第十話 唯一の女友達
そこからの数日は特に変わったことも起こらず、平穏な日々が続いていった。
秋篠との関係も何かがあったわけでもなく、月曜日になぜか微笑みかけられた以降はおかしな出来事もなかった。
移動教室の際や下校のタイミングですれ違う程度のことなら幾度かあったが、その時も話すわけでもなく多少会釈をするくらいのもの。
颯哉が期待していたような劇的な変化などあるはずもなく。
一時の交錯していたように思われた関係は、少しずつ解かれていくのが分かった。
◆
「じゃあ俺帰るわ。また明日」
「ん? 今日は俺も部活ないし、一緒に帰れるぜ?」
放課後。居残って用事する必要もなかった俺は颯哉に先に帰ることを告げたが、それを引き留めるように声を返されて立ち止まる。
確かに颯哉の部活動の練習が今日はないことは知っているし、途中までは帰り道も同じルートを通っているが……拓也が先に帰ろうとしたのは、それを知った上でのことだ。
多分そのことには気が付いていないのだろう。…仕方ない。
「いや、せっかくの部活休みなんだからお前は真衣と帰ってやれよ。あいつも待ちわびてるんじゃないか?」
「あー…そういやそうだな。すまん、拓也」
「別にそのくらい気にしないって。それにあいつのことだし、ここまで駆けつけてきても……」
そこまで言ったところで、廊下を誰かが駆け抜けてくるような音が響いているのが聞こえてきた。
タッタッタッタ……と軽く乾いた足音は徐々に拓也たちのいる教室まで近づいてくる。
そしてその音は唐突にピタッと止んだかと思えば、クラスの扉を思いきり開いてきた。
「やっほー! 颯哉、一緒に帰ろう!」
「…相変わらず元気なことで」
「はははっ…。まぁそれが真衣の良さでもあるから」
現れたのは別クラスの女子であり、颯哉と交際している少女でもある
ボブカットに切りそろえられた髪型は彼女のさっぱりとした性格をよく表しており、その性格から俺たちが振り回されることも多い。
…それと颯哉。元気なのがあいつの良さだというのは否定しないが、それによって色々と被害を受けることも忘れてないからな?
「何してるのー? …って拓也じゃん。いたの?」
「最初からここにいたに決まってんだろ。せめて認識くらいはしろ」
「たははー。ごめんね! 颯哉以外の男子に興味なくて…」
「清々しいほどに言い切りやがったな……」
彼女と颯哉が付き合っているというのは校内でも公然の事実であり、仲睦まじい様子を見かけることも多い。
そのあまりの仲のよさから、独り身の男子たちからは恨みも込めてバカップルなんて呼ばれることもあるが……なぜか当人達が嬉しそうなのであまり効果は発揮されてないんだろう。
まぁ、悪いやつではない。口ではこんなことを言っているが、気にかける時には友人に親身に付き合ってくれるし、その点は信頼している。
だからこそこのような軽口の応酬だってできるし、俺にとっても唯一の女友達でいてくれるあたりが真衣の懐の深さを示しているともいえる。
「ともかくさっさと颯哉連れて帰れ。お前らが二人そろってると他のやつらが熱に当てられるんだよ」
「言われなくてもそうさせてもらうけどさー。…なんかいつもより早く帰らせようとしてるし、拓也も彼女でもできた?」
「何でそうなるんだよ」
思わず素で返してしまった。
拓也がいつもよりも雑な対応で済ませようとしているところに疑問を感じたようだが、どういった思考を重ねればそのような結論にたどり着けるのか。
「だって颯哉とまだそこまで話してもないのに素直に私に譲ってきたし、自分はさっさと帰ろうとするし、そうなったら彼女の存在しかないなって」
「推理が雑にもほどがあるだろ……」
額に手を当てて彼女のあまりにも適当な推測に呆れてしまう。
拓也が早く帰ろうとしたことは間違っていないが、それはいもしない彼女のためではなく、ただ何となく早く帰宅したかっただけだ。
それを強引と言ってもいい筋道で恋愛に結び付けられてはたまったものではない。
「真衣。実は最近な、拓也のやつと秋篠さんがお似合いなんじゃないかと疑ってんだがどう思うよ」
「え!? 拓也あの子と付き合ってるの!?」
「んなわけねーだろ恋愛脳共。颯哉、こいつに妙な話を吹き込むな」
「いってぇ!? はたくことないだろ!」
何やら颯哉が神妙な面持ちでありもしない噂を吹聴しようとしていたので、思い切り引っぱたいて止めておく。
少し威力が強かったので文句を言われるが、こちらに非はないので謝ってやらん。反省しろ。
「はぇー…。でも秋篠さんかぁ……」
