⑥都倉

 


 一階に戻ると、暗い部屋に一人男が佇んでいた。足元にガラスが飛散している。



 身長は一八〇くらいか。年齢はおそらく四十代前後。短い刈り上げの黒髪で、体格は程よくがっしりとしているが頬が痩けている。眉間の皺が寄りすぎて眉上の筋肉が盛り上がり、まるで般若のようだった。目つきがシベリアンハスキー似と言われたことがある忍もこれには負ける。

 おっかない顔に反して服装は地味で、そこら辺の通行人に混ざってもおかしくない。ある二点を除いては。


「今度はもうちょっと常識的な時間にガラス割らないで来てもらえますか。せっかくドアがあるんだから。よろしければお話お伺いますよ、どうぞこちらに。さっきまで寝てたんで、お見苦しい格好ですがお許しください」


 忍は男が嵌めている耐切創手袋と、それを嵌めた手で握っているハンマーをじろっと睨み付けながらわざとらしく言った。しかし男は一切喋らない。忍は壁に喋ってるみたいだなとため息をつきそうになった。


「冗談通じねーな。あんただな、二月に植木鉢落とそうとした中学生をライフルで撃とうとしてたのは。あとチラチラ事務所を遠巻きから見てたり。嫌がらせに銃弾送ったのもあんただろ」


 男は未だに無言を貫く。仕方ないので忍は一人で喋り続けるしかない。


「あんた、柊の父親に頼まれたボディーガードかなんか? 大体柊が絡むタイミングで何か起きるから薄々感じてたよ。で、父親は柊を守るためなら中学生に銃向けてもいいって言ってんの?」

「大方幼稚な犯行でしか自分を表現できない子どもが犯人だと思ってたが、本当にその通りだったとは」


 男は初めて口を開いたと思えば少年を嘲笑した。

 確かに彼は愚かなことをしたが、銃で殺されてもいいような少年ではない。



「あれは命拾いした。間違いが起きる前に植木鉢ごと確実に仕留めるつもりだった」


「なんかカッコつけてるとこ悪いけど、物陰に隠れても中学生にまで伝わるレベルで無駄に殺気走らせるわ、あの子に余計な動揺与えて最悪なタイミングで植木鉢が落ちる原因を作るわ、トドメに柊に直撃しかけるわ……本当は無能だろお前」


「落下すれば銃で撃ち砕くつもりだった」


「あのビルは全階埋まってる。撃った先に人がいたらどうするんだ。そうでなくても、破片であそこにいた人間が巻き添えになるだろ。柊だって怪我したかもしれない」


「柊様が命を落とされるか、怪我だけで済むか。考えるまでもない。その選択で犠牲が出るか出ないかは私が引き金を躊躇う理由にはならない。

だがあの時はお前が飛び降りて撃つに撃てなかった。万一お前が真っ直ぐ落ちて柊様が下敷きになっていたら植木鉢どころでは済まなかった」


「ンなヘマするかよ」


「自信満々だな。よほどの根拠があると見える」


 都倉は事務所の床、いや忍の両足に視線を移す。


「分かってるくせに嫌味言ってんじゃないよ」


「忠告しておいてやる。今後行動には気をつけろ。今度は植木鉢じゃなくお前に引き金を引くことになる」


「いや気をつけるのはお前だろ。柊に『お前の護衛が中学生殺しかけたぞ』ってチクってもいい? 『お前のせいで中学生死にかけたぞ』って言ってもいいけど」


「私の雇い主は彼女の父上だ。私の行動は全て独断だ。私のことも柊様は何もご存じない。よって彼女に尋ねても得るものは何もない」


「『チクらないでください』って素直に言えよ。

 あんたの行動に関して柊に注意しても意味ないってことね。だけど護衛のためだけに無関係な一般市民殺したら柊にお前のこと話して場合によってはあいつごと警察に売るぞ。大ごとに巻き込みたくないだろ」


「分かった。一般市民でなければいいんだな。お前も薬物銃器対策課の荒川とかいう刑事にペラペラ話すのは気をつけるんだな。お友だちがある日突然行方不明になるぞ」


「それは流石の俺も悲しむから控えるよ」



 忍はしおらしく引き下がった。瞼を閉じては荒川の顔を思い浮かべる。一瞬。

 すぐに態度を引き締め、咎めるような強い眼差しを男に送る。


「けど柊だって自分のせいで罪もない誰かが死んだって知ったら悲しむ。もう銃火器の類は部屋に封印して努めて穏やかに護衛しろ。

 ――そして柊が交通事故に遭いそうになったら命を賭して庇うか、植木鉢が落ちそうになったら命を賭して庇うか、銃が狙ってきたら命を賭して庇うか、とにかく柊に危険が及ぶ時は基本全部自分の命を賭して庇う方向性で行け。街も平和になる」


