第13話 卒業

それから半年後。アシュリーたちは遂に卒業の日を迎えた。ダリアとジュリアも無事に卒業試験をクリアし、全員で卒業できることになったのである。


式典が終わり、教室に戻っていつもの席に着くと、何故だか無性に寂しい気持ちになった。まあ、三年間も通ったんだもんね。そりゃそうか。はぁ、とアシュリーは小さく息を吐く。


「ねぇねぇ、アシュリー! まだ明るいけどさ、今日は絶対にネメシアと帰るんだよ?」


そばにやってきたダリアが、押し殺した声でアシュリーに耳打ちする。ジュリアも「うんうん」と頷いていた。


「え。何で?」


キョトンとするアシュリーの様子に、ダリアとジュリアは頭を抱えた。


「何でって、卒業したらもうネメシアに会えなくなっちゃうかもしれないんだよ!?」


「あー……でも、村に戻って親に顔見せたら、またすぐこっちへ戻ってくるつもりなんだけどな……」


「そ、れ、で、も! 学生時代ほどは会えなくなるでしょーが!」


なぜダリアとジュリアはこうまで私たちをくっつけたがるのか、不思議だったが、とりあえずは言うことを聞くことにした。


「とゆーわけだから、サフィニア。あんた邪魔すんじゃないわよ?」


アシュリーの前の席に座るサフィニアにダリアが釘を刺す。


「ああ!? 何で俺がてめぇらの都合にあわせなきゃなんねぇん──」


「邪魔、すんなよ?」


ジュリアに頭をガシッと押さえつけられ、反論は絶対に許さんと言わんばかりの目で睨みつけられたサフィニアは何も言えなくなった。



──自宅と学園、どちらからもそれほど遠くない場所なのに、来るのはどれくらいぶりだろう。


風でかすかにさざ波立つ湖面を見つめながら、アシュリーは思いきり伸びをした。彼女がいるのは、学園の南方面に位置するユリ湖。バジリスタで唯一の巨大な湖であり、著名な観光地でもある。


「こりゃあ気持ちいいなあ」


湖畔のベンチに腰掛けたネメシアも、開放的な雰囲気と何とも言えない心地よさに満足げな表情を浮かべていた。


「本当ね。こんなことならもっと頻繁に来ればよかった」


隣に座るアシュリーも同意する。卒業式が終わったあと、ネメシアと一緒に途中まで帰っていたのだが、不意にここへ訪れたくなった。


「ねえ。ネメシアはこれからどうするの?」


「ん? ああ……そうだなぁ。俺はほかのドワーフほど創造力もないし、取りえは怪力と体力だけだからなぁ……そのあたりを活かせそうな仕事でも探すとするかな」


「ふふ、何よそれ。怪力と体力を活かせる仕事って」


隣で噴きだすアシュリーの様子に、ネメシアは唇を尖らせた。


「笑うこたぁねぇだろ。そういうアシュリーはどうするんだ?」


「私は、一度故郷のリエッティ村へ帰るわ。卒業の報告をしなきゃだし。そのあと、すぐここへ戻ってくるつもりよ」


「そうか。まあ、アシュリーほどの頭脳がありゃあ、就職先は引く手あまただわな。研究職に役所の職員、治安維持機関サイサリスなんてのもアリかもな」


丸太のような腕を組み、一人でうんうんと納得し始めるネメシアに、アシュリーは思わず笑みをこぼす。


「すぐに戻るって、いったいどれくらい実家にいるつもりなんだ?」


「そうね……デージーも連れて行くし、少しはゆっくりしたいから、一ヶ月後くらいには戻ってくると思うわよ」


「ほう。意外と早いな」


「まあね。早く天帝陛下のお役に――」


「立てるエルフになりたい。ほんと、その口癖変わらねぇなぁ」


アシュリーの口癖を横取りしたネメシアが、愉快そうにガハハと声をあげる。アシュリーは何となく悔しそうだ。


「私は本気ですからねっ。天帝陛下を支えられるようなエルフになって、陛下を狙おうとする不届きな輩もみーんな私がやっつけるんだから」


「ワハハ、そりゃいい。以前、学園で天帝陛下を狙った『バジリスタ解放戦線』は主力の構成員がほぼ捕縛後に処刑されたそうだ。が、その残党が『緋色の旅団』に合流したらしく、今度はそっちが勢いを増している」


