④赫眼の少年-3


「要するに本当はアリバイがないと」

「そう」


「おまけに金銭にも困っていたと」

「そう」




 都倉が柊に何やら耳打ちする。内容は分かりきっている。


「ずっと探してたんです……それこそ血眼になるくらい」

「柊ちゃん。そんなみだりに赫く血走ってちゃいけないよ。心理福祉課行かなかったの?」


 それまで柊の後ろで控えていた都倉が前に出た。彼女の代わりに彼が答えるつもりらしい。


「私はかつて心理福祉課の職員だった。最初は夫妻の顧問として声をかけられたが、柊様のコーピング指導も任された。

お前のような『ヘマ』はしないと保証する」


 柊の指導も兼ねていた点以外は忍が知っている通りの情報を都倉が語る。元々畑違いの職種だったのだから、護衛適正が低いのも納得である。


 一方で、ストレスコーピングの指導員としての実績は確からしいというのは忍としても否定できなかった。体裁が悪かったのかは知らないが、赫保かくほのトップがわざわざ自分たちの娘が赫碧症かくへきしょうであることを隠そうとするくらいなのだ。


 先の忍のように赫眼かくがんしてすぐ実力行使しているわけではないにせよ、既に五分以上赫眼状態を持続しているにも関わらず柊は未だ平然と自我を保っていた。忍であればそろそろ破壊衝動に襲われる頃合いである。


 恐らく今までも継続して彼から指導を受けていたに違いなかった。そう思うと多少なりとも面白くない感情が忍に芽生えた。



「へぇ。二人ってそんな長い付き合いなんだ。嫉妬するだろ」

「本当ですか? 嬉しいです。いつも私ばかりヤキモチ焼いてたから」


「過去は気にしちゃうタイプだから」

「奇遇ですね、私もです」



 柊はこの状況にそぐわないほど穏やかな笑顔を浮かべたと思いきや、その眼差しはすぐカミソリを思わせるほどに鋭く変貌した。


「じゃあ過去の話ついでにお伺いしますけど。所長が中学一年生の頃、十一月半ばに同級生を滅多討ちにしたそうですね。中には一人、女の子も混ざっていたとか」


 忍は身じろいだ。しかし一瞬のことだった。


「俺のことよく調べてるじゃん。探偵かよ。それとも荒川に遅めの御歳暮か早めの御中元でも贈った?」


 柊はその質問を無視した。



「その時の記憶は失くされたと記録にありましたが。何が起きたか、ご存知ないんですか」

「もう自分で調べて、何をしでかしたか全部知ってる」


「そうだったんですか。それで……それでよく、今まで生きてこられましたね。息苦しくなかったんですか」

「そうだな。あれから、人生は思い通りにはいかないんだって気づいたよ」


「辛かったですね。……でも、そろそろ楽にしてあげます」

「待て待て待て。そうやって突っ走るのが悪い癖だぞ柊。俺が死んだらお前寡婦かふだぞ。未亡人になるぞ」

「所長、まだ冗談叩ける胆力あるんですか」

「ンなせかせかせず伴侶の遺言くらい聞いとけや」


 柊は拳銃を下げた。耳を傾けるということらしい。


「まず盗聴器とカメラが仕掛けられた件だけど、本当はお前が指示して都倉にやらせたんだよな。

 で、自分の部屋に大量にカメラ用意させたのは俺がお前の寝室行って眼があかくなる決定的な瞬間撮りたかったんだろ?」


「そうですね。万一目隠しされて襲われた時の保険として。

 でも誰かさんの不手際のせいですぐ外されちゃったから、目視だけで確認しなくちゃならなくなりましたけど」


 言って柊は視線だけで横にいる男を睨みつける。しかし都倉は全く動じるそぶりはない。


「別に確認しなくても過去の経歴知ってんじゃん。なんで自分で確認することにこだわるの」


 黙っていれば清楚な少女そのものな柊が、クスッと蠱惑的な笑みを浮かべた。


「だって、二人とも真っ暗闇で眼が赫く光るだなんてなんだか、素敵じゃないですか?

