第22話 彼女の名前
「彼女が話した内容の全部が全部、嘘ではない、あの時そう感じました。しかし、何か引っ掛かりました。彼女の言い方に」
カロムは彼女、と言ってから車椅子を押していた女に目をやる。彼女は確かにカロムに真実を告げたあの時のメイドであった。
「私の言い方に?」
女は努めて冷静な反応であった。
まるで、カロムが何を考え、言おうとしているのかを知っているようであった。
「貴女は決して、俺のことを自分の子、とは言わなかった。シャロンとの間の子供だ、と。違和感がありました。なので、それを確かめるために彼女……、ルチアーノにある頼み事をしました」
「頼み事?」
メイドは不思議そうに尋ねた。
「昨日、ヴィンセント家に行ったんですよ。あの夫妻から話を聞くために」
ルチアーノは大変だった、と告げるような言い方で、カロムの言う頼み事の内容を伝えた。それに車椅子の女の死んだような細く骨ばった指がピクリと動く。
メイドとカロムは、彼女の手の反応を一目見てからまた互いを見合う。
「話、ですか」
「二十年前、貴女は俺を夫妻に託した、と言いました」
「ええ、言いましたね」
そこでヴァルゼルとセルラルドは、女に大きく瞳を開いて見せた。
「……っ、お前……」
ヴァルゼルは何かを言いたげにしていたが、カロムは関係なく、話の続きを始めた。
「託した、そう。貴女の手から、二人のもとへと俺は渡った。……けど、やはり貴女の言い方は何かおかしい。二人に両親などと使わず、彼ら、と言った」
「おかしいですか?」
「意味は一緒でした。……前提が間違っていなければ」
カロムはジッとメイドの瞳を見る。茶色の瞳から向かう視線と、カロムの黒い瞳から向かう視線がぶつかる。
「勝手に、あの部屋に出入りする使用人は、エリザベスの付き人、シャロン=ヴィンセントだと思っていました。しかし、この前提が違っていたんですね」
静かに落ち着いた声色で、カロムはそう話した。
「……何の、ことでしょうか」
瞼を伏せたメイドは、何のこと分からない、という言い方をした。しかし、車椅子に触れた手に僅かに力が込められた。
「この王宮の使用人たちの部屋……。位置から考えて、一番の古株は貴女だと思いました。四十辺りにしか見えない貴女が。少し不思議に思いました。それが偶然、そうなってしまったのか、それとも必然的にいつからか、そうしたのか」
「話がややこしいですね。はっきり言ってしまえば良いでしょう?」
メイドは面倒事を嫌い、呆れを示す言い方をしてから、小さな笑みを浮かべ、カロムをジッと見た。
カロムとメイド以外が蚊帳の外になっている中、ヴァルゼルとセルラルドは手に汗を溜めていた。
「二十年前。シャロンよりも長く仕えていた使用人を王宮内から排除した。解雇かどうかは、分かりかねますが」
カロムは、暫く視線をやっていなかったヴァルゼルに訴えるように言った。
ヴァルゼルは歯をギリッと強く噛んでから、カロムの視線から目を背けた。
「エリザベスが部屋に籠りきりになったのも同じく二十年前。彼女の部屋に入れるのは、貴女だけ。もしも、その時よりも前にこの王宮に仕えていた使用人が、今ではシャロン一人であったのなら、エリザベスの顔を見たことがある使用人は、彼女以外いなくなる」
「……貴方の言うことが正しければ、そうなりますね」
意地悪く、煽るような笑みを浮かべたメイド。
二人の会話の間を割り、ルチアーノが声を発した。
「彼に言われて、私はヴィンセント家に赴き、ヴィンセント夫妻にお会いしました。そして、一つ彼らに尋ねました」
「へぇ、何を尋ねたのでしょうか」
(この顔、分かり切ってる……)
直観的にカロムは、メイドは全て見透かしているのだろうと思った。
ルチアーノも薄々それを感じながらも、彼女の問いに答える。
「子を、彼を連れてきたのは、自分たちの娘であるシャロン=ヴィンセントだったか、と」
ルチアーノの言葉に大きく反応を示したのは、ヴァルゼルであった。しかし、セルラルドも、車椅子で干されたような女も、少なからず反応を表していた。
「あの二人は、それに何と答えたのでしょうか」
(聞かなくても、この場にいる者は皆、承知の上だろう)
カロムは心底、意味のない時間だと感じた。答えは全員が知り得ている。ルチアーノも答える必要もないと分かっていた。
しかし、問う女が他人に言葉として、その事実を告げて欲しそうだったので、癪にも感じたが、口を開く。
「赤子を連れてきたのは、娘ではない。しかしその顔は今でも忘れられない、と。何故なら、その人物は、その時であれば国民誰しもが知っていた顔を持っていたから」
ルチアーノは、ヴィンセント夫妻の話したことをなぞるようにして語る。
「……貴女は、シャロン=ヴィンセントではなかった。そうですよね。――――エリザベス=ヘリヴラム王妃」
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