お嬢様は今日も美しい
きさらぎ
第1話 お嬢様の婚約者
「フランチェスカ・ローシャス。こちらに来い」
唐突にホールに響き渡る怒声。
今日は学園のダンスパーティー。華やかに着飾った生徒たちがダンスや歓談を楽しんでいたそんなところに似つかわしくない不快な声が私の耳に届いた。
声の主はベルナルド王太子。金髪碧眼の整った容姿にすらりとした体型はまさしく王子様という感じ。ではあるけれど……今は苛ついているのか顔が歪んで見えて醜い。
そして、その王太子の隣には一人の令嬢が仲良さげに並んで立っている。まるで婚約者であるかのように。
彼女の名前はコレット・ラウザード男爵令嬢。
ふわふわしたローズピンクの髪にくりっとした空色の瞳。可愛らしい容姿と華奢な体が庇護欲をそそるのだろう。少しの怯えを見せつつ、さらに王太子にしがみつく男爵令嬢には浅ましさしか感じない。
賑やかに華やいでいたホールは今は水を打ったように静かだ。
皆が王太子たちに注目し成り行きを見つめている。
生徒間の交流を目的に開催されるダンスパーティーを誰もが楽しみにしていた。それなのに、穏やかに流れていた空気を王太子が不快な怒声とともにぶち壊してしまったのだ。
まったく、何を考えていることやら。
「何をしている。フランチェスカ。早く来い」
苛ついた王太子が声を荒げる。
「仰せのままに」
隣から凛とした声が響いた。
ふわりと甘い香りが鼻をかすめ、さらりと長い髪が揺れる。
淡い金色の髪と新緑の若葉のような翠の瞳。白磁のごとくなめらかな白い肌に無機質にも見えるお人形のように整った容貌は、まるで春の到来を告げる初春の女神を具現化したかのよう。
「……お嬢様」
私の隣から離れて王太子の元へと歩みを進めていく一人の令嬢。
そのお方の名前はフランチェスカ・ローシャス公爵令嬢。私マリエ・テンベルク子爵令嬢が侍女としてお仕えしているお嬢様なのです。
シャラン、シャランと神聖な鈴の音が聞こえてきそうな優雅な足取りで進んでいく。
お嬢様が、一歩、一歩進むたびに周りの生徒たちから感嘆のため息が零れ、息をするのも忘れて見惚れる者もいる。
そうでしょう。そうでしょう。
お嬢様は美しい。
ひれ伏したくなるような衝動にも駆られる神秘性をともなった美しさ。
私も五年ほどお仕えしておりますが、未だにその美しさにドキドキしますし、見惚れますし、うっとりとしてしまって、お世話の手が止まってしまうこともしばしばでなかなか慣れません。
多分これは一生続くのではないかと思っています。それほど、お嬢様は美しいのです。
それに、お嬢様は美しいだけではなく学業も優秀。語学も堪能、マナーも完璧。
少々、無口ではありますが、その分余計な無駄話や噂話や悪口などなさいませんしそれらに惑わされることはないので安心です。
そんなお嬢様の唯一の汚点。
それは……
男爵令嬢を引き寄せ腰に手をまわして、これ見よがしに見せつけている王太子。
寄り添う相手、間違っていますけど。
本来なら王太子の横にいるのはお嬢様のはずなんですけどね。何を血迷っているのやら。
そうなのです。お嬢様の唯一の汚点。
それは、王太子の婚約者だということ。
決して優秀とは言えない王太子殿下。彼は正妃様のお子ではありますが第二王子。正妃様のご実家は、可もなく不可もない何の力も持たない伯爵家。
対して第一王子をお生みになった側妃様のご実家は政治・経済にも多大な力を持っている侯爵家。
第一王子の上に権力も強大な側妃様に対抗するには強力な後ろ盾が必要不可欠。
そこで、たまたま同い年だった筆頭公爵家のお嬢様に白羽の矢が立ってしまった。
王族の臣籍降下で興ったローシャス家。血筋も財力も申し分ないのが災いしてしまった。政治事には関心がなく、ましてや娘を王太子妃になどと考えていなかった当家。
公爵である旦那様もずいぶんと頑張って下さったようなのですが、再三の懇願に根負けしたというのか、王家に逆らい続けるのも不敬に当たるとして渋々了承する形で収まった。
当のお嬢様は王太子には微塵の興味も示さず、我関せずを貫いていらっしゃる。王太子もお嬢様がお気に召さなかったのか、最初から傲慢で不遜な態度を隠さなかったですからね。
貴族の婚約というものに本人同士の意思など関係ないとはいえ、できれば好感を持てる相手であればよかったのですが。
なまけ癖のある王太子で王家の教育もさぼり気味であまり進んでいないとか、視察と称してお付きの者の目を掻い潜って下町で豪遊しているとか、婚約者ではない令嬢を常に侍らせているとか……どこまで本当なのかわりませんが悪い噂に事欠かない王太子。
そんな中でも、婚約者でない令嬢を侍らせるというのは真実ですね。現に今目の前に隠すこともなく、男爵令嬢が婚約者のごとくぴったりと寄り添っているのですから。
やがて、湖に張った静謐な水面のごとく清閑な佇まいで王太子と対峙されたお嬢様。
さて、どんな結末になるのやら、お嬢様のおそばに控えつつ、とくと拝見いたしましょう。
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