第12話「逆夢にて」

 人生で初めての外食を日本全国チェーン店の牛丼屋で済ませた結人たちは割り勘でお支払いを済ませ、店を出た。


「それじゃ、また明日学校で」

「んじゃあな! 気を付けて帰れよ!」

「ああ。またな」


 3人はそこで別れ、それぞれの帰路につく。


「……」


 2人の姿が見えなくなり、一目のつかない路地裏に入った結人は肉体に身体強化の魔術をかけ、その場からした。


 そのまま4階建てのビルの上に飛び、古い監視カメラの死角に入った結人は、学生バッグの中から衣服を取り出し、夜の闇に紛れて今の学生服から早着替えをする。


 灰色のタイツのようなものに身を包み、その上からパーカー付きの上着を着て、運動用のズボンを履いた。日が落ち、電灯が街を彩りだすこの時間帯には目立ちにくい格好となり、結人は学生バッグを担ぎなおし、監視カメラに映らないようにしながら、夜の街の空を駆けだす。


 足音を立てず、必要最低限の動きと運動だけで、まるで蜘蛛のようにビルの上を飛び移り、常人には出せないであろう速さで移動する。

 冬の冷たさが残る夜風を受けながら、呼吸の乱れを一つも起こさないそれは、まるで生物が行う呼吸のように静かで穏やかだった。


 かつて異世界オクネアで当たり前のようにやってきたその動きは、今となってはまるで歩くのとさして変わらない。


「……そうか。この世界はこういう風に見えるのか」


 ビルとビル、家屋と家屋の間を飛び移りながら、眼下に映る街を見る。


 現代の人々の営みは、異世界オクネアにいた頃とは全然違う。

 人々の賑わいと呼びこみの声、多種多様な車が行き交う音、そして時々聞こえる揉め事の声、未だに明るく灯す、ビルディングの窓から見える仕事の光。


 文明レベルの違う異世界オクネアとは、何もかも違うその光景。偏りきった人生を送っていた結人にとって、本来自分が住まう世界であるはずのこの光景ですら異世界のように見えてしまう。


「これが俺の住んでいた世界、か」


 呟きはどこか自嘲のようにも、あるいは落胆の声にも聞こえる。


 繁華街から少し離れた位置にある、とある建物の近くに降り立った結人はそのまま普通に歩き出す。


 そして足を踏み入れたのは「夜行精神中央病院」と書かれた建物。ここに、とある人物が入院している。足を踏み入れるのは、二度目だった。


「あ、お客様。本日は既に診療時間は終了して……。あ……」


 警備員に言われたが結人は無言で懐から一枚のラミネートフィルムの施されたカードを見せる。


「どうぞ」


 それを見た受付の警備員は病院のゲートを開け、結人を通した。


 静寂に包まれた病院の中、ゆっくりと歩みを進める結人の目の前に一人の男性が手に缶コーヒーを持ってベンチで座っていた。


「来たか。準備は出来ている。ついてこい」


 その男は、結人の叔父である葛城かつらぎ解斗かいとだった。結人を手招きして歩き始め、缶コーヒーを一気飲みしてゴミ箱に捨てる。


「……ああ」


 結人は短くそう呟き、叔父の後ろを歩いてついていく。


 夜行中央病院は「草薙機関」の息のかかった病院で表向きには精神病院として運営されているが、一般病棟のほかに特別病棟と呼ばれる、魔術師専門の病棟がある。また特別病棟は特殊な事情によって入院している患者も入っている。


 エレベーターで四階に上がり、そのまま連絡通路を通る。その連絡通路には簡易的な検問所のような場所があり、警備員は全て「草薙機関」の職員が行っている。この都合上四階には一般人の患者や病院のスタッフは入ることが出来ない。


 結人と解斗は持っているカード……通称「入場許可証」を警備員に見せ、ゲートを通った。


 特別病棟に入院するのは「特異患者」……霊脈・地脈の乱れなどによって生じる「怪異」や魔術的な被害を受けた患者たちである。彼らが入院する特別病棟四階は病院側の許可がなければ家族は見舞いをすることも出来ない。出来たとしても、魔術師に関係する情報に触れ、それらを周囲に流布する可能性があれば記憶消去などの処理を受けることになる。


 この関係もあり、夜行精神中央病院はネットなどでは「曰く付き」の病院という扱いになっており、一般人を寄せ付けず入院する患者も少ないのだが、実質運営状態にある「草薙機関」からすれば大した問題ではない。


