11.ニノンとシュゼット
「いやあ、今日は急にごめんね。シュゼットの料理食べたくなっちゃって」
食後のカモミールのハーブティーを飲んだニノンは「おいしいー」と言って、猫のような和んだ顔をした。
「ちっとも。一人暮らしだと、毎日料理も大変でしょう」
「えへへ、ありがとうね」
翌日、夕方にニノンがシュゼットの家を訪ねてきた。そして、急だが今日は夕食を食べていきたいと申し出てきたのだ。シュゼットはもちろんアンリエッタも喜んで迎え入れ、ニノンが好きなパイを中心とした豪華な夕食を作った。
「でも、エリクがいなくて残念だったな。せっかくおいしくできたのに冷めちゃう」
「ちょっと聞いた話だと、マリユス教授が近々大学に滞在しなきゃならないらしくて、長期で留守にするらしいよ。留守中の指示でももらってるんじゃない?」
ニノンはブロンを膝の上に抱き上げ、お腹のあたりをフワフワとなでまわした。ブロンはくすぐったそうにキュンキュン鳴いている。
「それじゃあしょうがないわね」
「そうだね。せめてきれいにとっておこう」
シュゼットは残ったパイを別の皿に盛り付け、布と木でできたドーム型のフードカバーを上に乗せた。
「さて。もう少しお腹がこなれたら、ニノンにアロマテラピーしようか。独り立ちして疲れてるでしょう」
「えっ! 良いの!」
「もちろん。来るって決まった時点で、やるつもりだったよ」
「やったー! 今日も一日頑張ったかいがあるぜい!」
ニノンがバンザイをすると、ブロンも「キャンッ」と鳴いて、ニノンの膝の上で飛び跳ねた。
「――がんばってるニノンには、リラックスできるようにカモミールとマンダリンのブレンドオイルを用意しました!」
「わ! 懐かしい組み合わせ!」
ニノンの言葉に、シュゼットは「懐かしい?」と首を傾げた。
「覚えてない? 最初にわたしにアロマテラピーやってくれた時も、この組み合わせだったんだよ」
「そういえばそうだったかも。二年前のことなのに覚えてるんなんて、ニノンってば記憶力良いね」
「さすがお医者さん」と言うと、ニノンは少し真面目な顔になって「忘れないよ」と言った。
「わたしが、一人でこの町に来て、不安で、もう帰りたいって思った時に慰めてくれた香りだもん」
そう言われると、シュゼットも記憶がよみがえってきた。
同じ日に、同じ馬車で町に来た者同士仲良くなったふたりは、週に一度は会って、互いを励ましていた。
そんなある日、ニノンが約束の時間に、約束の場所に来なかった。
そこで、シュゼットはアロマテラピーの道具を持ってニノンの宿舎を訪ねたのだ。
「誰も知り合いがいなくて、家族にも相談できなくて、心も体も独りぼっちだったわたしを、シュゼットだけが助けてくれたんだよ。ほっといていいって言っても、帰らなくてさ。泣き言を聞いてくれて、アロマテラピーしてくれて……」
「そうだったね」
「だからね、わたしにとっては大切な香りなんだ」
ニノンはシュゼットの手を取り、にっこりと笑った。
「ありがとう、シュゼット。あの時、わたしを放っておかずに、励ましてくれて。おかげでわたしは医者になれたよ」
「わたしはちょっと力を貸しただけだよ。医者になれたのは、ニノンの努力のおかげでしょう」
「ううん。シュゼットのおかげでもあるから。お礼言わせてよ」
「ありがとね!」と言って、ニノンはシュゼットをグイっと抱き寄せた。シュゼットもニノンの背中に腕を回し、「どういたしまして」と答えた。
――やっぱりわたしの周りには、素敵な人であふれてる。だから、何があっても大丈夫だ。
シュゼットがそう強く思った時だった。
家の外でドササッと何かが落ちるような音が鳴った。
続いてキッチンで食器を片付けていたアンリエッタの悲鳴と、ブロンの驚いた鳴き声が聞こえてくる。
「え、何の音だろう」
シュゼットはニノンからゆっくりと離れて、窓の方へ歩み寄った。今夜は新月で、月明りもなければ、雲のせいで星明りも弱いようで、何も見えない。
「バ、バケツでも落ちたんじゃない? あとで、帰ってきたエリクに拾ってもらおうよ」
シュゼットの隣に来たニノンは、サッとカーテンを閉めた。
「そうだね。でもとりあえず、おばあちゃんのところに行こう」
そう言い終える前に、外から「離せ!」という叫び声が聞こえてきた。その声に、ニノンがハッと息を吸いこんだ。ニノンは眉間にしわを寄せると、玄関の方に体を向けた。
「……シュゼットはアンリエッタさんと中で待ってて。わたし、外を見てくるから」
「ううん、わたしも行く」
「だめだよ。危ないよ」
シュゼットは逃れようとするニノンの肩をつかんだ。
「ニノンだって危ないでしょう。ふたりで行こう」
ニノンは一瞬考えてから、消えそうな声で「……わかった」と答えた。
ブロンとアンリエッタには家の中にいてもらい、シュゼットは棕櫚箒を、ニノンは魔法をいつでも発動できるようにして、家の外へ出た。
「……えっ?」
目の前の光景に、シュゼットは息をのんだ。
家の前では、エリクが誰かを地面に押し付けて取り押さえていたのだ。
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