第51話 伽羅奢の生きる世界

「じゃあ帰るしかないだろ。伽羅奢」


 俺の言葉に伽羅奢は顔をしかめる。視線をそらし、彼女は言った。


「なぜそうなるのだ。社会は私を私らしく生かしてはくれない。そんな世界に戻るくらいなら、ここに独りで居た方がよっぽど自由なのだよ」

「ゲームも出来ないのに?」


 それの何が自由だ、と思う。俺の指摘に伽羅奢は声を詰まらせた。


「着替えも出来ない。食べたい物も食べられない。部屋から出られない自由ってなんだよ。全然自由じゃないだろ」

「……ふん。そのくらい、別にどうでも良い事なのだよ」


 対抗するように、伽羅奢の言葉に力がこもる。強がりにも聞こえるようなトーンで、伽羅奢は続けた。


「世界は私を許容しない。私は美少女なだけで、働きもしなければ社会に貢献もしていない。存在価値がないのだ。それどころか、私がいるだけで愛音のような奴を無駄に傷付ける。自分でも、うんざりしているのだよ。だから私などいない方が良い」

「なんだよ、それ」

「私はな、愛音。昼間からフラフラしては変な目で見られ、『仕事は?』『学校は?』と無駄な詮索をされるのだ。よく知りもしない人間が『若いのだから働け』と圧をかけてくる。不愉快極まりないのだよ。私の自由な生活を許さないのは社会だ。そんな場所になど、戻る気はない」


 存在価値ってなんだ。社会貢献ってなんだ。

 価値がなきゃ駄目か? 貢献しなきゃ駄目か?

 誰目線の価値だ? どんな社会だ?

 自分目線じゃ駄目なのか?

 自分の選んだ社会じゃ駄目なのか?

 自分で選んだ世界で、自分の価値を大事にしながら生きて何が悪いんだ?


「やっぱり帰ろう、伽羅奢」


 何を聞いても俺はそれしか浮かばなかった。帰るべきだ、伽羅奢は。


「愛音。キミは馬鹿か? 私の話を聞いていなかったのかね?」

「いや、聞いたうえで帰ろうって言ってる」

「やっぱり馬鹿なのだな、キミは」


 チッと舌打ちして、伽羅奢はダイニングテーブルから離れた。話す気はない、という意思表示だろう。俺は壁に繋がれた伽羅奢の後姿に向けて言う。


「伽羅奢は我慢してここに残ろうとしてるけど、そんな必要ないだろ。馴染めない社会ならそこから抜け出せばいい。自分の生きやすい社会で生きればいい。さっさと帰って、伽羅奢にとって生きやすい世界を見つけに行こうぜ」

「馬鹿を言うな。そんな世界、あるはずかないのだよ」


 伽羅奢が壁に向かって呟く。

 彼女のその諦めの一端は、きっと俺にある。そう思うと苦しくなった。


 学生時代はみんなと同じ事が正義だった。

 多様性とは言うけれど、ほとんどの事は協調性という言葉にかき消された。「みんなと仲良くしよう」というスローガンは意見の対立を悪とみなす。多様な考え方は、和を乱すものとして否定された。少数派の意見を持つ人は、社会の為に自分の意見を無かった事にせざるを得なかった。

 そんな「学校」という社会の中で、伽羅奢は常に少数派の立ち位置にいた。

 社会は伽羅奢を認めていなかった。

 そのうえで、伽羅奢の言う「友達など必要ない」という意見を無視し続けたのは俺だ。伽羅奢の世界を潰し、苦痛を強いてきたのは、俺。


「ごめん、伽羅奢。小中学校時代の俺、正しくなかった。伽羅奢を無理矢理学校に馴染ませようとして、伽羅奢に我慢させてた。伽羅奢の人生なのに俺の理想を押し付けて、伽羅奢の気持ちを尊重してなかった。本当にごめん」


 黙っている伽羅奢の背中に、俺は言葉をかけ続ける。


「でも、伽羅奢はもうわかってると思うけど、世の中そんな社会ばかりじゃない。他人と同じ事を強いる世界だけが社会だけじゃないんだよ。やりたい事をやって生きていける世界があるだろ?」