 その瞬間に『私はあなたが殺した夫婦の娘です』って、言いたかったんです」


「ヘタしたらベッドの上で聞けてたのか。最高だな。飲み会のあと酔い潰れた芝居したのは失敗だったか」

「やっぱり。あの夜私が蒼樹さんのフリして夜這いしてたの知ってたんですね。

 ……私じゃなくて、蒼樹さんと良い雰囲気にさせたほうが確実だったかな」


 柊はほんのりと羨みの色を含めながら自嘲する。


 実のところ身体を重ねられて明らかに感触が控えめなことに気づいてしまい、焦って一気に酔いが覚めたのが真相だが忍の心の中だけに留めておくことにした。


「流石に貞操の危機を感じたから一度調査に連れてってあげたんだよ。見せるとしても碧眼へきがんのほうだけど。

 なのに人の気遣い無碍にして全部台無しにしちゃうんだもん」


 流石にこれには本人も反論できないようで、赫い視線の先はあさっての方角に向かっている。


「あと、蒼樹とはそういう関係じゃないって言ったろ。あいつ、俺が赫碧症なの知らないし。てかこの話これで……あれ? 何回したっけ?

 とにかく嫉妬深い女は嫌われるぞ」

「遺言は以上でいいですか」

「いや、まだあるぞ」


 一瞬碧眼が発動しそうになったので忍は両の掌を前に出す「待ってください」のハンドサインを送ることで勘弁してもらった。


「……俺の過去のこと調べたって言ったけど、俺が中一の時同級生乱暴した話。

 あれ、記録上は俺が女の子にサカっちゃって暴走したことにされてるけど、実態は女の子はいじめられてて、その場にいた男子はみんないじめっ子だったの。同じクラスにいた奴は全員知ってる」


 柊は白々しいと言いたげに冷め切っていたが、彼は構わず過去の話を続ける。


「理由は伏せるけどサカった説は真っ赤なウソで、本当はいじめの現場――もう直球で言っちゃうと、悪戯される目前な場面に遭遇して咄嗟に体が動いちゃったの。

 全員俺が現れるまでの状況話さないし、俺自身見たものが見たものだから言うに言えなかったし、学校は学校でいじめの事実伏せたかったから、取り敢えず丸く収めるために俺が悪者にされたくさい」


「……過去の弁解を私にされても困ります」


「つまり俺が言いたいのは、いじめを止めようとしたはずなのに『いじめっ子』も『いじめられっ子』も区別なく両方に乱暴したってことだよ」


 ここまで語っても柊は忍が言わんとしていることを理解していないようだった。忍は仕方ないと思い、今度は遠回しすることなくハッキリと告げる。


「それでお前の両親の事件だけど。さっきの話聞いて、俺が殺人犯すほど心神喪失してたら、柊の親だけ殺して子どものお前だけはお情けで見逃すなんて芸当できると思うか?

 お前現場で赫眼の犯人と鉢合わせしたんだろ? タガが外れた赫碧症者に大人や子どもの区別がつくはずないだろ」

「それは……さっきみたいに冷静な思考状態が保てるうちに手にかけたとしか……」

「もう自分で言ったこと忘れちゃった? 学校で事件起こしたばっかで、赫眼かくがんを制御できなかった当時の俺に?」


 柊は微かだが「あ……」と言う声が漏れた。

 そう言われたらそうだ、ではなく、薄々勘づいていたことを言い当てられた、が正解だろう。


「で、なんで柊だけ生き残ってたか俺なりに推理するけど。二人でネットで見たあのニュース、覚えてる?」


 熊谷が忍に依頼を二件頼みに来たあと、「赫碧症の児童により大人二名が負傷」というニュースを見た時のことを柊は思い出した。


「そう、小さな子どもでも赫眼状態なら大人を怪我させるどころか、殺すこともできる。ナイフで急所ひと突きなんてお手の物だろ。そんであの場所に確実にいた赫碧症者、一人いるよな。