 患者たちの入っている病室のドアが立ち並ぶ廊下の奥へと向かう結人たち。やがて、一つの病室のドアを前に止まる。


「制限時間は5分。そして契約通りの振る舞いをすること。それ以外の会話は日常会話を含め禁止。わかっているな?」


 解斗はそう言いながら、いつの間にかついてきていた看護師たちにアイコンタクトした。


「わかっている」


 短くそう呟き、結人は廊下の上に設置されている監視カメラを一瞥いちべつし、深呼吸をして病室のドアを開き、病室に入る。


 中に入ると目に刺激を与えないように配慮されているのか、照明は薄暗い。大きなカーテンが患者の寝床になっているであろうベッドを囲むように囲っている。


 ストレスを与えないように音すら遮断しているかのような静かさ。

 何者にも侵されない、干渉されることが許されないとすら言えるほどの静寂。

 一歩、一歩、歩みを進める度にスニーカーの静かな足音がよく聞こえる。


「……」


 一歩が重い。呼吸も重い。

 それでも結人は平静さを自然に装い、ベッドを囲うカーテンに近づく。


 そして、カーテンを掴み、静かに開いた。


「……あ。あなた……」

「――――――――」


 そのベッドの上で静かに、一人の女性が結人の姿を何も映さない濁り切った虚ろな目で見た。


 細く、筋肉がほとんどついていない体。皮膚しか見えないほどの細い腕には生命維持装置のカテーテルが繋がっており、か弱さと脆さを一目見ただけで感じる。


 その女性の顔はやせ細っていて記憶の中では肩口でまで切りそろえた綺麗な黒髪のセミロングだったそれも、今は衛生面の問題や脱毛によってショートヘアになっている。それでもある程度綺麗に整えられているのは看護師たちの丁寧な手入れによるものだろう。

 5年という時を経て変わり果て、記憶の中の彼女とはその雰囲気も何もかも別人のようにしか見えない。微かに感じるのは、女性の声だけが5年前と何も変わっていないだけ。


「――――――ああ。体の具合はどうだい? 


 結人は、その女性……。自らの実の母親である葛城かつらぎ美散みちるに声色と口調を変えて、名前で呼んだ。


「ええ……。先週と比べると、少しだけ楽になりました。先生のお薬のおかげなのかもしれないですけど、やっぱり退院の目途は立っていないみたいです。一時帰宅も今の状態じゃ、無理みたいで……。も、お仕事は忙しい?」

「……うん。ちょっとだけ忙しいね。年度初めだから繁忙期というのもあるけど、今が稼ぎ時って感じかな」


 虚ろな目に穏やかな表情を浮かべる母に対し、結人は葛城かつらぎ善嗣よしつぐのフリをして会話をする。


 ……傍から見れば、あまりにも異常極まりない光景だ。


 実の息子を自らの夫と勘違いして話す母親、実の息子が息子自身の父親のフリをして口調と声色を変えて会話をしているという、あまりにも異常なやり取り。事情を知らぬ者がいれば、異常者同士の会話だと思うこと間違いないだろう。


「切子ちゃんの様子はどう? 確か……もう中学生になるんだったかしら。最近、全然会っていないし、ずっとこうしているとカレンダーがあっても時間の感覚がわからなくなっちゃいそうで」

「切子は特になんともないよ。あの子のことは、美散は心配しなくていい。ちゃんとやっているから」


 切子とは、結人の5つ下の実妹である葛城かつらぎ切子きりこのことだ。結人自身とは異世界から帰還した時に起きたいざこざによって疎遠になっている。


「そうなのね。よかった。……ねぇ、あなた」

「……どうしたんだ?」


 美散はカテーテルに繋がれた右手を重そうに持ち上げ、まるで何かを掴もうとしているかのように手を伸ばし始める。


「あの子は、 


 そう言う母の虚ろな目は泳ぎ、焦点が定まっていない。まるで、ありもしない現実を必死に見ようとしているかのように。


「――――――っ。ああ。あの子も、無事に進学したよ。色々と難しい年頃だからね。入学式の写真を撮ろうと言ったら、断られちゃったよ。全く、本当にしょうがない」


 結人は感づかれないように息を呑み、並列思考からの自己暗示で自らを律し、父のフリをして言った。写真が好きじゃないことは昔からでそれは事実である。

 仮に実際に父が生きていたとしても、自分は写真を撮ることを本当に拒否していたのだろうと結人は内心で呟く。


 ―――――彼女の中では、自身の結人息子の存在は死んでいながら生きている。


 5年前、結人が異世界「オクネア」に転移した時、結人の家庭は崩壊の一途を辿った。

 父は行方不明になった息子を捜索するために心当たりがある野山を始めとした危険地帯に足を踏み入れ、やがて捜索中に事故に巻き込まれて死亡した。


 自身の息子の行方不明、そこに愛する夫の事故死という、生来心身が弱かった美散の精神は限界を迎えて精神崩壊を起こし、その時の精神錯乱によって起きた家庭内での事故によって脳に障害ができてしまった。それにより、彼女は本能的に自身が幸せだった頃の記憶に巻き戻されてしまい、今も結人が行方不明にならなかった5年間を過ごしている。