 ニートと言われようとも、誰に干渉される事もなく自分らしく生きていける社会。少なくとも伽羅奢は高校卒業後、そんな環境にいたじゃないか。


「帰ろう、伽羅奢。もしも帰った先の社会がまだ自分の理想の社会じゃないなら、もっともっと自分に合った社会を探しに行けばいい。伽羅奢はそれが出来る環境にいただろ? 帰って、自由に生きたら良いんだよ、伽羅奢!」


 伽羅奢はいまだ黙って顔をそむけている。

 もしかしたら伽羅奢が社会から受け取ってきた痛みは、伽羅奢にとっては帯金に監禁されること以上に辛く苦しいものなのかもしれない。そう思うと俺も辛くなる。

 でも――。


「伽羅奢。もし他人と関わりたくないなら、関わらない環境を選べば良いと思う。でも、少なくとも、その環境は『ここ』じゃない。監禁されてて良いはずがない。伽羅奢の自由は伽羅奢が選べよ!」


 伽羅奢は伏し目がちに振り向いて、小さく数回頷いた。


「まあ、それはその通りだ」

「だろ?」

「だが、だからと言って無関係な愛音を巻き込み、危険にさらすのは間違っていると思うのだがな」


 伽羅奢の視線がやっぱり俺の指を追う。俺だけじゃなく、伽羅奢もこの指の事を気にしている。でも、いつまでもこれがかせになるのは嫌だ。


「それこそ俺の勝手じゃん。俺が、俺の意思で、伽羅奢を助けたいと思った結果なんだから、別に伽羅奢が気にする事じゃないよ。俺はまあ、伽羅奢が感謝してくれたらそれでオッケー」

「そう……か。すまなかったな、愛音。私は、愛音のような友が居て、幸せだと思う。ありがとう、愛音」


 素直に感謝を告げられて面食らってしまう。悪い気はしないけど、結構恥ずかしいものなんだな。俺は照れ隠しのように声が大きくなってしまった。


「いいって事よ! そんじゃ、帰ろうぜ伽羅奢!」


 伽羅奢が笑みを浮かべている。それが俺は、たまらなく嬉しかった。

 しかし、帰るにあたって伽羅奢を繋ぐ鎖は問題だった。首輪にかかる南京錠の鍵はない。どうするか。


「うーん、しょうがない。ちょっと俺、一旦下山するわ。電波が届くところまで出て鍵屋を呼んでくる。ちょっと待ってて」

「ああ、よろしく頼む。愛音」

「おう!」


 一人で駆け出してコンテナハウスを後にした。

 原付にまたがろうとして、原付の隣に転がる沢山の農工具に目が留まる。中には五十センチ以上ありそうな大きなニッパーみたいな工具まである。


「あ! これで鎖を切っちゃえばいいじゃん!」


 素手ではどうする事も出来ない鎖も、こういった工具なら意外と切断できるかもしれない。善は急げだ。俺は特大ニッパーを手にして伽羅奢の元へと戻る。


「って、いや伽羅奢、どうした?」


 一分もたたずに部屋へと戻った俺は、ダイニングテーブルの椅子に座る伽羅奢を見て驚いた。伽羅奢が泣いているのである。


「は、早いではないか! 馬鹿者!」


 怒った伽羅奢がパンを投げつける。


「怒るなよ! 理不尽!」


 そう言いつつ、俺は安堵した。

 伽羅奢のやつ、帰れるのが嬉しいんだろうなあ。

 その涙を見ただけで、俺は何十倍も頑張れる。


「よし! 伽羅奢、鎖を切るぞ。これで」


 特大ニッパーを掲げる。伽羅奢はあからさまに嫌な顔をした。


「……切れるのか?」

「体重をかければなんとかなるだろ! よし伽羅奢、ちょっと床に寝てくれる?」


 嫌々ながら伽羅奢は床に横になる。

 鎖をニッパーの刃の間に通し、グリップの片方を足で踏んづけた。片足でニッパーを固定しながら、高く上げた足でもう片方のグリップを踏み込む。一気に体重をかけると、ガツンッと嫌な音がして、金属の鎖は見事に切れた。


「よし!」


 伽羅奢の手を引いて起こす。彼女のドレス姿も相まって、囚われの姫君を助けに来た勇者にでもなった気分だ。


「じゃあ、帰るか!」

「ああ」


 ドレス姿で首から鎖を垂らした美少女と共に、コンテナハウスのドアへ向かう。

 その時。

 勢いよくドアが開いて、三十代くらいの小汚いおじさんが入ってきた。

 手には原付の隣に落ちていたクワを持っている。

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