 ――――柊、お前だよ」




 確信めいた語気で言い放つ忍を前に、柊の顔は崖から崩れ落ちる寸前の人間のそれだった。それでも何とか崩れ落ちまいと、


「でも。でも、確かに見たんです。赫い目をした、痩せこけて目つきの悪い男の子を……」


 彼女は自身に残された僅かな記憶――最後の希望にしがみつくように、弱々しく返した。


「……極限状態で赫眼になると場合によっては記憶の混濁が起きる。実際になかったことをあったことのように、自分に都合よく記憶を改ざんすることもある。お前の記憶は何の当てにもならないの」


 仮にも一つ屋根の下で暮らした間柄にも関わらず、忍は血も涙もなく柊の親殺しを追及する。わずかに彼がにじり寄ってくるのを恐れ、過剰反応した柊は前足を一歩後ろに下げてしまう。


「そんでもって柊が見た赫眼の少年ってのは、両親を殺した現実を受け入れるのを拒否したお前が作り出した、架空の存在かもしれない。架空の仇を作ることで、自分以外の誰かを憎むことでお前は罪悪感を和らげたかった。……どうだ?」

「極限状態って言われたって……クリスマスイヴの夜中……クリスマスになる直前ですよ。どんな興奮やストレスに晒されるって言うんですか」

「さあ? サンタさんのプレゼント楽しみすぎて興奮してたとか?」

「この期に及んでまだふざける余裕があるんですね」


 柊は忍をキッとにらみつけながら拳銃を構え直す。僅かに震えている両手を携えて。



「あなただって。悪戯されそうだった女の子を助けるためだなんて、都合のいい記憶にすり替えてるだけじゃないんですか。

 女の子に欲情してなかったって、本当に言い切れるんですか」



 そこで忍もちょっと返答に迷った素振りを見せた。が、覚悟を決める。



「柊。これは男の名誉に関わるから墓まで持っていって欲しいんだけど。

 俺が赫碧症って分かってすぐ、母親からのありがたい教育と治療の賜物でね。もう無理になった」



 忍が唐突に告白すると、柊の口から呆けた声が出てしまう。


 柊は自分自身が投げかけた質問が思わず頭から吹き飛び、彼が語った意味を理解するのに時間を要したのか、表情が、全身が固まっている。


 忍は柊の動揺など構わず続ける。


「『あなたのため』とか『赫碧症のせいだから』って言われたけど、本当の理由は穢らわしいことをしてたの見てショックで受け入れられなかったってあとで知った。それからもう俺、家族とか、愛とか信用できなくなったわけよ」




 夜這いをしても、ベッドに誘っても、彼には何の意味もなさない。


 赫碧症であることを知られたくなくて拒んでいたわけではない。


 「何の意味もなさないこと」そのものを知られたくなかったのだ。




「どうしてそのこと、事件の時に言わなかったんですか。お母さんは知ってたんじゃないんですか」


「俺の汚名を雪ぐためにそれはもう大声で喧伝してくれたよ。あの時は軽く死ねたね。

 そうでなくても自分からは言えないよ。言いたくないんだよ普通は。今だって本当は言いたくなかった」


 段々忍が恨めしげに言うので、告白を受け止められずにいた柊は言葉を失う。


「お前言えるか? 仮に好きな人ができたとしてよ、その人も俺のこと好きになってくれて、赫碧症に理解あったとしてもよ。

 『俺中学の頃同級生病院送りにしたことあるし男としての務め果たせないけど結婚してください俺と家族になってください』なんて言えるか? 言えないよな」



 矢継ぎ早に言葉をぶつける忍がだんだん柊の方へ詰め寄り、距離を縮めてくる。




「なぁ、柊。お前も俺の母親みたく、家族のためとか言って本当は自分に都合がいいように家族をダシにしてるだけなんじゃないか――――」


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