怪帰奇譚~Returnee.Of.Remnant~

平御塩

プロローグ

 俺、葛城かつらぎ結人ゆいとにとって、現実というのはどこまでも悪い夢だった。


 俺の家は特別裕福だったわけでもない。むしろ、日々の暮らしを維持するのが精一杯だった覚えがある。


 母は体が弱く、5つ下の妹を生んでからしばらくした後、重い病に侵された。そのこともあって、自営業を営んでいた父は治療費のために常に仕事に追われ、唯一健康体であった俺は父に振り回され、幼い妹と病の母の世話をしていた。当たり前だが、同年代と遊んだ覚えもない。なんだったら、うちの家庭環境に口出しをする無神経共の方が多かった。

 生まれつき体が丈夫だった上に感覚が鋭く体が強かった俺は腕っぷしもあったから、そんな連中を黙らせることは容易だった。


 長男として生まれ、誰よりも丈夫で強い自分が家族を守らないといけないと常に心掛けていたから、あの日々を生きていけたのだと思う。そう考えていれば、周囲の無関心で無神経な連中の目や言葉なんて何も感じなかった。所詮は雑魚の戯言だと。


 だけど。そんな俺に、人生最大の転換期が訪れた。


 あれは中学生の頃……誕生日を迎えた直後だった気がするので10歳の頃ぐらい。近所のコンビニに向かって家を出た時のこと。

 突然、足元に穴が出来たのかと思ったぐらい、真っ逆さまに落ちる感覚があって目を反射的に閉じた。

 そして目を開けると、俺は「オクネア」と呼ばれる異世界に召喚されてしまっていた。


 俺を召喚した、いや召喚してしまったのは「アライダ王国」の王女であり国内最高峰の魔術師でもある女、ラニ。


 彼女は位相の違う次元から召喚獣を呼ぶ召喚術士であり、その時に使った触媒が別次元から流れ着いたと言われている結晶体だったとのこと。違う世界の人間が呼ばれるはずもないと説明された。


 つまり、俺は、異世界「オクネア」に召喚されてしまったのだ。






 ◇◆◇






 アライダ王国は一言で言うと人間以外の多種族……漫画やゲームで言うところの獣人やエルフとかドワーフみたいな種族と共存する王国だった。反対に戦争中の「ヴェイズン王国」は人間が中心の国家で価値観の違いや領土を巡る争いを長い間続けてきたらしい。


 そんなアライダ王国の王女であるラニは俺を事故で召喚してしまったことに深くお詫びと精一杯の謝罪を尽くした。


 彼女自身に非があったわけではなかったが、「ヴェイズン王国」との戦争の日々で疲弊していて、更に責任感の強い性格であったのだろう。よくある小説のように「どうか私たちのためにこの国をお救いください」みたいな典型的テンプレな言葉はなかった。むしろ俺を保護するつもりで王城に住まわせてもらうことになった。


 だがそんな悠長にしていられる俺ではなかった。一刻も早く家族がいる日本に帰らないといけなかった。


 だから俺はラニに言った。元の世界に戻る手段はどうやって探せばいいのかと。


 そして彼女から返って来た答えはこうだった。


“ヴェイズン王国に異世界にまつわる遺物があると聞きます。もしもヴェイズン王国に勝つことが出来れば、それを手に入れることが出来るのかもしれません”


 つまりは俺が召喚されたアライダ王国の敵であるヴェイズン王国との戦争に勝たないことにはどうしようも必要なアイテムすら手に入れることが出来ないとラニは言った。

 アライダ王国にあったのは俺を事故で召喚した時に使ったものが最後で既に残っていなかったらしい。


 そう聞かされた俺は彼女に言った。


“なら、俺にも戦うすべを教えてくれ”


 俺が一刻も早く地球に帰るためには、それしか手段が残されていなかったのだ。


 だから地球に帰るために、ヴェイズン王国との戦争に勝ってそこにあるとされる遺物を手に入れるために、なんでもした。


 王国にある文献を調べて自分でも使えそうな魔術がないか調べた。

 如何なる状況下でも対応できるように、自分が使えそうな武器を使った訓練を欠かさなかった。

 周囲の環境に慣れるために様々な文献を死に物狂いで調べ、言葉も理解し、自分のものにした。


 およそ思いつく限りのことをやりつくし、1年間の修行の末に俺は暗殺者・工作員として活躍することになった。


 漫画とか小説のような、華々しい活躍などではなく、どこまでも血生臭く、泥臭い戦いの日々。数え切れない命をこの手で刈り取り、罠を使って何人も敵を殺した。

 時には町や村一つを焼き討ちにし、自分たちに有利になるようにもした。


 卑怯、残酷、無惨。およそ考えられるあらゆる事は何でもやった。


 戦争において、自分たちにとって結果が良ければそれで良し。俺のやり方に名誉だとかどうとか言う輩もいたが、俺にはそんなことを関係ない。手段を選べるほどの余裕なんざ、俺にはないし選択肢はない。


