猛牛の夢

清瀬 六朗

第1話 俊三(1)

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。

 こんなことになるのなら、さっき、レンタローと気まずく別れる前にやっておけばよかった。

 でも、そのときにはん切りがつかなかった。

 意地を張った、と言ってもいい。

 あれから二十年経とうとしている。でも、生身のレンタローを前にして、前言撤回、とはどうしても言えなかったのだ。

 「あ、社長っ! どこ行くんスか?」

 運転手の椎名しいな君が呼びかける。

 この東京弁というものには、いつまで経っても慣れない。

 「アホ! おおぜいの人が聞いとるところで社長とか言うな、ほんま恥ずかしい!」

 とか言うてるばあいではなく!

 俺は駆ける。

 三分、いや、二分何十秒かで、レンタローの乗った新幹線が出てしまう。

 それまでにレンタローの座っている席まで行って、あの書類にサインせんといかん!

 それで、サインして、捺印なついんいうやつをやって、できれば列車を下りる。

 新幹線で次の駅まで運ばれて行ってしまう余裕など、いまの俺にはない。

 いや。

 その前に、入場券っちゅうのを買わんとあかんのか!

 めくどくさい!

 いまの時代のことだ。

 あとでメールで参加表明をしてもいい。定まった形式のある書類ではないし、印鑑はなくてもいいだろう。

 でも、できれば、呼びかけ書の一ページ目、業務書類で言う「カガミ」に自分の名があってほしい。自筆で署名し印もついたものにしたい。

 それだけの責任も負うつもりだ。それに、呼びかけてるなかに自分も入ってるんやと、報道の連中にも、出資者にも、それにあの地方のファンにも知ってほしい。

 俺は、混雑する通路を、けっして軽いとは言えないフットワークのかわりに「すみません」を連発することで通り抜け、入場券を買ってホームまで上がった。

 しかし、発車まで一分何十秒に迫った新幹線の車両のなかから、どうやってレンタローのやつの席を探し出せばいいのだろう?

 そのとき、ぱちっとスイッチが入って電流が流れるように、思い出した。

 さっきの気まずい別れのときに、レンタローのやつが言ったことば、または、恨み言を。

 「なんや。おまえが賛成してくれると思うたから、前祝いに、思うて、グリーン車の席取ったのに」

 ということは、やつはグリーン車に乗っているのだろう。

 この新幹線のどこにグリーン車がついているかは知っている。

 俺は階段を駆け上がると、そのグリーン車に飛び込んだ。

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