ハスキーボイスのTS娘とわんこな親友くん
新垣翔真
第1話 ハスキーボイスの歌姫はわんこと出会う
人にじろじろ見られながら設営するのには慣れている。
持ち歩きできるタイプの発電機に配線を接続し、エレキギターの端子をアンプに刺してミニスピーカーの音量を調節する。あまりうるさいとクレームがくるからだ。
相変わらず、駅前通りという人が集まるところを選んだにもかかわらず立ち止まる人は誰もいない。
それもそうだ。引っ越し当日の日曜日、早々に夜出かけてストリートミュージシャンを見ようなんて人はいないだろう。ましてや、冬にフードつきのパーカーを目深に被ってまともに顔も見えないんじゃ、興味を失うのも道理というもの。
設営が完了していざ歌おうというとき、一人の少年が視界に入った。
見た目は普通。とりたてて特徴があるわけじゃない。ダサくもないし、かといっておしゃれでもない。ごくごく普通の、俺と同じ高校生くらいの少年。
まだ歌ってないのに人がいるなんて珍しい、とテンションが少し上がる。まあ、それでも俺の歌を聞いて最後まで残っているかは謎だが。
俺はスタンドマイクを持ち、あーあーと声を出して音量が適切であることを確認すると俺は表の顔で喋りだす。
「そこにいるお兄さん、ありがとう! この寒いのに立ち止まらせちゃって悪いね」
「いっ、いや! 綺麗だな、って……」
照れくさそうに言う少年に少しだけイラっとする。
そりゃ目から下は見えているので俺の顔が整っているのはわかるだろうが、綺麗だって? 俺は男……。いや、元男だ。そういうのも賛辞と受け取っておこう。
「綺麗だなんて、ありがとうお兄さん。ついでに俺の歌聞いていってね」
少年はこくこくと、まるで犬のしっぽがついていたらぶんぶんと横に振られているのだろうなと思うほど少年の顔がぱあっと明るくなるのを見た。
まあ、関係ない。俺は今夜、許可を得た時間内で歌えるだけ歌うだけだ。
ギターで旋律を奏でながらバラードを歌い始める。
しっとりとした、俺の女の喉から出る限界の低い声で歌う失恋した男の恋の歌。
『君がもう一度振り向いてくれたらどれほどいいだろう。僕は、こんなに君を想っているのに』
歌を歌いながら、ちらりと少年のほうを見る。そして少しぎょっとした。
少年は、泣いていた。本当に、ぼろぼろと、ハンカチをぐしゃぐしゃにして鼻水を垂らして泣いている。こんな反応をされるのは産まれて初めてだ。
俺は途中で歌うのをやめるわけにもいかないので、ラストサビまで歌い終えた。
前まで出ていた声が出ない。それもこれも、TS症候群とかいうのが悪いんだ。そうすれば、俺は──。
そんなことを考えていると、がばっと抱きしめられたのを感じた。久しぶりに嗅ぐ男の匂い。懐かしくて、悔しくて、俺は暴れる。
「やめ……っ! 何すんだよ!」
少年を強引に突き飛ばしてから、俺はしまったと思う。
突然のこととはいえ素が出てしまった。天真爛漫キャラで通してハスキーボイスで落とすという俺の計画が台無しだ。
少年は突き飛ばされたことにぼーっとしてから、顔を真っ赤にさせる。いや、女かよ。
「ご、ごごごめん! あんまりすごい歌だったから興奮しちゃって……! 嫌だったよね、ごめん!」
「嫌だったけど……。そんなふうに必死に謝られるとこっちがいじめてるみたいになるな……」
そう言って少年の背後を見る。
俺の歌が好みというより、抱き着かれた衝撃でフードが取れた俺の顔をガチで見ている。本当に、こいつら覆面シンガーとかがどれだけ血反吐吐く思いで頑張ってるか知らないだろ。
少年は落ち着いたのか、俺が迷惑がっている雰囲気を察したのかようやく離れていった。そして俺の顔を見て、ぎょっとする。
「え、きみ、女の子だったの!?」
「俺は男だ!」
「……? どう見ても女の子にしか見えないけど」
俺は天然な少年の受け答えに頭が痛くなってくる。
TS症候群が全世界で確認され、波及してしまった現代。その割合は100000人に一人と言われ、流行の病とされている。
何事か起きるとニュースになるその病気をこの少年が現代日本で知らないはずがない。
