第9話 騒動

「はぁ……何だかとんでもないことになっちゃったわね」


教室に戻ったアシュリーは、先ほどの出来事を思い出しため息をついた。


「だねー。せっかく天帝陛下のお言葉を聞けて感動してたのにさー」


「ほんと頭くるよねー」


アシュリーの机のすぐそばに立つダリアとジュリアが口を尖らせる。と、そこへドワーフのネメシアもやってきた。


「ねえ、ネメシア。さっきのオーガたちってさ……」


「ん……おそらくはテロリストだろうな。天帝を直接暗殺しようなんてオーガだから、バジリスタ解放戦線のメンバーじゃないのか」


やはりそうか。白昼堂々、教育機関の建物にまで押しかけて天帝の暗殺を図るとは。敬愛する天帝陛下が襲撃されたことに対する怒りはもちろんあるが、なぜ彼らがそこまでの情熱を注げるのかアシュリーは不思議だった。


かつてこの地を追いやられた祖先のため? いや、そんなはるか昔のことのために命を懸ける? アシュリーは目の前でもの言わぬ肉塊へと変えられたオーガの姿を思い出す。


あのとき、彼らは迷うことなく天帝陛下へ刃を向けた。そして、天帝陛下も容赦なく二名のオーガを亡き者にした。


何となく引っかかるというか、モヤモヤする。そして、こんなときはいくら考えても答えなど出ないことをアシュリーはよく知っていた。


まあいいや。テロリストのせいで水を差されちゃったけど、天帝陛下のありがたいお言葉は聞けたんだし。


目の前でテロリストが殺されたのはちょっとショックだけど、慈悲深くお優しい天帝陛下を狙うという暴挙に及んだのだから、仕方のないことだ。アシュリーは両手のひらで頬をパシッ、と叩くと、頭のなかを切り替え始めた。



――担任の教師によれば、やはり襲撃者のオーガはテロ組織『バジリスタ解放戦線』のメンバーとのこと。天帝陛下が学園へ視察に訪れるとの情報を入手し、暗殺するため行動を起こしたようだ。


「アシュリ~、帰ろ~」


「そうね、ダリア。今日は私もちょっと疲れちゃったから、早く帰ってゆっくりしたいわ」


いや、本当に今日は疲れた。天帝陛下にお会いできてお言葉を聞けただけで結構な疲労感だったのに、あんなことがあったし。こんな日は早く帰って休むに限る。デージーも待っていることだし。


