第28話「灰蜘蛛VS火猫ー2」

 “なに――――――、これ――――――”


 目の前に異形の光景が広がる。


 地獄という概念を内包したかのような、同時に生理的嫌悪を催させる世界。


 彼女は過去に「灰色の黎明会」のメンバーの一人の「界域」を見たことがあるが、それでもここまでおぞましいものはないと自身の感性が訴えている。


 なにしろこうして立っているだけで無意識に動悸が早くなり、“何か”に見られているかのような、寒気と悪寒が止まらなくなるような、そんな感覚が全身を支配する。


「か、界域かいいきですって……!? バカな、クリュサの報告だとこの男はそもそも総極そうごくを使えるなんてなかったはず!」


 震える体を押しのけるように灼華御前しゃっかごぜんは叫ぶ。


「そりゃあそうだ。あの時、俺はまだ鋼糸呪法しか使っていなかったからな。俺もこの術が成功するかは賭けだったが……、こうして出来てしまえば、どうにでもなるもんだ。それで? そんなにおぞましいか? この世界地獄は?」

「!」


 上空から結人の声がして灼華御前は見上げる。


 結人はいつの間にかそこらじゅうに張り巡らされた糸の上に立っていた。そして目に見える形で彼の体から灰色の魔力がオーラのように漏れており、その瞳も血のように赤く輝いている。


 遥か空中にぶら下がる六つの目の形をした切れ目から血が滴り落ちる巨大な繭を背にし、彼女を見下ろす姿に恐怖心すら感じてしまっていた。


 “なによ、アイツ……! 何もかも雰囲気が違いすぎるでしょ!”


 灼華御前は結人の変化に対し、動物的感覚で感じ取り、臨戦態勢を取る。


「さぁ、第二ラウンドの始まりだ」

「!! 焼魂しょうこんいしゆみつぶて!!」


 棍棒に変形させていた「奈苦阿ナクア」を三節棍に切り替え、消えたと錯覚するほどの速さで接近してくる結人に灼華御前は4つの車輪の稼働に回す魔力を更に回して術式を起動させる。


 出し惜しみは出来ない。する余裕すらもうない。その一念で4つの車輪の中央に展開された魔法陣から冥界の炎の弾丸を機関銃マシンガンのように掃射し始める。


“でもこれじゃダメ。あの速さで一度でも懐に入られたら迎撃する暇がない!”


 灼華御前自身、何も考え無しに戦っているわけでもない。今までも生き残るために自分の長所と短所を分析しそれを反映・克服し、自分に逆らった者たちを焼き殺してきた。

 全ては自分の目的のため。だから何よりも死を恐れている。自分が異世界に転生していた理由がわからないからこそ、“今死ぬこと”を恐れている彼女は神経質なぐらいに心配性で対策を怠ったりはしない。


 しかし今の状況は完全に想定外イレギュラーだ。葛城結人が「界域」を使うことが出来ること自体、想定外で対策のしようがない。


「ふん! はっ!」


 そしてその結人は自身に向けて放たれる炎の弾丸の数々を張り巡らされている糸を使ってバネのように飛び回りながら避け、当たりそうなものは軽く振るうだけで叩き落し、異常な動体視力を駆使して正確に他の糸に飛びつき、徐々に灼華御前に近づく。


「くっ! “炎熱。回転。燻る壁。閉じる門!”――――――焼魂・炎廻壁えんかいへき!」


 詠唱無しの魔術では、とてもじゃないが自分の身を守れないと判断した彼女は射撃に回していた4つの車輪のうち1つを自分の防御に回すことにした。

 車輪は彼女の前面に浮遊しながら、炎を噴き出し魔力障壁を周囲に展開する。結界ほどではないが、これは防御術式によるもので、銃火器換算で言えば対戦車ミサイルにすら耐えうる防御力の高さだ。