「あのな、TS症候群って言えばわかるか?」
「TS……。ああ! 男が女の子になったり女の子が男になったりするあれ!?」
「そう。……もう本性見られちゃったし、もう関わり合いになることもないからいいよ。きみ、どこ高?」
「菅原第一高等学校だけど」
「……え?」
「いやだから、菅原……」
「う、ううう嘘だ! お前、俺のストーカーだろ!?」
今までもこの容姿のせいでストーカー被害にあったことがあった。その中の一人だとすれば俺の転校先の学校を知っているのも納得だ。
「こんにゃろ、今警察に突き出してやる!」
「ちょ、違うんだって! おれ、本当に菅高に通ってるんだって! 学生証だってあるよ! ほら!」
そう言って少年がポケットから取り出された学生証は、確かに先日引っ越し前の家に届いた学生証そのものだった。
名前は山本
そこまでされて、俺はようやく浩之の話を信じる気になれた。俺が落ち着いたころには道行く人たちは興味を失ったように散っていく。
「あー、山本浩之くん」
「うん!」
「俺のどこがよかったわけ?」
「綺麗だった! まるで芸能人みたいで!」
こいつ。的確に俺の地雷を踏みぬいていきやがる。まあ事情を説明する道理もないし、誉め言葉として受け取ることにする。
「あー、そうかい。ありがとう。さすがにクラスまでは一緒じゃないだろうから、これで会うのも最後かな」
「おれ、一年C組! 君は?」
「……は?」
クラスまで一緒とか、マジで言ってるのか? こいつ、本当にストーカーじゃないのか?
「一年C組、だけど……」
「わあ、そしたらおれと一緒だ! よろしくね、えーっと」
「……
「え?」
「藤原瑛太。俺の名前」
浩之はぽーっとどこかに精神を飛ばしたまま突っ立っていた。そしてもう一度抱き着いてくる。
「名前、教えてくれたんだね! うれじい!」
「あー! ハンカチで顔拭け! 鼻水を俺につけるな! うあー!」
再び道行く人たちが俺たちの押し問答を眺めている視線を感じながら、俺は不幸だ、と内心嘆いた。
俺は浩之みたいなわんこ系は苦手なんだ。こんなんが今後俺の後ろを犬っころのようにわんわんわんとくっついてくるなんて冗談じゃない。
「あ”ー! いい加減離れてくれ! 歌えねえ!」
「……はっ。お、おおおおおれ、女の子に抱き着いて……!」
浩之はようやく自分の立場がわかったらしい。再び真っ赤になって離れていった。
「俺は男だから気にするな。まあ、女になったつってもおっぱいもちっこくてまな板みたいだしな」
「そうなんだ……。じゃあ、友達になろう! 瑛太が男だって言うなら、俺も男だしいいよね!?」
「はあ? 冗談じゃない。俺は友達なんていらない」
きっぱりと言いきると、浩之は寂しそうな顔をした。俺はスタンドマイクを握りなおし、しっしっと浩之を離れさせる。
「さすがに近くで聞いてるとうるせーぞ」
「う、うん」
そうして、冬の夜空にハスキーボイスが小さく響く。Jポップや恋愛ソング、アップテンポでテンションが上がる曲。どれを聞いても浩之はわくわくとした顔で全部聞いてくれた。
そして俺が片づけを始めると走り寄ってきて、俺の顔を覗きこんで拍手する。
「すごかった! ストリートシンガーがこんなにすごいなんて知らなかったよ!」
「観客はずっとお前ひとりだったけどな」
「おれ、これからも聞きに来るよ! そういえば俺の隣の列が席一個増えてたから……。もしかしたら、席隣かもな! そしたらよろしく!」
浩之はウィンクするが、俺はげっそりとしながら機材を片付けていく。
「隣になれたらいいな。それじゃ、俺はこれで」
「送っていくよ! こんな時間に女の子が一人じゃ危ないし」
「ここの近くだからここでやれたんだよ。それにまだ家とか知られたくないし。んじゃ、学校でな」
俺は最大限の譲歩を最後に残し、しゅんとする浩之を背にして大きなバッグとスタンドマイクが入った縦長のケースを背負ってその場を後にする。
これが今までと違う、どたばたとした毎日の始まりなんて、俺は知らなかった。
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