第一章:第二話【当たり前の人間】

 昨日、食実を終えた菜美なみは手短に風呂を済ますと、そのまま自室へ直行した。一日だけでこれほど進歩したのは大分凄いことではないだろうか。

 だが、世間からしたら引き篭もって、何もしていない。ただ楽をしているだけ、もっとできる。なんて思われるかもしれないが、菜美は心に深い傷を負って、それでも、勇気を出して一歩外に出てみた。その勇気がどれほどのものなのか、それは当人も、他人も、誰も分からないものなのだ。

 心を見ず、外観だけ、その人の行動、言動、表情、様子。視覚情報のみでその人の価値を、勇気を、無責任な言葉で蔑ろにする人間は存在してはいけない。

 そんな綺麗ごとを並べても、そんな人間はこの世の中に幾らでもいる。何故か、それは人間が「ああはなりたくない」「あんな人間よりもマシだ」なんて他人を下にして、自分の存在意義を作り出し、自分ができていないこと、できないことを許している。それが人間という生物の心理で、自分の優位性を高めたい。ただそれだけの為に他人を貶す。それは自分より遥か下の人間になればなるほど気持ちが強まったり、貶す段階が巧妙になってくる。

 こんな‟当たり前の人間“が菜美のような人間を蔑ろにする。誰が悪いかなんて決めつけようがない。ただ、その中に、助けたいと思った人間が当たり前の人間の決められた道から外れ、獣道を進むのだ。

 その獣道を進むのが誰にのなるのか、それはその時にならないと分からない。



「世界って理不尽だな」

「どうした急に、そんなの前々から分かり切ってたことだろ?」

「いや、お前は普段から何を考えて過ごしてんだよ」


 机に肘を付いて頬に手を当てながら世の中の不満を零すと、俺の机に尻を乗っけていた唯一の学友、北城ほうじょう 金一かなかずが少し深いことを言い出す。

 その言葉に軽くツッコミを入れると、苦笑しながら話題転換をして逃げる方へ舵を切った。


「まあそんなことはさておいて、零紀れいきはアイツと上手くやってるのか?」

「アイツって誰の事だよ」


 俺の名前、相沢あいざわ零紀の名前を呼び、詳細の分からないことを言い出す金一。それに大体予想は付いているものの、わざとらしく知らないフリをして質問で返す。


「おまっアイツってアイツだよ、木村きむらだよ木村」

「あーアイツか......」


 ここでアイツの事を言うべきなのか、それとも言わず、隠すべきなのか、思考をフル回転させる。


「......誰も居ねぇよな?」

「そんな警戒しなくとも、放課後になって大分時間が経った教室だ、そう人は居ねぇよ」

「そうか、なら......まあ進展があったと言えばあった。一つ言うなら部屋から出てきてくれた」

「大分進展してるじゃねぇか!? 大抵そこは喋ることができたとかじゃねぇの?」

「別にいいだろ? 予想より遥かによかったって捉えたら」

「まあそうだけど......それで、今日はどうするんだ?」

「どうするって、何を」

「だからどう接するんだって」


 俺の苦労を知らんのかこいつは。と、そんなことは気にしないようにして、金一の言った意味を頭の中で分解しながら理解し、後のことについて軽く予想する。

 しかし、未来の事に関してはどうも何も言えないので、頭の中でこうしたいという願望を金一に伝えることにした。


「いやまあ、数ヶ月の間に部屋に一回でも入れたらいいなって思ってる」

「いや数ヶ月て、まあ別に特に俺には関係のない話だからいいけど......兎に角疲れすぎないように、たまには自分のガス抜きしとけよー?」

「分かってるって、じゃあ俺はもう帰るから」


 俺のことを思って言ってくれているのは分かっている。だが、何故か菜美の事を貶されたように感じて、多少不快感を覚えてしまった。しかし、そんなの気のせいだと自分に嘘を吐いて、荷物を肩にかけてから金一に挨拶をして家へ帰る。

 今日も菜美はリビングに姿を出していて、食事も共にした。それでも、風呂を済ませると、そそくさと自室へと帰って行ってしまう。その姿に「暫く時間が掛かりそうだな」と内心思い、俺も風呂を済ませると自室のベッドに倒れ込む。


「どうしようか......って、悩んでる時点でダメだよなあ」


 こういう時は直感的に頭に思いついたことが案外上手くいく方が多い。なので悩んでいる時点であまりよろしくない状態だ。なので一日働かせた体を休めると同時に思考をリセットさせるべく、ベッドに仰向けになりながら瞼を閉じようとしたその時。

 ————コンコン。

 と小さなノック音。その音が耳に届いた途端、俺は急いで体を起こし、ドアの方へ駆け寄る。


「......なんだ?」

「............いい?」


 ドアの先から菜美の声が聞こえてきた。そして、ゆっくりと、小さな声で、ドアの向こうに居る俺へ要件を伝える。


「.........部屋」

「部屋?」


 その一言だけ言い残すと、菜美はトトトという足音を立てて部屋に戻っていった。


「どういうことなんだ?」


 その菜美の一言だけでは何がなんだが全く分からなかった。

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