ!」

「それは良かったね! …それで、拓也と何かあったりしたの?」

「えっ!? そ、それはなかったけど……」


 真っ先に真衣の隣に駆けていった唯が何やら怪しげな質問をされている気がするが、気にしたら負けなので放っておこう。

 それに、今の拓也にはそれよりも優先する相手がいるのだから。


「へっへっへ。どうやら思ってたよりもお楽しみだったみたいじゃねえか」

「………ふんっ!」

「いった!? 無言で叩くなよ!」


 ゲス顔を浮かべながら近づいてきた颯哉。

 その表情にイラっとしたのと、先ほどの精神的疲労の元凶であるこいつへの恨みを重ねて掌を振り下ろしておいた。


 自業自得と思って大人しく受け入れろ。


「……はぁ。あのウォータースライダーが二人乗りなら先に言え。それならそれで対処法もあっただろうが」

「んなこと言ったらお前、秋篠さんと一緒に乗ろうとしなかっただろ? だから言わなかったんだよ」

「乗る必要もないだろ……。何をそんな当たり前みたいな顔してんだ」


 至極当然といったように返してくる友の言葉に、溜め息が止まらない。

 一体こいつはいつになれば余計なお節介をやめてくれるのか。それだけは知っておきたいと切に願うようになってきてしまった。


 …なんやかんやで楽しかったことは否定しないが、もう少し手段を選んでほしいものだ。

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