赫眼の少年

①二十四秒

 

 朝は二人ともいやにぎこちない空気が漂っていた。


 後悔先に立たずだが、やっぱり添い寝を承諾したのは間違っていたかもしれない。

 そんなことを考えながら忍がのんびり朝食をとっていたら、さっさと柊が事務所の掃除をしに降りてしまう。今はお互い一人になりたいと、利害(?)の一致を感じた。

 忍はいつも朝はそのまま事務所に降りて掃除を済ませた柊を見送っている。同居してから事務所の窓が綺麗でなかったことは一度もなかった。

 柊が扉を開けて出ようとした直前に「所長」と忍に顔を向ける。


「昨日の夜言った……」

「ああ、ガバガバ事業譲渡契約書ね。覚えてる覚えてる」


 忍の言い回しがおかしかったのか、柊が困ったように笑って事務所を出て行った。

 デスクマットをめくって例の契約書を眺め、これを見たらどんな反応をするだろうかと想像するだけで忍の口元が緩んだ。

 契約を交わした当人らを除けば、これを初めて見るのは柊になる。






 それから一時間を回り、忍が自分以外誰もいない事務所でいつものように事務処理をしていた最中。

 彼のスマートフォンから着信音が鳴り、画面を見ると「非通知着信」と表示されていた。嫌な予感がするものの、素直に電話を取る。


「はい、こちら伊泉寺いせんじ―――」

「探偵、柊様が拐われた……」


 誰の声かすぐに分かった。というか彼女のことを様付けで呼ぶのは一人しかいない。スピーカーから息遣いの荒い音が聞こえた。


「拐われた⁉︎ 誰に⁉︎ なにやってんのお前⁉︎」

「刺された……柊様が男から刃物で脅される瞬間飛び出したが複数人で襲われ、なす術もなく……。その隙に、車で…………。私が命を賭して庇ったのはいいものの……あの時銃を持っていればこんなことには…………」

「恨み言言ってる場合か‼ で、柊は誰に連れ去られた⁉」

円華まどか駅方面へ向かったが……行き先は分からん…………ただ、スモーキードッグがどうの、倉庫の地下がどうのと……車の特徴とナンバーは…………」


 都倉から車のナンバーを聞き出して忍はすぐに車に乗り込んだ。

 スマートフォンを車のブルートゥースに接続し、道交法に真っ向から喧嘩を売っていくスタイルで運転中に画面を操作して荒川に繋ぐ。


「荒川! 円華駅方面でエスキモードッグと関係ありそうで、倉庫で悪さできそうなとこ知らない⁉︎」

「だからそれは犬だって言ってるだろ。スモーキードッグだってお前何回言えば……それに知っててもお前には言えないよ」


「ネットバンクの振込見てない感じ?」


「円華埠頭にあるSD倉庫。ここにヤクやらチャカやら怪しげなブツが運ばれてるかもしれないって話がある。怖い兄さんたちがワラワラ待ち構えてるかもしれないぞ。何しに?」

「いや、柊がそいつらに拐われたみたいなんだ」

「彼女が⁉︎ もう通報したか? してないなら――――」

「いや、まだ待ってほしい。一時間経って俺から連絡来なかったら頼む」



 それを最後に通話を終了した。

 



 ついにおままごとが終わる日が来た。

 今日で決着をつけるつもりなのだ。




    ◇

 



 まだ時刻は午前十時半。倉庫より数百メートル離れて駐められていた白のワゴン車は都倉の言っていた特徴・ナンバーと合致した。

 ちょうど車から出てきた一人の男が見知らぬスーツ姿の男を露骨に怪しんだ。スモークフィルムが貼られた窓越しに車内を覗き見するも、柊の姿は見受けられない。


「女の子は? 倉庫?」

「……なんなんだお前は……」


 至極最もな感想である。忍は不意打ちで男の腕を掴んで勢いよく後ろに引く。よろめいた男のみぞおちに強力な一発を叩きつけた。

 男が倒れるのを確認したのち、そのまま忍は倉庫の入り口へ駆け足で向かう。解放された扉の前で黄色のP箱を椅子代わりに座りながら煙草を吸い、のんべんだらりと過ごしていた六人の男たちがいた。当然自分達の元へ躊躇なく駆け寄ってくる見知らぬ侵入者を彼らは排除しようと立ち上がった。


 あとは勝手に碧眼へきがんするのを待って始末した。




 地面で伸びている男たちをよそ目に、忍は扉を抜けて倉庫に足を運ぶも辺りはがらんとしていて、もぬけの殻に思えた。しかし捨てられた数本の煙草の吸い殻が床の上で点々と辿る先を見ると、奥に繋がる扉が見えた。忍は一目散にドアを開ける。

