第48話 幸せの形

 あれからどれほどの月日が経っただろう。私たちは幸せの形を築いた。


 子供は一男一女だ。貴族になることを二人とも望まなかった。長女のフィアローヌは演劇などの舞台の演出家と結婚した。私の「闇に咲く花」ともう一つ「ロイヤルフラワー」というブランド名のショップも運営している。芸術家でレジンを使った小物類の製作もしている。

 その弟であり長男でもあるヴェルファードは各地の教会を束ねる司教を務めながら医者でもある。二人とも王族に連なる者とのとしての責務はあるけれど、何代かあとにはただの富裕層になり、完全に市民として暮らしていくのかなと思う。


 聖女の末裔は、それが一番いい形だと私は思っている。いつまでも権威を持っていてはいけない。


 ――コンコン。


 ノックの音がする。相手は分かっている。先ほどメイドが伝えに来たからだ。


「どうぞ」

「失礼しますわ」


 薄い紫の長い髪と瞳。我が娘ながら綺麗な見た目をしている。娘の子供ももう十代だ。それなのに中年太りもせずに未だほっそりとしていて、ヴィンスに似て背も高い。


 私はもう祖母という立場で、昔以上に身長も縮んでしまった気がする。


「お父様、お母様、ご機嫌麗しゅうございますか」

「一応はね。まったく、あなたときたら最初は必ず丁寧よね」

「あら、お母様。挨拶は大切だもの」

「最初から崩してもいいのよ?」

「ふふっ、それなら早速自慢の一品をお見せしてもいいかしら」

「ええ、見せてちょうだい。私はあなたの作品の大ファンだもの。ずっと待っていたのよ」


 娘とも上手くやっている……と思う。娘が思春期の頃は少し行き違いもあったけれど、メイドが娘の話を聞いてくれて私の相談にものってくれた。子育ての正解は分からないので、とりあえず褒めることは意識していた。私自身が……認めてほしくて仕方のない子供だったから。


 娘や息子がどう思っていたのかは分からないけれど、こうしてたびたび訪れてくれるので駄目な子育てではなかった……はず……。


「見て、お母様」

「あら、本当に素敵ね。珠の中にこんなに美しい景色を再現できるなんて。いつ見ても惚れ惚れするわ」


 掌におさまるくらいの球に、海や空の景色を閉じ込めた絶景レジンだ。魔法は使っていないのに魔法のよう。今回は白い満月が特徴の星空だ。ヴィンスの体調が悪くなってから、星空をモチーフにすることが多くなった。


「ねぇ、ほらヴィンス。すごいわよ」

「……ああ、本当にすごいな……」


 お互いにもうほとんど白髪になった私たちが元王子や元聖女だと知るのはこの屋敷にいる者と訪れてくれる人だけだ。静養のため郊外に屋敷を用意してもらった。静かに目立たず過ごしている。目立つのは……クリスマスの夜だけだ。


 ヴィンスはいつからか言葉がすぐに出なくなった。表情も……出にくくなったと思う。脳疾患だろうと、突然倒れて旅立つ可能性が高いと言われている。しばらく歩くとすぐに骨が痛むようにもなって……痛み止めを息子がよく持ってきてくれる。


 この世界は、脳にはメスを入れない。心臓にも入れない。脳や心臓を悪くしたら天命として受け入れる。神に与えられた命という考え方が根っこにあるからなのかもしれない。 


「フィアローヌはいつも素敵なものを見せてくれるわね。ふふ、私とヴィンスの思い出は星空に彩られているのよ。思い出すわ」

「お母様ったら、本当にその話が好きね。ねぇ、もう一度聞かせて? お父様のプロポーズの時の話」

「もう。あなたこそ、何回話したと思っているのよ」

「だって聞きたいもの。大好きなの、その話」

「まったく恥ずかしいのに。ねぇ、ヴィンス」

「……ああ、懐かしいな……」

「ふふ。この人ったら、二つも指輪を用意していたのよ」

「ええ。そこには忘れな草もあったのでしょう?」

「そうよ、忘れな草の造花。私はそこにただの指輪を入れてやったのよ。そこにまだあるわ。私たちが二人とも旅立ったら、お墓に入れてちょうだいね。今は外れないこちらの指輪も」


