第17話

 椿原つばはらひよりは無言でパソコンに向き合っていた目を上げると、ホワイトボードの前に座った紅太郎を見た。卒業制作の見直し作業をするためにひよりはスケジュールの調整を、紅太郎は配役の代打を検討している。

 紅太郎は台本を開いてはいるが、さっきからページをめくる手は止まったままだった。星斗を追い出してから三十分ほど経っている。


「その、紅太郎君、星斗君のことだけど……」


 ひよりは意を決しておずおずと口を開いた。


「ごめん。俺、ひよりさんの意見も聞かないで勝手に……」

「う、ううん! それはいいんだけど……わたしもどうしたらいいかわかんなくて……ごめん」


 また会話が途切れた。ひよりは紅太郎が星斗に対してあそこまでの態度をとるとは思っていなかった。星斗は追い出されたあと、何度かドアを叩いてたが諦めて帰ったようだ。


「やー……ああいう時くらい、わたしが言うべきだったよね。びしっとさ」


 ひよりは玲央の声が出なくなったという緊急事態でさえロクな働きができない自分に嫌気がさした。


「そんなことは……」

「いやいやー……こないだっから莉子ちゃんにも迷惑かけまくりだし、ほんっと最低ですよ。そりゃ一年生も辞めるわ」


 なるべく暗くならないように明るい口調で言った。紅太郎は台本を閉じて、力なく首を振る。


「星斗君のことだって、わたしが早く気づいてたら対処できたかもしれないのに……」


 星斗が演技指導と称して連日玲央を連れ出していたことを、莉子に言われるまで知らなかった。会長である自分の落ち度だ。


「それなら、俺もじゃん」

「でも、紅太郎君は他の一年生の指導でそれどころじゃなかったでしょ? 全体を見ないといけなかったのは……」

「ひよりさんはそうやって一人でなんでもかぶろうとするけどさ、そもそもキャパオーバーだったんだよ。二年生の人数が足りないのはわかってたんだから、俺らはもっとちゃんと話し合って動かないといけなかった」


 ひよりは返す言葉もなく黙る。言い切った紅太郎は顔を手で覆って、大きな息を吐いた。


「……とか、えらそうなこと言ってるけど俺が悪いよ。自分の都合で星斗のこと避けてて、レオがそこまで追いつめられてると思ってなかった」

「紅太郎君はなんで星斗君のこと避けてたの?」


 ひよりは修学旅行の時に聞けなかったことを改めて聞いた。思えばあの日を境に三人の間にあった溝が露呈して、お互いに避けるようになった気がする。


「それは……」


 一度は口を開こうとしたものの、紅太郎から続きの言葉は出てこなかった。よほど言いたくない事情があるのかもしれない。誰しも触れられたくない場所はある。ひよりはしばらく待ったのち、謝った。


「ごめん、いいの。言いたくないなら言わなくて……でも、そうだね。紅太郎君が言うようにわたしたちは自分のことに必死でコミュニケーションが足りなかった」


 ひよりは落ちるところまで落ちて、やっと客観的に周囲を見ることができた。本来なら部員の半数が辞め、玲央がこんな事態になる前に気づくべきだった。紅太郎がどんなフォローをしてくれようと、事実は変わりようがない。


「今更後悔してもしょうがないけど……気づいたなら行動しなきゃ」


 言い聞かせるように、ひよりはつぶやいた。紅太郎も何か考えるように俯いている。机の上に置いてあるスマホが震える音が響く。いつまでも、後悔の言葉を口にしている暇はなかった。


「とにかくわたしは玲央君が復帰しなくても映画撮影がまわるようにこの土日でスケジュール調整してみる。莉子ちゃんとも連絡とりながら……あと、雪花先輩にも相談して……」


 やっと固まっていた頭が動き出した。紅太郎も頷きながら、スマホを覗き込んで帰り支度をはじめる。

 

