抜け骸身につけ冬虫夏草。

ベアりんぐ

第1話 君ではないキミ

 冬虫夏草をご存知だろうか?


主に蝉の幼虫や昆虫類に寄生し、その外骨格内にある肉等を養分として成長、成熟する菌類の一種である。


冬虫夏草の菌類に寄生された虫は、体表面やその内部を養分とされることで、その生命を終える。


 それが例えば、人の身体だったとしたら?中身を食い、外部が元の人物だったとしても。記憶を引き継ぎ、そのナニカが元の人物に内面を寄せようとも。


別人であることには変わりない。その事実は変わることはない。


 もしも、恋人の容姿を重点に惚れたとして、その恋人が上記のように内面が全くの別人だとしても——




——その恋人を、愛することは出来るのだろうか。















         ◎◎◎















 中学三年の夏だっただろうか。思えば彼女と言葉を交わしたのは、それが最後だった。


あの時は未来のことを考えすぎて、目先の明日、来週の天気、季節の替わり目を見ていなかったのかも知れない。


もちろん、明日の自分や明日の彼女のことさえも。




「また、明日ね」




 彼女が発したその言葉を、噛み締める。あの時、僕はなんて返事をしたんだろう。


覚えているのは言葉ではなく、景色。


彼女の背で沈む太陽を、ぼんやりと眺めていたこと。分かれ道を行く彼女の小さく、しかし確かな姿。


 彼女も僕と同じだったのだろうか。明日、なんて言葉を口にしながら、明日なんて見てもいなかったのだろうか。


……いや、それは大事なことではないのかも知れない。結果として、彼女は自分の言った明日に、姿を現すことはなかった。


 彼女は消えた——。ある種の悔恨と希望、そして明日を遺して。




"……よ"


……誰かが、呼んでいる。


"……きろって"


やめてくれ。僕は彼女を遺してしまう。


"…起きろってば"


……ん?僕は、一体——


「起きろよ!もう授業終わったっての!……もう昼だぜ」


「……ん、あれ、北条?」




 目覚めるとそこには北条 俊也ほうじょう としやが居た。どうやら僕は眠っていたらしい。




「あのなぁ?お前寝過ぎだろ。昨日ちゃんと寝たか?」


「ん、いや……あんまり寝れてないかも」


「……授業寝るのは最悪良いとして、昼ぐらいは起きろよな~。ほら、食堂行こうぜ」


「うん」




 おぼつかない足取りで、北条の後に続く。いつもやっている行動のはずだが、今日はあの"夢"を見たせいで、意識がハッキリしない。


気がつくと食堂の椅子に座り、力の入りきっていない手で箸を持っていた。




東山とうやま、お前またあの夢見たのか?」


「ああ……これで何回目だろうな」


「もうあれから二年経つぜ。夏が魅せた奇妙な夢だと思って、スパッと吹っ切れようぜ。……そうだ!放課後カラオケ行こうぜ!クラスの女子も呼んでさ!」


「……悪いな、北条。生憎今日はそんな気分じゃないんだ。また今度にしてくれ」


「……分かったよ。にしても、西澤 芽衣にしざわ めいも罪な女だよなぁ。あの夏以来、パッと俺らの前から姿を消すなんて」


「……もしかしたら、本当に夏が魅せた夢なのかもな」


「かもなぁ~。……おっと、悪い!俺この後用事あんだわ。先行くぜ」


「うん」




 北条はそう言うと、いつの間にか食べ終えた空の食器を片付け、風のように消えていった。


それとは対照的に、僕の前にはほとんど進んでいない昼食が広がっていた。




「……いい加減、食べないとな」













         ◎◎◎













 授業が終わり、下校の時間。机に広がった真っ白のノートと、開いた形跡すらない教科書を鞄に詰め、教室から出ようとしていた。




「おいおい、俺を置いてくなんて酷いな。一緒に帰ろうぜ」


「……北条、お前今日はカラオケに行くんじゃなかったのか?他のメンバーも誘ってたりしただろ」


「いや~生憎、俺もそんな気分じゃなくなってな。だから、また今度にしたわ」




 そう言って僕の後に北条が続き、教室を出る。


学校の校門を抜け、帰路に着く。いつもと変わらない景色である。


 道を歩いている時、北条から話題を振って、それを僕が拾う。互いに笑いながら、時に怒るような真似をして、いつものように帰っていた。




「んじゃ、俺こっちだから。また明日な」


「……うん、また明日」




 北条の背を見て、あの日の光景と重ね合わせる。季節は初夏。まだまだ陽が落ちる時間ではない。




「……行くか」




 少し遠回りをして帰ろう。あの中学の帰宅のように。同じことを再現するように。


僕はあの夢を見るようになってから、あの夢を見た日にはこうして、なんの当てもなく遠回りをして帰ることにしていた。


もしかしたら、また彼女会えるのではないか、という現実的ではない考えを巡らせながら。


 近所の川沿い。小学生の頃に毎日通い詰めた公園。よく吠える犬を飼う家の側。そうして、彼女の欠片を探すようにして歩いた。


なんでもいい。彼女が記憶から消えぬよう。その姿、その仕草、その匂い。なんでもいい。


 そうしていると、いつの間にか陽がどんどん傾き、黒い影が地表を覆うようになっていった。




「……ここが、最後」




 最後に彼女と話した分かれ道。追憶の終わりにはちょうど良い場所だろう。


またも、彼女を想起する。


あの日、あの後。彼女の身に何があったのか。もしくは、本当に夏が魅せた夢だったのか。真相は分からない。


 そうしてぼんやりと立ち、傾き続ける夕日を眺めていた。しかし、もう行かなければ。僕には明日が残されている。




「……帰ろう」




 少しの残念さと、今日を生き、明日を迎える者として家に帰ろうとしていた、その時——。




篤人あつと、やっと会えたね」




 篤人は僕の名前だ。声を聞き、振り返る。瞬間、あの日と重なる。




逢魔時、というのを聞いたことがある。現実と非現実の境界、それが夕陽落ちる頃の時間帯である、というものを。




 近づく彼女に後退りし、しかし目を見開きながら問いを、おぼつかない口元から発した。




「お前は……誰だ……?」




 彼女が口を開く。その仕草、姿、匂い。僕が拾い続けた彼女の欠片を辿るとすれば、間違いなく——




「"西澤 芽衣"、だよ。久しぶり、篤人」




 夏が魅せた夢だったものが、この逢魔時に、姿を現した。

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