 全ては家族が待っている地球に、日本に帰るため。決してアライダ王国のためなんかじゃないし、最初からそんなつもりなんかなかった。


 ―――――そう思っていた。そのはずだった。


 元々恵まれた体を持っていたとはいえ、戦いの中で精神は少しずつではあったが摩耗していったし、心も何も痛まないわけじゃない。殺し合いとはいえ、21世紀の日本に生きていた俺は、異世界の殺伐とした日常に縁すらなかったのだから、精神が少しずつ擦り減っていくのは当然のことだった。


 そんな自分を励ましたりしてくれたのも、共に戦った仲間たちのおかげだった。


 ゲームとかで言うパーティーメンバーのように、ほぼ同じ面子で戦いに赴くことが多かったそいつらやラニは俺を励まし、少しでも負担が減るように気遣ったりしてくれていた。

 もしも、彼らの支えがなかったら、俺は異世界でとっくに壊れて、どこかの戦場で野垂れ死にしていたのかもしれない。


 だから。よせば良かったのに、いつの間にか彼らに情が湧いてしまった。


 一緒に戦って笑い合った。嘆くこともあった。それでも、彼らと一緒にいた時間は本物のはずだった。


 なのに―――――、俺は―――――






 ◇◆◇






「―――――はっ」


 緩やかに揺れる電車の音で、少年は目を覚ます。


 仕立て下ろしの紺色の学ランに身を包み、膝の上に乗せていたカバンには「私立開祈かいき学園1年・葛城結人」と書かれた名札がぶら下がっていた。


「あれから、5年なのか……」


 結人は僅かに垣間見た、とても長い夢を見ていたかのように、どこか上の空で呟いた。


 流れていく窓からの景色は、かつて何度も帰りたいと願っていたものだったのだが、今となっては自分にとっては心身を蝕む虚しさの象徴だった。

 おもむきの違う家とマンション。朝の通勤ダッシュに行き交う車と通行人。現代建設の代表格たる数多くのビルディング。目の前を遮るように通過する反対方向に向かう電車。


 かつて自分が召喚されてしまった異世界「オクネア」。そこでは長く戦争が続いて、結人自身も参加した戦争。日本に帰るために思いつく限りのことをやりつくし、なにはともあれ帰還することが出来た。


 そんな血煙血風渦巻く、異世界とは限りなく無縁の日本。結人がいるべき世界。

 日向のように穏やかで法や秩序を犯さずに生きていたら、誰もが笑い合えるはずの平和な日常の一員であるはずなのに。


「……つまらん」


 そう呟く少年の車窓から外を見る目は濁っていて、どこか遠くを見るような物憂げな眼をしていた。

 そんな眼差しからはどうしようもない虚無感が漂っていて、満員電車ではないにも関わらず、むず痒さを感じさせるような居心地の悪さがあった。


輪祢町りんねちょう商店街の路地裏で複数の死体が発見。刃物による殺人事件とみて捜査開始』

『輪祢町市民体育館周辺で原因不明の“揺れ”が発生。原因究明を急ぐ』


 気晴らしにスマホを見て、ネットニュースを除くと結人が住んでいる町、輪祢町の商店街で起きたという殺人事件や、市民体育館の周辺で原因不明の揺れが発生したなど、物騒な事件がトピックに上がっている。

 SNSでもこのような物騒な事件を不安に思うユーザーたちのコメントが投稿されており、中には荒唐無稽な陰謀論を展開しているユーザーまでいて、目につく度に小さなため息をつく。


「バカバカしい。目が腐りそうだ」


 スマホの画面を閉じ、悪態をついて制服のポケットにしまう。


『間もなく開祈学園前。開祈学園前です。降り口は右側です。降りられる際は足元に十分に注意してください』

「着いたか」


 電車のスピーカーからアナウンスが流れ、結人は椅子から立ち上がり、降車準備をする。


 5年という時間の中で彼の体つきは逞しく成長しており、身長は170cm以上あって髪型はクセのない黒のストレートで目つきは鋭さと物憂げな印象のあるタレ目。

 その立ち姿はどこにでもいるような外見ではあるが、どこか引き付けるような。そんな不思議な印象を与えるものだった。


「失ったぶん、ここで取り返すとしようか」


 電車が停まり、ドアが開く。


 失った時間を取り戻すべく、心に空白を作ったまま歩き出すのだった。

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