「わかった。俺はレオに連絡とってて、さっき返事があったからこのあと行ってみるよ。リコさんにも会えたらひと言伝えておく。準備会でなにか手伝えることがないかって」


 軽音部のフォローはひとまず紅太郎に任せることにした。今は会長として目の前の仕事に集中するしかない。何かあればすぐお互いに連絡するよう約束すると、紅太郎は寮に行くために出て行った。

 ひよりは一人残された塔の中で、莉子と雪花にメッセージを送信する。とにかく今できることをしようと、自分に言い聞かせた。



 ***



 寮の前に立った紅太郎は時計を見ながらインターフォンを押した。メッセージのやり取りはしていたため、すぐに玲央が出てきて鍵を開けてくれた。部屋着でマスクをつけた玲央は身振り手振りで紅太郎を部屋まで案内する。

 声がでない以外はいつもと変わらなく見えて、安心した。


『ごめん、なにもなくて』

「え! いいよ。こっちこそ急に来てごめんな」


 会話はスケッチブックで筆談することになった。玲央の提案に紅太郎の否はない。玲央が書く間、紅太郎は落ち着かない様子で部屋を見回した。

 玲央の部屋は殺風景でベッドとデスク以外で目立つのはギターくらいだ。紅太郎にはどう使うかわからないが、アンプやヘッドホンなども置いてあった。


『来てくれてありがとう。嬉しい』

「おう。ていうか、ごめんな……俺」


 紅太郎が謝ると、玲央は首を傾げた。


「レオのこと、一時期避けてただろ? 合宿の時とか……何度か話したそうにしてたのに」


 玲央の声がでなくなった原因はわからない。けれど、紅太郎が準備会に誘ったにもかかわらず避けていたことは謝らなければ、と思っていた。合宿で尋ねられた時ははぐらかしてしまった。

 卒業制作に出ると約束し、夏休み明けに星斗の脚本が決まった時も紅太郎は前向きだった。修学旅行で再び昔の夢を見るまでは──。


『それはちょっとショックだった。でもなんで?』


 玲央がスケッチブックに書きつけた文字を見て、紅太郎は口を開く。


「過去のことに触れられるのが嫌だったんだ。レオと話すとどうしても昔の話になるだろ? 俺がレオを準備会に誘っといて何言ってんだって感じだけど……でも一方的に避けるべきじゃなかったよな」


 紅太郎がちゃんと話をしなければと思いながら後回しにしているうちにこんなことになってしまった。玲央はまたスケッチブックを開く。今度は早かった。


『昔の話、なんで嫌?』

「それは……」


 紅太郎はひよりに聞かれた時と同じように詰まった。どこまで話すべきか、決心してきたにも関わらずまだ迷っている。


「レオさ、肝試しした廃病院って覚えてる?」


 やっとそれだけ口に出した。玲央は激しく首を縦に振って頷いている。


「あそこでさ、みんなで肝試しやって怒られただろ? そのあと……レオ一人で行ったりした?」


 紅太郎は夢で後ろに立っていた玲央のことを思い出しながら喋った。夏の夜に、廃墟に行った記憶は現実だ。でも実際に玲央がいたのか、それとも見られたくないという紅太郎の罪悪感が玲央という目撃者を生んだのかわからないでいた。