「そしてここにいる間彼女は常に危険に晒されている」


「柊に手を出すなって言いたいんだろ。言われなくたってそうするよ。別に好みじゃないし。

 信用ならないなら柊の部屋に盗聴器と監視カメラを仕掛けてやろうか?」


 男はすぐさま右手で後ろに隠していた拳銃を取り出して構える。だが忍にはあまり慣れた手つきのようには思えなかった。牽制用で発砲経験はないのかもしれない。


「あーあーもうやだやだライフルだけじゃなくてピストルまで持ち出して……。銃刀法どうなってんの。

 ったく荒川のヤローいつも要らん時は来るくせにこう言う肝心な時はいねーんだから薬銃とか詐称だろ……」


 ぶつくさ言いながら忍は事務所のロッカーに隠しておいた六〇サイズの段ボールを二つ取り出す。


「悪いけど、事務所と車に仕掛けたブツは今日全部外させてもらったよ。だから慌てて来たんだろ」


 忍が盗聴器とカメラが入った箱を一つ男に渡すと、向こうも拳銃を下ろして案外素直に受け取り、左手で脇に抱えた。


「柊とは関係ない客の情報を垂れ流しするのは所長として看過できないんで。お前盗聴器の仕掛け方ドヘタクソかよ。普段請け負ってる盗聴器探しよかよっぽど簡単だったわ」


 忍が男の手際の悪さを指摘しても、彼は何の反応も示さない。


「あと二階にも仕掛けてやがったな。お前が心配すると思って盗聴器全般と、ダイニングとか物置部屋のカメラは残しておいてやったけど。なんならお前の代わりにもっとバレにくい場所に仕掛け直してやったぞ」


 盗聴の被害者にあるまじき発言だが、やはり男は動じることはなかった。

 そこまではなんてことないように語った忍であったが、どうしても我慢ならないことがあったので敵意を持って侵入者を強く睨む。


「でもあいつの部屋に仕掛けたカメラは胸糞悪かったから一つ残らず叩き壊しておいた。俺のプライベートは盗聴なり盗撮なりなんでも好きにすればいいけど、ああいうのは護衛のためって言われても――」




 忍はもう一つの段ボールをバンと乱暴に床に投げた。



 監視カメラの残骸が、箱いっぱいに詰まっている。




「いくらなんでも数が異常すぎる」


 数秒置いて、忍が怒りに任せて箱を蹴飛ばすと壁にぶつかった反動で元監視カメラの残骸達はあちこちに散らばった。


「柊には黙っておいてやる。知ったらショック受けるからな。

 その代わりもう二度とここに足を踏み入れるなよ。柊が――」


 無理矢理忍の言葉を遮るように、男が再度右手で拳銃を構え直す。


「さっきから何度も何度も馴れ馴れしく柊様の名を呼ぶんじゃない。たかだか結婚したくらいで図に乗るな」


 男の声には俄に怒りが滲んでいる。


 一生懸命柊柊柊柊と連呼し続けた甲斐あって、忍にはなんとなくこの男の地雷ポイントを理解し、もっと煽ってやろうかと意地悪く思ったが本当に撃たれそうなのでやめることにした。


「分かってるよ、俺が柊『様』に相応しくないって話だろ。そう思うならお前が代わりに柊様を説得してくれよ。あんたに一挙一動睨まれたくもないし、こっちだって好きで柊様のお世話係してる訳じゃないんだよ」


 忍の頼みに男は何も答えない。


「良い護衛を持ったな、柊様は」


 この皮肉には全く動じず、用は済んだと言わんばかりに男は背を向けて扉を開けた。忍が来る前に内側のロックを解除していたらしい。


 忍はあまり期待はしていなかったが、「あんた、名前は?」と試しに尋ねてみる。



都倉とくらだ」



 あっさり名を明かしたことを意外に思いつつ、「あと一つ言いたいことがある」と引き留めた。


「……割ったガラスの修理代、明日俺の口座に振り込めよ」




 振込先を書いた紙を忍から受け取って、都倉は静かに徒歩で事務所から去って行く。

 そうして彼が一人残されると、色々気づきたくないことに気づいてしまった。

 部屋中にカメラの残骸とガラスの破片が散らばっていること、自分がベッド代わりに使っているソファにまで細かな破片が散乱していること、そしてその片付けで睡眠時間が大幅に減ってしまうことに。


 忍は都倉への恨み言を唱えつつ、泣く泣く寝る間も惜しんで夜通し掃除する羽目になった。

 

 

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