 隣に座るヴィンスの手を握る。私とお揃いの流れ星のような指輪がそこにある。ソファにもたれているけれど、少し辛そうになってきたかもしれない。


「ヴィンス、一度横になる?」

「……まだ大丈夫だ……」

「そう。辛かったら言いなさいよ。あなたはすぐに我慢するのだから」

「ふっ……分かっている……」


 娘の前ではいつも通りを装っているけれど、いつヴィンスがいなくなってしまうか分からなくて、最近は毎日怖い。


「それでね――」


 続きを話そうと思ったら、またノックの音がした。今度は息子だろう。


「どうぞ、ヴェルファードでしょう?」

「失礼します、ご無沙汰です」

「言うほどご無沙汰ではないでしょう」

「姉上、先に来ていたんですね」

「ええ。せっかくお母様に惚気話を始めてもらったのに邪魔されてしまったわ」

「それはないよ……」


 兄弟仲もいい。息子はヴィンスに近づいて顔色を見ながら「お加減は」など確認している。


「……よし、二人とも来たことだしピアノを弾くか……」


 娘も息子も心配そうにこちらを見るけれど、それもいつものことだ。


「そうね。ヴィンスはピアノを前にしている時だけ、シャキッとするものね」

「……昔に戻るんだ、全部。いい気分転換だ。もう、新しい曲は弾けないがな……」


 よろよろと窓際のピアノの元へ歩く。平衡感覚が鈍っているらしく、もう昔のように颯爽とは歩けない。


 窓から覗く新緑が瑞々しく空の色は柔らかい。彼がピアノの前の椅子に座った瞬間に空気が変わる。以前と変わらない姿勢になり、空気が張りつめ指がしなる。


「私の旦那様はとても格好いいでしょう?」

「ええ、お母様。自慢のお父様です。お母様も自慢のお母様ですわ。私、二人の娘でよかった」

「ありがとう」


 歳をとって、もっと涙もろくなった気がするわ。どうしても涙があふれてしまう。


 娘とは……色々あった。どうして聖女なのと。誰にも言われないけど、聖女の娘という目で見られるんだって。なんで娘なのに魔法の才能が劣っているのと……私と比べられて落ち込む娘を見て、完全に聖女ではなく別人として暮らした方がよかったかと悩んだりもした。

 

 ヴィンスの生み出す流れるような美しい旋律も昔と変わらない。


「この曲ね、最初は二人だけが知る曲にしようと思ったの。でも気が変わって、全世界に自慢しようと思ったのよ。私の好きな人は素敵でしょうって」


 ご老人は何度も同じことを言うと昔思っていたけれど、私も同じことをしているのよね……。どうしても輝いていた過去を思い出すと幸せな気持ちになるから。失う恐怖を、その時だけは忘れられるから。


「毎年楽しみですよ。次も楽しみです」


 次がないかもしれない。そう思っているからこその言葉ね。息子もとても優しい。


「ええ。生きている限り自慢してやるわ」


 曲が終わる。終わった瞬間に若かった彼が突然老いるようだ。よろよろと椅子から立ち上がり、息子に支えられて歩く。


 彼が子供たちに毎回ピアノを聞かせようとするのは私の言葉のせいだ。私が「格好いいお父さんを子供たちに見せられて嬉しい」って。「ずっとその姿を覚えておいてほしいわ」と言ったからだ。


「そろそろ帰るわ。二人に会えてよかった」


 ヴィンスの様子を見て娘が言う。彼の体力が限界だと感じたのだろう。


「薬はここの人に渡してあるから。何かあったら呼んで。無理しないでよ、父上」


 薬の処方はいつも息子がしてくれている。

 

「……分かっている……元気で……」


 ヴィンスの言葉を合図に、互いに祝福の光を交わし合う。三人からの祈りは私に幸せしかもたらさない。


「……お母様が元聖女でよかったわ」

「え?」


 唐突に娘がそう言った。その向こう側にある意味を説明する気はないらしく、あとの言葉は続かない。


 彼らを見送った。

 あとに残るのは静寂だけ。


 ヴィンスを支えてベッドへと連れていく。魔法の力も借りながらだ。


「……すまないな。ずっとお前を守り続けたかったのにな……」


 ヴィンスの目に涙が浮かぶ。


「守られているわ。支えられているわ。あなたが生きていること、それだけで」


 ベッドの横には、私が書き物をするための机が置いてある。その横には本棚。アリスの絵本も何冊もそこに置いてある。書いてある文章は変わらない。絵柄がその時の流行に伴い少し変化するだけだ。


 ……ずるいわよね。

 レイモンド様はアリスの体の時間の巻き戻しなんて方法を使ってここに召喚した。死なないようにというだけではない。同じ時期に寿命がくるように自分の寿命と相殺して巻き戻しをしている。


 好きな人とファンタジー世界で過ごして、クリスマスにはサンタクロースの文化をもたらして、愛する夫とは一日違いで天に召されて……自分の親友ながら御伽の世界の住人のようだわ。


 でも、子供たちに夢をもたらす聖アリスちゃんだものね。彼らはそれでいい。


「お前の物語、もう一度読みたいな……」

「読みましょうか。途中で寝てもいいわよ」

「……お前の声は安心するからな。愛している、セイカ」

「私も愛しているわ。今、とても幸せよ」


 私が天に召されたら刊行してもらう予定の本を手に取る。一応、仮として一冊だけ本の形にしてもらい、変更や追加してほしい場所に朱書きをしている。


『違う世界に行きたい……私が誰の邪魔にもならない世界へ』


 最初の出だしはそう始まるその絵本のタイトルは『聖女の日記』。聖女でもなんでもない少女の小さな願いから始まる。


 私たちの終わりまだ見えない。

 でも、必ず来ることは知っている。



 

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