「真衣もいいと思わないか? 拓也だって髪で少し隠れてるだけで、顔は悪くないんだし」
「もう一発叩かれたいのか?」
「すみません」
「…私は、秋篠さんはいい子だとは思うけど、付き合うってなるとどうだろうな……」
「……え? どこかまずい点があったのか?」
もたらされた返事が予想外のものだったからか、颯哉が目を丸くして質問を投げかけている。
しかし、その困惑は俺も同様に感じていたことだ。俺たちからすれば単なるクラスの人気者だという印象しか受けないが、同じ女子である真衣はまた何か別のことを嗅ぎ取ったのだろうか。
「上手く言えないんだけど……あの子って、周囲に対して壁を作ってるじゃん? 近くにはいても、懐には入れてないって感じかな。だから適当に話しかけてるだけじゃ付き合うなんて無理だし、意味ないと思うんだ」
「…なるほどな。それなら無理に急接近したところで無駄ってことか」
「そういうこと」
「………」
颯哉と真衣の会話を横目で聞きながら、ある種彼女の意見に拓也自身も納得していた。
秋篠は常に柔和な笑みを浮かべて周囲との関係を温厚に保っているが、それは言い換えればそれ以上の関係値を求めていないからこそできたものとも受け取れる。
無駄な争いを生まず、できる限り仲の良さを一定に保ち、友人同士との差をなくして自分のパーソナルスペースを守っている。
以前に自宅で見かけた彼女の振る舞いとの違和感。それがあいつの素であったなら、学校での彼女は……ある意味、他人を拒絶している?
そんな根拠のない推論が脳裏によぎるが、どこか否定もしきれないだけの説得力を持っているようにも思えた。
「これは私が勝手に感じたことでしかないし、間違ってることも全然ありえると思うけどね」
「いやいや、貴重な意見だったよ。やっぱ男同士だと気が付きにくいことも多いしな。なっ! 拓也!」
「そこで俺に振るんじゃねぇ。…参考になったのはそうだけどな」
真衣の意見を聞けたことで、彼女の本質が少しだけ見えてきたような気がした。
近くには寄らせても、自分の最も大切な部分は隠し通し守り抜く。
そんな徹底して他者から要を貫き通そうとする姿勢は……少し、自分と似ていると思ってしまった。
「なんにせよ、あの子が人気だってことには変わりないしね。さすがに分も悪いと思うよ?」
「俺が秋篠を狙ってることを前提にするのはやめろ。…颯哉からも言ってやってくれ」
「当たって砕けてこい!」
「お前もか!」
そんなくだらなく、他愛ない。されど心の内が温かくなるようなやり取りができる自分は恵まれているのだろう。
こうして良き友人と出会えたことに感謝しつつ、本格的に帰る準備を整えていった。
「あっ、もし拓也に彼女ができたら教えてよ。その時は私も話してみたいし!」
「…ないとは思うけど、考えておくよ。お前は元気すぎるんだから、まだ見ぬ彼女が疲弊しないくらいにはしておけ」
「それは無理かなー。なんたってこれこそが私のアイデンティティなんだからね!」
「少しくらい改善の余地を見せてほしかったんだが……。今はいいか。じゃ、ほんとに俺帰っから、またな」
「おう! またな!」
「じゃあねー! …颯哉、私たちも帰ろー!」
別れの挨拶を言い残して教室を後にする。
残してきた二人に関しては………うん。あいつらが歩いた道が嫉妬の感情で埋め尽くされることになるだろうが、俺の知ったことではない。
そういった問題は当事者の間で収めてもらうとしよう。
◆
学校を後にして少し歩いてくれば、もう自宅には着いてしまう。
帰宅が楽なことは素直に嬉しいんだが、こうも距離が短いと自分の運動不足が不安になってくる。
…学校の授業だけじゃなく、私生活の中でも運動を始めるべきだろうか。
若いうちから始めておけば後々メリットになることも増えてくるだろうし、やってみるのもいいかもしれない。
そんな今後のことを考えながら、マンションのエントランスのドアを開けて通り過ぎようとして……動きが止まってしまった。
「………最近の俺の運はどうなってんだ、本当に」
己の巡り合わせの運勢に悪態をつくが、そうしなければやっていられないほどにここ数日の出来事はおかしい。
しかし、目の前の明らかな異常事態から目を逸らすわけにもいかないので、ここは手を差し伸べるべきだろうと判断する。
「そんなとこで何やってんだ。…秋篠」
「…へ? 原城君?」
そこにいたのは、エントランスの廊下で膝を抱えながら座り込んでいる秋篠唯だった。
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