第29話 巧妙
天帝に謁見したネメシアは、ステラを伴い
「いや、それにしてもステラ殿が力を貸してくれるとは、何とも心強いです」
長官室のソファに座り向きあうステラが、にこりと穏やかな笑みを浮かべる。ネメシアが口にしたことは本音だ。
サフィニアがいなくなった今、治安維持機関には頭脳と呼べる存在がいない。天帝が言ったように、ステラが本当に天才であるのなら、サフィニアがいなくなった穴を埋めるには十分な存在だ。
ただ、ネメシアはステラにどうしても一つ聞いておきたいことがあった。少しのあいだ、当たり障りのない会話を交わしたあと、ネメシアは思い切って切り出した。
「……ステラ殿。以前、私がリエッティ村のことをお聞きしたこと、覚えていますか?」
「……ええ、もちろん」
ステラの顔色には何の変化もない。ネメシアはスッと息を吸いこんだ。
「では……天帝陛下が、リエッティ村を滅ぼしたというのは、本当の話ですか?」
やはり、ステラの顔色は変わらない。が、その形のよい眉が一瞬ぴくりと跳ねたのをネメシアは見逃さなかった。
「やはり……真実だったのですね?」
「……ネメシア長官。いったいどこからそのような話を?」
「……以前、リエッティ村は私の学友の故郷だと言ったことを覚えていますか?」
表情をいっさい変えないまま、ステラが小さく頷く。
「その学友こそ、今『緋色の旅団』を率いているアシュリー・クライスなのです」
ステラの目が少し見開かれる。さすがに多少は驚きがあったようだ。
「卒業後、音信不通だったアシュリーと、この街で久しぶりに再会しました。そのとき、彼女から直接聞いたのです。リエッティ村は、天帝陛下によって滅ぼさ――」
「ネメシア長官」
最後まで言わさず、ステラが刺すような目をネメシアへ向ける。
「それ以上、口にしてはいけません。この国においては、天帝陛下のご意志がすべてにおいて優先されるのです」
「し、しかし……!」
ステラがゆっくりと首を左右に振る。それ以上何も言えず、ネメシアは口をつぐむしかなかった。
「ネメシア長官の話を聞いて理解しました。なるほど、アシュリーという少女は、仇討ちをしようとしているのですね? そのために、勢いが衰えていた『緋色の旅団』をのっとり従えた、と」
頭の回転が速いことに思わず嘆息しそうになったネメシアが、静かに首を縦に振ると、ステラはそっと目を伏せた。
「……その少女にまったく同情しないわけではありません。陛下の側近とはいえ、私も同族のエルフです。少女の怒りと悲しみはわからなくもない」
意外な言葉を口にしたステラに、ネメシアはかすかに驚いた。
「ですが、それでもこの国では天帝陛下のご意思がすべてにおいて優先されるのです。あのお方が黒だと言えば白いものでも黒くなるのです」
「……!」
「そして、我々は天帝陛下の庇護のもと平和に暮らせているバジリスタ国民です。国の秩序を乱すテロリストは、どのような理由があれど捕まえなくてはなりません。治安維持機関の長官であるあなたも、それは理解できるでしょう?」
ネメシアが俯き唇を噛む。
「それに、彼女をこのまま放置すると、さらに多くの罪を重ねるでしょう。そうなる前に捕まえ、改心させることができれば、極刑は免れるかもしれません」
「な、なるほど……たしかに……!」
これはステラの方便である。天帝の命を狙うテロリストを処刑しないことはありえない。ネメシアにやる気を出してもらうためのウソだ。
「あくまで私の勘ですが、おそらくサフィニア副長官の件も、『緋色の旅団』が関係していると思います。彼は優秀でしたから、排除するために手を打ったのかもしれません」
「……! まさか……!」
ネメシアが愕然とする。それはネメシアもわずかながら考えたことだった。
「今後の行動を邪魔されないように先手を打ったのでしょう。だとすれば、それが叶った以上、彼女たちは何かしら行動を起こすと考えられます」
「い、いったい、どのような……?」
顎に手をやったステラは、しばし視線を落としたまま考え込む。そして、ハッとしたように顔をあげた。
「アシュリー・クライスの目的は復讐です。一番憎いのは陛下でしょうが、もう一人八つ裂きにしたいくらい憎んでいる者がいます」
「そ、それは?」
「禁軍の司令官、ハルジオン様です。彼こそ、陛下の命令でリエッティ村を襲撃した張本人なのですから」
ステラの言葉にネメシアが驚愕する。まさか、禁軍まで動員していたとは、初耳だった。
「で、では……アシュリーたちは、ハルジオン様を狙っていると? そ、それなら一刻も早く対処しなくては!」
「落ち着いてください、長官。ハルジオン様の住まいは公開されていません。『緋色の旅団』の情報網がどれほどのものかはわかりませんが、おそらくまだ知られてはいないかと。あの方は慎重な方なので、天帝陛下の居城へ登城するときも地下通路を使っていると聞いています。そのため、住人たちの口からあの方の住まいが知られることはまずないでしょう」
臆病なまでの慎重さに、ネメシアは胸のなかで舌を巻いた。禁軍の司令官ともなれば、各方面から恨みを買うことも多いのだろう。
「ですから、おそらく『緋色の旅団』はハルジオン様の居住地を調べているのではないかと思います。となると……」
「……あ! 行政庁の庁舎なら……!」
「ですね。あそこには、アストランティアに住まう全住人に関する情報が集約されています」