 いや。5年というのも、正確には違う。


 


 そのあまりにも残酷すぎる時間の経過は、結人を絶望に陥れるには十分すぎて、5年の年月を経て帰還した時に彼を待っていたのは、父が死に、母は壊れ、そんな苦痛と悲嘆に満ちた10年を過ごし、良くも悪くも自分と同年に成長した妹の姿だった。


 在りし日の家族の面影は、もうどこにも存在しない。


「そうなの……。もうあの子ったら。大きくなって成長したら、きっと善嗣さんそっくりになると思うの。写真、見てみたいわ」

「出来れば、ね。でも本人が納得しないと無理、だと思う。難しい年頃ってヤツさ。美散が元気になってくれたら、撮らせてくれるかも」


 美散は、もう来ない未来を幻視しながら言った。目の前にいるのが、かつて行方不明になった息子であることに気づかないまま。


 結人にとっては5年だったが、彼女たちには10年。そして結人自身もあまりにも変わりすぎた上に、皮肉にも容姿も僅かに父親に似た顔立ちになっていた。そのこともあって、美散は実の息子を既に亡くなっている夫の姿と勘違いし、実態のない会話をする。


「そうね。あと……、もし退院できたら、久しぶりにみんなで出かけましょう。そして……。あれ? なんか、ぼやけて……」


 美散の虚ろな目がブレ始めると、顔色が悪くなり始める


「そこまで。これで面会は終わりだ」


 ちょうど腕時計を見た解斗が結人に言った。結人はそれに従い、母親に背を向ける。


「ねぇ……あなた? あの、もうちょっと、顔を見せて、ほしいの」

「……今日はもう遅いからね。また来るよ」


 結人は背を向け、カーテンに手をかける。


「待って。ねぇ、待って。善嗣さん。あなた、なんで。いや、違う。善嗣さんは……。あれ? あなた……その、顔は……」


 美散の手が震え始めると、生命維持装置の心拍数が徐々に上昇し始め、音と共に彼女は混乱しつつも手を結人に伸ばそうとする。



 解斗が美散の額に人差し指を当て、魔力のこもった言葉……言霊を発すると美散はそのまま静かに眠るように意識を失った。心拍数もそれに伴い通常通りに戻り、安らかに眠っている。


「……彼女の容態は?」


 病室を出た結人は息を漏らし、解斗に聞いた。


「記憶関係については前にも言ったが既に手の施しようがない。だが、無意識下で思い出そうとしているからな。“誓縛せいばく”の影響をもってしても、やはり5分だけが限界だ。現実を思い出したら今度こそ彼女は廃人になる」

「そう。なら、時間通りにやるしかないわけか。……


 結人は更に聞く。


「悪いがもう末期だ。これ以上はどうも出来ん。既に全身に転移しているし、手術をやるにしても体がまず持たん。魔術師ならある程度の生命力は期待できるが、彼女は一般人だ。仮にやったとしても衰弱死するのがオチだろう。第一、これ前も言っただろ。いちいち再確認する意味あるか?」

「いや。個人的に決心つけておきたかっただけだ。あの人に苦痛がないのなら、俺はいい」


 そう言いながら結人は解斗に背を向ける。


「―――――ハ。今更善人ぶりやがって。一応、言っておくがそっちのリクエスト通りにやる代わりにこっちの依頼も受けてもらうという約束だし、失敗とか論外だからな」

「わかっている。そういう取引だろ。偉そうに言っているけど、おかげさまでこっちはそちらの弱み、色々握っちゃっているわけだから、そっちも裏切るなよ」

「チッ。このクソガキが」


 解斗の悪態を背に結人は廊下を歩き、元来た道を引き返す。


 病因の外に出て、スマホの画面を見るとメッセージを受信していた。


 指定のメールアプリをタップして開く。そのメッセージには具体的な「依頼」の内容が書かれており、メッセージを受信したら自動的に消えるなどといった仕組みなども丁寧に書かれている。


「本当に、面倒だな。夢なら、さっぱりと覚めてくれたらいいんだけどねぇ」


 メッセージの「依頼」の内容に目を通した結人は、いつの間にか三日月が夜空を見上げながら、再び夜の街に消えるのだった。





 ――――――これが、異世界から帰還した少年の日常の一幕。

 名誉も栄光も、安寧も報酬もなく。

 おのが願いのために走り切った男の果てであった。

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