「あれ? ジュリアは?」


「あー、ジュリアはトイレ。大講堂で衝撃的なシーンも見ちゃったし、ちょっとだけ参ってるみたい」


「そっか……まあ無理ないよね。一度教室へ戻ってくるだろうし、待ってようか」


もう一度、自分の席へ腰をおろすアシュリー。その隣にある机の上にダリアが腰かけた。


「ん? 何だアシュリー、帰らないのか?」


アシュリーのそばを通ろうとしたネメシアが声をかける。


「ジュリアがトイレみたいだからちょっと待ってようかなって」


「そうか。それじゃあ、また明日な」


「ええ。また明日、ネメシア」


のっしのっしと離れていくネメシアの大きな背中を見送るアシュリーとダリア。ネメシアを兄貴と慕うサフィニアが急いで彼のあとを追いかけていった。


「ねえ、前から思ってたんだけどさ。アシュリーとネメシアってちょっとイイ感じじゃない?」


「え、そう? いや、全然そんなことないと思うんだけど……」


「いやー、だって普通エルフとドワーフってさ、もっとギスギスしてるもんだよ? 実際、この学園でもネメシアたちドワーフに冷たくあたっているエルフは多いし」


「ああ……そういうのって、私はくだらないと思ってる。種族間の争いだとかヒエラルキーだとか、そんなもの私にとってどうでもいいのよ」


「ってことはやっぱり!?」


「いや、それとこれとは話が別でしょ。どうしてあんたはいつもいつもそうやって恋バナにつなげたいの」


「えー、恋バナ楽しいじゃ~ん、女子らしい話しようよ~」


「悪いけど興味ないわね」


アシュリーがそっけなく言う。


でも、昨日のネメシアはちょっとかっこよく見えた、気がする。知らんけど。そもそも、恋なんてしたことないんだから、どんな感情なのか分からないんだもの。


まだぶつくさ言っているダリアから視線を外し、アシュリーは窓の外へ目を向けた。



――学舎を出て校門の近くへ差しかかったネメシアは、訝しがるような表情を浮かべた。何やら校門のあたりが騒がしい。ちょっとした人だかりもできている。


「よっ……と。ちょっと悪いな」


野次馬をかき分けて進んだネメシアの目に飛び込んできたのは、一人の少女が三名のエルフに絡まれている様子だった。なかなかの美少女だと思ったネメシアだが、それが昨日アシュリーと一緒に助けたオーガの少女、デージーであることに気づく。


「よおよお! 何でオーガのガキがこんなとこにいんだよ!?」


「そうだ! 今日天帝陛下を襲撃したのもてめぇらの仲間だろうが!?」


「襲撃がうまくいったかどうか確認しにきたってのかぁ!?」


デージーに絡んでいるエルフは、学園でも折り紙つきの不良どもだ。そこそこ魔法技術に長けているうえに、有力者を親にもつ者もいるらしい。


「あう……わ、私はそんなの知らないのです……本当なのです……」


エルフに囲まれすっかり委縮してしまったデージーは、肩を竦めわずかに震えていた。恐怖のためか声も弱々しい。


「嘘つくんじゃねぇ!! オーガの分際で俺たちエルフに立てつこうなんざ百年早いってんだ!」


大声で怒鳴られ、ビクッと肩を大きく震わせる。ネメシアはさすがに見ていられなくなった。


「おい。そのへんにしたらどうだ?」


ガラの悪いエルフたちが、一斉にネメシアのほうへ振り返る。


「何だぁ? てめぇはよ!? 俺たちに何か文句でもあるってのか!?」


学園一、もしかすると国一番ではないかと噂される怪力の持ち主、ネメシアのことを知らない生徒はいない。つまり、エルフたちは虚勢を張っているのだ。事実、威勢よく吠えているエルフの頬を冷たいものが流れ落ちている。


「文句があるから言ってるんだ。お前ら、寄ってたかってこんな小さなお嬢ちゃんを詰めるなんて恥ずかしくねぇのか?」


「な、何だと!?」


「ふん。そんなんでエルフは誇り高い種族だなんて、よく言えたものだな」


「て、てめぇ! ドワーフの分際で俺たちエルフをバカにするのか!?」


ネメシアは心のなかで舌打ちをした。ヒエラルキーの頂点に位置するエルフと正面切って敵対するのは正直なところよろしくない。だが、かといってデージーを放っておくこともできなかった。


「俺たちゃよ、こいつは天帝陛下を狙った奴らの関係者だと睨んでるんだ。だから、これからちょっとつきあってもらって、体にいろいろと聞かせてもらうのさ」


一名のエルフが下卑た顔でデージーのつま先から頭のてっぺんを舐めるように視線を這わせる。次の瞬間、目にも止まらぬ速さでエルフとの距離を詰めたネメシアの、鈍器のような拳がその顔面にめり込んだ。


「ぎゃっ!!」


ゴロゴロと地面を転がるエルフ。ネメシアはそれを無視するように、のっしのっしとデージーに近づくと自分の背後へ彼女を隠した。


「てめぇらみたいな腐れ外道にはお仕置きが必要だな」


覚悟を決めたネメシアが、残り二人のエルフを鋭い眼光で睨みつける。まさか手を出されるとは思っていなかったらしく、エルフたちは見るからに狼狽していた。


「あ、兄貴! エルフと正面切ってやりあうのはマズイっすよ……!」


ネメシアの背後からサフィニアが小声で懸念を伝える。そんなことはネメシアだって百も承知だ。マズイことをしているのは分かっているが……。さて、どう落としどころを見つけるか。ネメシアが苦手な頭を使う作業をしていたところ――


「……何をしているの?」


弾かれたように振り返ったネメシアの目に映ったのは、学園始まって以来の天才と評されるアシュリー・クライスだった。

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