話を終えたネメシアは、一人で行政庁の庁舎へと向かった。そして担当部署の責任者へ事情を話し、あらかじめハルジオンに関する情報が記載された書類を預かったのである。
『緋色の旅団』が情報を盗むために庁舎へ忍び込むとしたら、おそらく行政庁がすべての業務を終えたあとだろう。
治安維持機関の実働部隊を張りつかせてもいいが、本当に来るかどうかわからないテロリストに備えるのは現場から不満の声が出かねない。翌日の仕事にも差し障る懸念がある。
そのような理由から、ネメシアは庁舎で書類を預かったあと、たった一人でテロリストを待ち構えることにした。
正面玄関から鍵を破って侵入してくると思い待ち構えていたところ、重要な文書を管理している部屋から物音が聞こえた。急ぎ向かったところ、ストックたちと鉢合わせしたのである。
――部屋への入り口近くで仁王立ちする筋骨隆々のドワーフを視界に捉え、ストックは思わず唇を噛んだ。
何てことだ、まさか待ち構えられていた? いや、俺たちがここへ来ることなんて知っているはずがない。しかし、現にこうして待ち構えられていた。これはどういうことだ? いや、そんなことはどうでもいい。あいつが掲げているあの書類。何とかしてアレを手に入れなければ。
ストックは腰にさしてあった短い鉄の棒を抜くと、振りかぶりながらネメシアに突っ込んでいった。
「おおおおおおおおっ!!」
飛びかかり全力で鉄の棒を振り下ろす。ギンッ、と何とも言えない鈍い音が室内に響いた。
「な……!?」
「……こんなもので、何をしたいんだ?」
勢いよく振り下ろした鉄棒は、ネメシアの丸太のような太い腕で防がれた。普通、そんなことをすれば間違いなく腕の骨が折れる。にもかかわらず、ネメシアは平然としていた。
まるで鋼のような筋肉――
ストックは思いだした。若くして治安維持機関の長官に登り詰めたドワーフは、国一番とも言われる怪力無双であることを。と、一瞬呆然としたストックの腹をめがけて、ネメシアが拳を振った。太く、そして鉄のように硬い拳がストックの腹に深々と突き刺さり、そのまま吹き飛ばされた。
「があぁっっ!!」
勢いよく本棚まで吹き飛ばされるストック。衝撃で収蔵してあった本や資料がドサドサと音を立てて本棚から崩れ落ちた。
「くそっ、よくも!!」
ドワーフの団員二名が、ストックの仕返しと言わんばかりにネメシアへ襲いかかる。が――
無策で突っ込んできた団員の顔面に、強烈なパンチがめり込んだ。バキッ、と顔の骨が砕けるイヤな音をストックは聞いた。ネメシアの足元に力なく崩れ落ちたドワーフはぴくりとも動かない。さらに、もう一名のドワーフの股間をネメシアが思いきり蹴りあげる。
「ぎゃああああっ!」
ネメシアが顔をしかめる。睾丸が潰れたであろう、イヤな感触が足に伝わってきたのだ。またたく間に二名の団員が死にいたるほどの攻撃を受けたのを目にし、ストックの全身から脂汗が噴き出る。もう一名、エルフの団員もガクガクと膝を震わせていた。
ストックともう一名の団員を確保しようと、ネメシアがのしのしと近づいていく。と、そこへ――
「ぐ……『
団員がネメシアに向けて魔法を放つ。顕現した複数の炎の矢がネメシアを強襲した。が、ネメシアはその体には似つかわしくない俊敏な動きで魔法をかわす。
「あ、ああ……」
蛇に睨まれたカエルのように動けなくなる団員。このまま、ネメシアの手にかかることを覚悟したそのとき――
パリンッ、と甲高い音が響き、部屋の灯りが消えた。ストックが手もとに転がっていた本を、壁のランプに向かって投げたのだ。ランプが割れ、部屋が暗闇に包まれる。
「む……!」
いきなり暗くなったことで、ネメシアも視界を奪われた。一方、ストックは素早い動きで団員のそばへ近寄ると、何やら耳打ちを始める。そして――
「……『
「あっ!!」
団員が閃光の魔法をネメシアの眼前で発動させた。目をこらしているところに、いきなり眩い光が現れ、ネメシアは完全に視界を奪われた。その隙を見逃さず、ストックがネメシアの手からこぼれ落ちた書類を手にとる。が――
気配を感じたネメシアに腹を思いきり蹴られ、ストックは書類を落として再び吹っ飛ぶ。ネメシアは暗闇のなか、足もとを探るようにしてストックの居場所を探り始めた。と、そこへ――
「おい、撤退するぞ!」
「は、はい!」
ストックたちの声が聞こえたかと思うと、バタバタと慌ただしく駆けだす音がネメシアの耳に届いた。
「な……ま、待て!!」
追いかけようとするものの、暗くて周りが見えずどう動いていいのかわからない。そうこうしているうちに、足音はどんどん遠ざかっていく。どうやら、完全に逃げられたようだ。
「くそ……!」
暗闇にも少しずつ目が慣れてきたころ、周りには誰もいなくなっていた。ただ、奪われたと思っていた重要な書類が足もとに転がっていたのはうれしい誤算だった。
いや……おそらくあのとき、あいつは書類に目を通したはずだ。わずかな時間ではあったが、それくらいのことはできたかもしれない。
だとすると、一刻の猶予もない。ハルジオン様の居場所を掴んだアシュリーは、必ず殺害しようと行動を起こすはずだ。
静寂を取り戻した室内で、ネメシアは大きく息を吐いた。何やらどっと疲れた気がして、しばらく天井を見あげたままネメシアはぴくりとも動かなかった。
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