「へえ~。ほんとどうしようもない奴らね」


「テロリストだしな」


「そうね」


少し風が強くなり、落ち葉がカサカサと音を立てて足元を転がってゆく。まだ陽は高いというのに、少し肌寒くなってきた。上着を持ってきておけばよかった、とアシュリーが後悔していると――


「ほれ」


「え?」


ぶっきらぼうに何かを突き出すネメシア。それは、先ほどまで彼が着ていた上着だった。


「寒いんだろ? 遠慮せず着ておけよ」


「いいの? あなたが寒くなるんじゃない?」


「俺は大丈夫だ」


ニカっと笑ったネメシアは、上着をやや強引にアシュリーへ押しつけると、再び湖へ視線を向けた。


「なら……遠慮なく。ありがとね」


ネメシアが着ていた上着なだけあって、上半身をすっぽりと覆えるくらいサイズには余裕があった。ただ、身長はアシュリーのほうが高いため、着丈は少し短い。が、そんなことは口にすまい。


「ああ……あたたかい……」


ほぅ、と息を吐いたアシュリーは、ちらりとネメシアの横顔を見やる。そして、わずかなあいだ何かを思案していたかと思うと――


「ねぇ、ネメシア」


「……ん? どうし――!?」


いきなり頬に両手を添えられ、唇で口を塞がれたネメシア。驚きのあまり呼吸をするのも忘れてしまう。数秒後、アシュリーはゆっくりと唇を剥がしてゆく。


「な、ななな、なななな……!」


ネメシアが激しく狼狽する姿を目にして、つい笑いそうになってしまったアシュリー。こんな彼を見たのは初めてだった。


「ごめん、イヤだった? いろいろ、お礼のつもりだったんだけど」


「は……んあ? んん? お、お礼……?」


訳が分からないといった表情を浮かべるネメシアから視線を外し、アシュリーは肩をすくめた。


「うん。前にさ、素行の悪いエルフにデージーが絡まれていたとき、助けてくれたでしょ?」


「あ、ああ……そう言えばそんなことあったな……」


「あのときね、私本当にうれしかったんだ。ドワーフがエルフと敵対するって勇気がいるのに」


「あんなとこに出くわしゃ、誰でも助けるだろう」


「そんなわけないじゃない。現に、あのときほかにもドワーフはいたのに、助けに入ったのはあなただけって聞いたわ」


「まあ、俺はあまり細かいことは考えないからな」


「ふふ。あのとききちんとお礼を言えていなかった気がしたから。そのお礼。もう一つは、この上着のお礼よ」


悪戯っぽい笑みを浮かべたアシュリーに、ネメシアの心臓が思いがけずドクンと大きく脈打った。


「あ、別にお礼の意味だけってわけじゃないからね……?」


「そ、そりゃいったい……ど、どういう……?」


ドキドキが止まらなくなったネメシアは、もうアシュリーの顔を直視できなくなっていた。


「ふふ。それは自分で考えて」


うまくはぐらかされたようで、少々肩を落とすネメシア。


「さて、一ヶ月後に再会したとき、あなたはいったいどんな仕事をしているのかしらね?」


「どうだろうな。アシュリーは、戻ってきた途端にその名を轟かせるんだろうな。何せ天才様だし」


「ちょっと、その言い方何かヤなんだけどー」


ペシッ、とネメシアの肩を叩いたアシュリーは、ベンチの背もたれにもたれかかり空を仰いだ。その様子を見たネメシアも真似をする。


「……なるべく、早く戻ってこいよ?」


「なーに? 寂しいの?」


「……うるせぇよ」


「ふふ、ごめんなさい。そうね、なるべく早く戻るわ」


「約束だぞ」


「ええ」


バジリスタの首都、アストランティアでの再会を約束したアシュリーとネメシア。


だが、残念なことにこの約束が果たされることはなかった。


一ヶ月が経ち、半年がすぎ、一年が経ってもアシュリーは戻ってこなかった。あの日、首都での再会を約束したアシュリーは、ネメシアの前から忽然こつぜんと姿を消したのである。

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