第17話 そうだ、チョコを作ろう

「つってもチョコなんて作ったことないし、台所は母さんの砦だからな……」


 俺はバレンタインを目前にしながら、ライブを終えてベッドの上でごろごろしていた。


 浩之は今日も有能なマネージャーっぷりだった。ライブが終わって詰め寄ってくる男性ファンをそれとなく牽制してくれたり、女性ファンがサインを求めてくるのを整列させて会話させやすいようにしてくれたり。


 本当に浩之なしじゃここまで来れなかった。俺一人じゃどこかで潰れて、諦めて、ふてくされて、大好きだった歌まで捨てて母さんの犠牲に殉じようとしていたに違いない。


 そんな浩之がもし喜んでくれるなら。チョコを渡すって言うのは有効な手段だ。


 だけど台所は使えないし、そもそも誰かに気があるのかと知れたら母さんはまた烈火のごとく怒り狂うだろうし、そう考えるとうんざりしてくる。


 人間は母親を選んで産まれてくるなんていう都市伝説もあるが、本当だとは思えない。


 そんなとき、スマホのバイブが鳴った。起き上がってアプリを開くと、さおりから一通着信がきていた。開いて読んでみる。


『やっほー。また公園でボイトレしてんのかな? バレンタイン浩之に渡すの? さーたん先輩気になっちゃうなー!』


 そして「にしし」とアニメっぽいキャラが笑っているスタンプが送られてくる。


 俺はイラっとして反撃しようとして、ふと思いとどまる。


 そうだ、さおりがいた。女の子の体でお邪魔してチョコを作るなら別に怒られないだろうし、さおりという女の子の家なら誰か好きな人がいてチョコを作ったりするかもしれない。


 これだ。これしかない。


 さおりを頼るのはまだ少し怖いが、浩之がそれで喜んでくれるなら、俺はなんだってする。


「一応義理で浩之には渡すよ。親友だし、普段から世話になってるしな」


『やーーっぱり! やっぱり手作り?』


「そのつもりだけど。本命とかじゃないからな。あくまで義理だから、そこんとこ勘違いしないように。んで、相談があるんだけど」


『なになに? さおりお姉さんが相談に乗ってあげよう!』


 お前同学年だろ、というツッコミを心の中にしまって、俺はチャットを続ける。


「それはありがたい。んじゃあ、さおりんちの台所貸して」


『おろ? 自分ちで作らないの?』


「母さんにバレるといろいろうるさいんだよ。女ならわかるだろ」


 そう言葉を濁すと、少しの間さおりからの返事がなかった。そしてぴろん、と着信音が鳴ったのでスマホに飛びつくと、こんな文面が返ってきていた。


『今お母さんに聞いたけどいいよーって! あと、お礼に勉強教えてくれない? 前の期末赤点取っちゃってやばいんだよね……』


「それは構わない。いつなら都合がいい?」


『んー。バレンタイン前の日曜日かなー。でも、誰かにチョコあげようなんて、ほんと瑛太ちゃん変わったよね』


 本当にその通りすぎてぐうの音も出ない。こんなんじゃガチで恋する乙女みたいな感じだし、さおりにからかわれても仕方ない。


 しかし、背に腹は代えられないのである。さおりしか頼める人間がいない以上、どんなふうに言われるのも覚悟の上だ。


 思えば、最初に出会ったとき。こんなふうになるなんて誰が想像できただろう。人を見る目がある浩之だってこんなふうになるなんておもってもいなかったんじゃないか。


 本当に恋愛感情はなくて、このチョコは普段の感謝の気持ちだ。まあ、浩之なら勘違いされてもやぶさかでは……。


 ちょっと待て、俺は今何を思った。


 あっちから来るならまんざらでもない的な思考は危ない。それに第一俺は……。


「あー、今は女の子だったか」


 そんな言葉がぽろりと漏れる。思考が体に引きずられていっているのは感じていたが、乙女脳まで搭載し始めるとは思わなかった。


 それでもそれはあちらから来たら、の話であって、俺に恋愛感情はまだ一切ない。親友だという気持ちは日に日に高まっているが、そっちのほうはさっぱりである。


 ぼーっと考え事をしている場合じゃなかった。返事を返さなくては。


「そんな変わったかな。実感ないわ。もし変わったとしたなら、それは浩之のせいだな」


『恋する乙女みたいなこと言っちゃってー! 実際どうなの? 好きなの?』


「友達としては好きだけどそういう意味では一切」


『……瑛太ちゃん、結構すぱっといくよね。浩之がこの場にいなくてよかったかも』


 なんだよ。浩之がこの場にいるとなんかあるのかよ。確かに日ごろの感謝を忘れて媚びるのを忘れるなという意味なのかもしれないが、俺たちの関係はいたってドライだ。


 いや、たまになんか変な雰囲気になるときはある。でも俺がそれを嫌がると浩之はすっとその雰囲気を消してくれるから、あっちも恋愛感情はないと思ってる。


「浩之だったら平気だろ。心配しすぎ」


『そうかなあ。まあ浩之に詳しい瑛太ちゃんがそう言うなら大丈夫か。じゃあ今から店長にかけあってみるから、ちょっと待ってね』


 それ以降返信が途切れたのを見て、俺は再びベッドに寝転がる。


 何となく浩之の声が聴きたくなった。だが今は浩之はバイト中だ。終わるころまた電話をかけてみよう。バレンタイン周辺の浩之の予定も聞いておかなきゃならないし。


「はぁー……」


 大きく息をつく。バレンタインであげる側になるなんて、思ってもみなかった。そりゃ、加藤店長や他の男性従業員さんには一応女の子として持っていったほうがいいか、くらいには思っていたが。


(浩之にだけ特別、ってのがなあ)


 それが恥ずかしさの原因だ。こんなとき、俺が純粋な女の子だったらなあ、と思わずにはいられない。


 この時期の居酒屋は正月付近の新年会のピークも落ち着いてきているから加藤店長もちょっとは暇だろう。


 チョコ。喜んでくれるだろうか。


 俺はそんなことを考えながら、さおりからの連絡を待つことにした。

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