『思い出してくれたの⁉』


 玲央は前のめりで尋ねた。クロッキー帳の文字が興奮で乱れている。紅太郎が黙っていると、立ち上がってデスクの引き出しを探り始めた。


『こうちゃんはもう忘れてるかと思ってた』


 玲央は紙袋を紅太郎に差し出した。


「なに、これ?」

『開けてみて』


 マスクを外した玲央はにっこりと微笑んでいる。紅太郎はなぜか嫌な予感を覚えながら紙袋を受け取ると、そっと中を見た。白いナイロン袋から赤い色が透けている。


「これ……」


 紅太郎はそう言ったきり、続きの言葉が出てこない。それは幼い日に紅太郎が必死に土を掘って埋めたものだった。


「……なんで?」


 呆然とつぶやくと、隣に座った玲央が心配そうに顔を覗き込んできた。


『こうちゃんが引っ越したあと、僕が掘り返したんだ。あの廃病院、取り壊されることになったから見つかるといけないと思って』


 玲央の顔には純粋な善意しかなく、紅太郎は背中にかいた冷汗を悟られまいと必死だった。


『ごめんね。嫌だった?』


 玲央は動けないでいる紅太郎の手から紙袋を取ると、中身を取り出した。ナイロン袋の結び目をほどいて逆さまにすると、フローリングの床にばらばらと音を立てて落ちた。それは夢で見た光景と酷似している。一つだけ違うのは妹が壊した時よりも更に原型をとどめていないことだった。


 ──そうか、俺が壊したんだ。


 紅太郎の眼前に思い出すまいとした記憶がよみがえった。大事にしていたプラモデルが欠けてしまった日、紅太郎は家を飛び出して廃病院の中に隠れた。尻尾が取れて、頭の欠けてしまったプラモデルはもう元に戻りようがなく、急速に色あせて見えた。怒りのままに床に何度も叩きつけ、その辺にあった石で更に粉々にした。


『ずっと返さなきゃって』


 紙の上を滑る油性ペンの音で紅太郎は我に返る。


『約束どおり、誰にも言ってないよ』

「あ、ああ……ありがとう」


 部屋中に散らばった赤い破片を拾うこともなく、玲央は続けてクロッキー帳に文字を書きつけている。異様な光景にのまれるように、紅太郎は喉の奥に張りついた言葉が出てこなかった。


『僕、こうちゃんが引っ越してからまたあいつらにいじめられるようになった』

「え? あいつらって……」


 唾を飲み込んで無理やり出した声はかすれている。


『近所のやつら。あいつらこうちゃんがいたから僕に手出しできなかったんだ。でも止める人がいなくなったら』


 玲央は更に文字を書き続ける。


『こうちゃんを責めてるんじゃないよ! それに僕、ちゃんとやり返したから大丈夫』


 玲央は再びにっこりと口の端を持ち上げる。紅太郎は一瞬ほっとするが、すぐに不安がよぎる。


「やり返したって……近所のやつら年上だったし、人数もいただろ?」


 紅太郎が昔住んでいた場所は新興住宅地で同じ小学校に通う子供たちが多かった。その中で、紅太郎や玲央の親は比較的あとから越してきたので立場が弱く、それが子どもたちのコミュニティにも反映されていた。


『うん、大変だった。でもがんばったよ』


 玲央はなにをしたか具体的なことは言わなかった。紅太郎は迷いながら、ようやく謝罪の言葉を口にした。


「そっか……ごめんな。急に引っ越して」


 玲央は激しく首を振った。


『でもまた会えたから』

「そうだな……」


 玲央は再びペンをとる。しばらくするとクロッキー帳を見つめたまま手を止めた。


「ん?」


 書き終わったのかと紅太郎が覗き込むと、笑いながら隠そうとする。よくわからないが楽しそうなので紅太郎も思わず笑ってしまった。声がでないことは準備会にも軽音部にも一大事だったが、玲央自身はあまり深刻そうなそぶりを見せない。

 紅太郎にとっては唯一の救いだった。


「なんだよ」


 見せる、見せないのやりとりでじゃれ合っている拍子にクロッキー帳が床に落ちた。玲央が隠していた言葉が目に入る。


『あの日、内緒にする代わりに僕とした約束、覚えてる?』


 紅太郎がクロッキー帳に気をとられて体勢を崩したところに、いつの間にか玲央が覆いかぶさっている。長い前髪の隙間から覗いた両目が見えるくらいの至近距離だった。

 玲央は急に真剣な表情で見つめたと思うと、紅太郎の腕を掴んで床に押し付けた。部屋のあちこちに散らばった破片が背中や腕に突き刺さる。その痛みが昔の記憶をよみがえらせた。


『僕とずっと一緒にいてくれる?』


 あの日、廃病院の中庭で紅太郎は玲央と約束したのだった。

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