 するとそこには荒川の言っていた通り怪しげな空間が広がっていた。

 ちょっと開け方が乱暴すぎたか、あちこちでたむろしていた男たちからぎょっとした視線を一身に受けてしまう。


 酒瓶が入った大量のP箱を収納する軽量棚、高さ二メートルほどの赤いネスティングラックがズラリと立ち並び、やはり所狭しと段ボール箱が詰め込まれている。ラックはここで組み立てたのだろうか。


 この空間でくつろぐためなのか奥には大きめのソファが鎮座している。


 そこに柊が寝かされていた。


 若干ではあるが制服が乱れていた。


 横たわる彼女に二人の男が取り囲んで、今にも狼藉を働こうとしているように見えた。


 一瞬、忍の脳内でプツッと映像が切り替わった。


 中学校の裏庭。男の子の集団。羽交い締めにされてぐったりしている女の子。悪戯されそうになっている女の子――――。


 ああ、あの時も確かこうして赫眼かくがんになったんだっけと呑気に思い出すと同時に――――



 一人残らず排除しなければ気が済まないと、頭が煮えたぎっていた時にはもう虹彩はあかく染まっていた。


 




 無駄にバックヤードが広く、計十一名の構成員が散り散りになっているのが面倒だと思った。

 赫眼状態のまま暴れたら、数十秒ぐらいまでしか自分の意識を保てない。だから三十秒以内にケリをつける。


 まず飛び道具持ちから片付けなければならない。気絶させただけでは他の人間が銃を拾ってしまう。柊に流れ弾が当たる前に物陰をめざとく探し当てる。


 その道のプロだからか都倉よりは殺気の隠し方が上手い。


 しかし早まって発砲した男が最初の犠牲になった。



 一升瓶が入ったP箱が並んでいる軽量棚の裏で箱の隙間から銃を構えている男が発砲した。黒い銃口の先に減音器サプレッサーが装着されている。

 腰を低くかがめて突進し、男も慌てて手首を傾けようとして銃を落としてしまい、防衛のため棚を前に倒そうとする。

 が、忍のタックルの方が速く男は棚の下敷きになる。


 一人目――――計三秒。



 牽制用にちゃっかり拳銃を拝借し、ちょうど男が三名ほどナイフやらバッドを持って集まって来てくれたので、箱から一升瓶を三瓶引き抜いて――割れた割れていないは区別せず――顔面に順々にヒットさせる。

 割れた瓶を直で食らった一人を流血させてしまったが、特にどうということはない。


 二人目、三人目、四人目――計八秒。



 上方から銃声が聞こえた。発生源をすぐ特定する。

 裏に梯子があって急いで上がったのだろうか、ネスティングラック上の積荷に立って拳銃を構える男の姿を捕捉し、駆け足で突進する。

  乗っているラックを赫眼で強化された握力任せに掴むと男は慌てて隣のラックに退避しようとするが遅かった。

 ラックは倒さないでおいてやったが前に傾けて男はバランスを崩し落下する。

 が、先に床に散乱していた段ボールのおかげで衝撃をいくらか抑えることができたらしい。

 しかしすかさず殴って気絶させたので関係ない。二丁目の銃を拝借。


 五人目――計十二秒。



 銃を拾っているうちに背後から近づいた男二人にすかさず二丁の拳銃を突きつけて牽制し、向こうが思わず固まった瞬間勢いに任せて大きく前へ踏み込み屈伸。脚をバネのように伸ばして顎に頭突きをお見舞い、同時に横の男を下から拳を突き上げて顎を破壊。


 六人目、七人目――計十六秒。


 今度は遠くから銃声が聞こえてきたので体の重心を左に傾けて至近距離で避ける。奥に建築された中二階の物陰から銃を構えている男が見えた。距離的にもうしょうがないので体が露出している部分で撃たれても死なないんじゃないかと思われる部位に一発。目視で倒れたのを確認。


 八人目――計十九秒。



 モロ視界に入っているにも関わらず中二階のプレート階段に足早に駆け上がろうとした男の左足にも容赦なく一発。


 九人目――計二十秒。




 ここで柊を取り囲んでいた男二人に目を向ける。

 流石に狼藉してる場合じゃないと気づいたのか彼女を人質にして固まっていた。一人はナイフを彼女の首元に突きつけている。


 しかし構わず突進する。彼らにも見えているはずだった。男の眼の色が。

 男も女も老人も子供も区別せず、暴力の限りを尽くす赫眼の男。女を人質にしても無意味と判断し、情けなくも女を一人撒き餌にして忍を閉じ込めるべく先程彼が入ってきた扉に慌てて駆け込み鍵をかける。


 ――――ここまで計二十四秒。



 忍は彼らを追いかけるつもりはなかったが、部屋の中から二人分のうめき声と、壁に何かが強く叩きつけられたような音が聞こえた。静かになった部屋から出てきたのは、彼もよく知っている男だった。





「――あれ、都倉さん。刺されたんじゃなかったの?」

 

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