 後は少しでもダメージを与えてチャンスを伺うしかない。そう考えた。


「へぇ。そういう小細工は嫌いじゃない」


 その一言と供に、灼華御前の目の前にまでやってきた結人は三節棍を片手で持ち、勢いよく彼女の魔力障壁に向けてフルスイングする。


「ぐっ――――――! あぁっ!?」


 しかし、彼女の魔力障壁は凄まじい衝撃とガラスが砕けるような音と共に車輪ごと破壊され、そのまま灼華御前は大穴の壁辺りまで吹き飛ばされた。


「だが惜しい。コイツを防ぐにはもうちょっと硬さが足りないだろ」


 黒い笑みを浮かべる結人は三節棍を持ち直し、構えなおす。


「ぐぅ……! この、ふざけんじゃないわよ!!」


 灼華御前はそう叫ぶと、破壊された車輪をもう一度再構築し、そのまま詠唱を始める。


「“聞け! 今もなお焼かれ続けし亡者よ! 彼岸の果て、根の底より来たりて、生者を食らえ!”」


 空間を震わせる怨嗟が入り混じった言霊。彼女は4つの車輪を自分の周囲で回転させ、自身の炎を周囲にまき散らすように、魔法陣を展開した。


 すると、展開された魔法陣からそれは現れた。


「“あぁぁぁぁ”」

「“熱い、熱い、熱い”」

「“痛い、苦しい、許して”」


「――――――!」


 その姿に結人は目を見開く。


 炎に焼かれ続ける、亡者たちの姿。助けを求めるように目や口から炎をまき散らしながら、救いの手を伸ばし続け、蠢いている。


 それだけではない。


 灼華御前の操る車輪と似た車輪に括りつけられ、焼かれ続ける亡者の姿も一緒に現れ、それらがふよふよと浮かび、生者である結人に向けて炎の涙をこぼす。


 そんな、いくつものの炎の責め苦を受けし亡者たちが姿を現し続ける。


総極そうごく――――――、火猫かびょう変転へんてん紅蓮ぐれん等活とうかつ地獄じごく!!」


 彼女は自身の切り札である総極を行使したのだ。


「……なるほど。確かに、その炎は冥界由来のもの。だが、その総極を使って冥界に直接繋がるという行為には必ず代償が付くはずだ。この世にあっていいものじゃないぞ」


 結人はあくまで冷静に灼華御前を分析する。


 魔術世界において、冥界・地獄などといった「死後の世界」というのは本来生者がそこに繋がる・関わることはあってはならない領域世界である。


 人類の集合無意識が持つ「死」という概念を孕んだ信仰領域。いずれ生命を終える者たちの行きつく先であろうとも、生きている内に“死”を理解できない者たちがそこに繋がるということは、自身の存在の在り方・定義すら曖昧にする。


 そのような場所に繋がったとなれば、必ず代償が付きまとう。これは如何に強力な魔術師……“死”の答えを見つけることを命題・専門とする死霊魔術師ネクロマンサーたちであっても避けられぬことである。


「……だからどうしたというの? アタシはこの世界に未練なんてない。アタシは、アタシは元の世界異世界に帰るために戦っているのよ。この力は、あの人を守るために手に入れたもの。だからこの身を薪へと変えようとも、アタシはあの人の所に帰るためになんだってするわ」


 しかし、灼華御前はぎらついた目を結人に向けながらそう語った。


「……そうか。その炎は、お前の感情、覚悟を表しているということか」


 その視線と言葉を受け、結人は燃え盛る彼女の姿を直視する。


 総極を展開した後の灼華御前はその体から魔力……いや、炎を身にまとっていた。獣毛に覆われた体の中から、彼女の感情の強さを表すように、轟々と燃えている。


 ――――――彼女は、自分自身を燃やしながら総極を展開しているのだ。


“死”に繋がることを代償に、自分自身が“死”に近づくことで冥界の亡者たちを召喚し、それを使役する。

 彼女の異廻術イデアである焼魂しょうこんは文字通り、が本来の使用条件。


 普段の彼女が操る炎はあくまでその副産物でしかなく、今こうして総極を使用している彼女こそ、本気で戦う時の姿なのだとも、結人は理解した。


 彼女が抱く感情そのものを結人は理解出来ていないが、発言から考えてそれを言葉にするとしたらきっとそういうものなのだろうと理解した上で、結人は灼華御前を認め、改めて構える。


「お前の覚悟、しかと受け取った。その炎が燃え尽きる前に、灰色の死がお前を屠る」


 少年は敬意と殺意をもって糸を紡ぎ。


「はっ……、なによ。その前に、アタシがお前をこの炎で焼き殺してあげる。地獄の底に引きずり込んで、その魂が燃え尽きるまで、何度でも……。アタシに許しを請うまで、何度だって殺してやるわ……! そして、アタシはあの人にもう一度会ってみせる……!」


 少女は愛と憎悪を胸に燃え盛る。


 灰蜘蛛の界域にて、両者はぶつかり合うのだった。

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