及川事務所

有くつろ

第1話 及川事務所

 田んぼに囲まれた茶色い田舎に、ポツンと一つ緑の目立つ物があった。

今ではほぼ見かけない公衆電話ボックスである。

それがまだあるのは田舎だからだろうか?それとも___


 学生と見られる男は、異様に周りの目を気にしながら公衆電話ボックスの中に入る。

入った後もキョロキョロと外を警戒しながら大きく息を吸い込み、口を開いた。

「全ての訳は汝に有り。及川組を恨む所業せずと誓わん」

声変わりしたての声でそう呟き、受話器を取って数字を押した。


 『及川ですが』

受話器から落ち着き払った男の声が聞こえる。

その声は男に安心感と緊張感を同時に与えた。

「えっと、あの、依頼、依頼っていうかあの、お願いしたくて」

『承知致しました』

男は受話器の向こうに居るはずなのに、後ろに居て頭に拳銃を突きつけられているかのような恐怖を感じた。

『詳しい話はこちらでしましょう』


 その瞬間周りの背景がガラッと変わり、気づけば男は室内に居た。

無機質な部屋に一つ置かれた公衆電話は異質な雰囲気を放っていた。

公衆電話を通してワープ。掲示板で見た流れと同じだ、と男は思う。


 男はビクビクしながら公衆電話ボックスから出た。

長机を挟んでソファが二つある。

受話器で応じたと思われる男はその一つに座り、「どうぞ」と反対側のソファに座るよう促した。


 「私は及川です。お名前とご年齢をお聞きしてもよろしいでしょうか」

川倉智輝かわくらともきです。十七歳、えっと、高校二年生です」

及川は奇妙な格好をしていた。

黒いカーゴパンツに白いネクタイを添えた黒いワイシャツ。その上から真っ黒なコートを羽織っている。

七三分けの胡散臭さは整った顔のパーツで補われていた。


 「川倉さん。では聞きたい事がいくつかございます。どのようにしてここに来られましたか?」

「ネットの掲示板であの、見て。殺し......をやってくれる及川組って団体があるって」

「ホームページを見てくださったんですね。ありがとうございます。そこに書かれていたはずの『相手を見る方法』はお試しになられましたか?」


 ホームページ?掲示板と言ったはずだが、と川倉は思う。

「えっと、ホームページっていうか掲示板を」

「それは偽の掲示板です。うちの部下が作ったホームページですね。特殊なウイルスを仕込ませていて、『相手』が居る人でないと開けないページとなっております。ただのホームページだったら皆さん不信感を覚えるでしょう」


 気味の悪い笑みを浮かべる及川。

川倉は恐怖に襲われた。

自分と同じように殺したい相手が居て、及川組に頼んで、成功した。

その事例がたくさんある事、つまり仲間が居る事に安心感を覚えてここまで来たというのに。安心感の源はホームページの偽装だったらしい。


 「あ、えっと、それで。及川組は殺される予定のある人間の依頼しか受け付けないって書いてあって。自分を殺す人間相手が居るかどうかが分かるヤツをやったんです。えっと、水を入れた洗面器に塩を撒くヤツです。そうしたら俺の嫌いな奴が洗面器に映って」

「相手の名前は?」

大川流輝おおかわるきです。俺をいじめる奴で、あ、同じクラス、です」

「承知致しました。そこでですが、川倉様」

及川の目つきが急に鋭くなる。


 「ここにいらしたという事は、相手を私に殺して欲しいとの解釈でよろしいでしょうか?」

直球の質問に戸惑いつつも、川倉はしっかり「はい」と答えた。

「承知致しました。我々を恨む事は電話前の言葉の契約で罰せられておりますので、どうか慎むようお願い致します。」

はい、と再び答える川倉。


 「では公衆電話にお入りください。後は我々がやらせていただきます。一月が経つまでには終わらせますので」

「ありがとうございます」

川倉は公衆電話ボックスに入り、再び「全ての訳は汝に有り。及川組を恨む所業せずと誓わん」と早口で呟いた。


 気づけば元の場所に戻っていた。



 大川流輝は放課後、一人で教室に残っていた。

頬杖をつきながら窓の外を眺めていると、後ろで風を切るような音がした。


 「こんにちは」

振り向くとそこには男が居た。

気味が悪い、とまず最初に思った。

黒いカーゴパンツに白いネクタイ、黒いワイシャツ、真っ黒なコート。

系統がバラバラだというのに、何処か統一されているように見えた。


 「誰だお前」

大川は立ち上がろうと試みたが不可能だった。

金縛りにあったように体が動かない。

「及川です、貴方とお話をしに参りました」

「は?お前、誰......何なんだよ」

及川は大川の言葉を無視して口を開いた。


 「運命は決まっておりますので全てを語らせていただきます。私は俗に言う殺し屋です。依頼は『殺される人間』が『自分を殺す人間』を殺して欲しいというものしか受け付けません。そこで二十九日前、川倉智輝さんが私の事務所を訪れました。川倉さんを殺す予定だった貴方を殺して欲しい、と。」

「は?俺が?あいつを?」


 「はい。当時川倉さんの死因は貴方に階段から突き落とされる事でした。いつもされていますよね、その時はたまたま頭が手すりにぶつかってしまった事で川倉さんはこの世を旅立つ予定でした。しかし変わりまして、運命が。」

及川は大川とじっと見つめた。

心の中を漁られているようで不快になった大川は「何だよ」と呟く。


 「一月経つまでに大川さんが私に殺されて死ぬ、という事実が自信に変わってしまったんでしょう。川倉さんは貴方に反撃し、教師にも貴方がしていた事を告げました。貴方を取り巻いていたクラスメイトは川倉さんの肩を持たれるようになりましたね。標的は打って変わって貴方になった。下剋上みたいなものです」

「だから何だよ!!」


 「運命は変わり、貴方が川倉さんに階段から突き落とされてこの世を旅立たれる予定になりました。しかしそろそろ一月経つ頃でしたから、貴方に私の事務所を訪れるようにきっかけを作る時間は無かった訳です。そこで私から向かいました。貴方には権利があります、川倉さんを殺す権利が。私を通して、殺す権利です。どうされますか」

「殺せ」

大川は即答だった。

「承知致しました」


 及川はそう言い、コートのポケットから銃を出して大川の頭に突きつけた。

「は?お前、何で......」

「依頼は依頼です。運命が変わろうと依頼を無視する事は出来ません。もちろん、大川さんの依頼も執行いたします。ただ貴方が川倉さんの死を確認する事が出来ないだけです」

及川は大川の言葉を待たずに引き金を引いた。



 「あんまり瑠海好みの話じゃないのです」

及川事務所にて、ソファに座る少女が不服そうにそう呟いた。

もう一人の少女も「瑠夏も気に入らなかったのです」と呟く。


 双子の少女に向かって及川は微笑んだ。

「そうですね、取り巻きさえ居なかったら仲良くなれたかもしれないお二人でした」

「何でなのです?二人は正反対だと思うのです」

瑠夏の言葉に瑠海も頷く。


 及川は「そうですね」と呟いた。

「でも、お二人は似てらっしゃいました。人の上に立った途端過去の気持ちを蒸発させるところが、特に。大川さんがそれから形勢逆転しても、川倉さんに謝っていじめが無くなる事は無かったと思います。許す事を学ぶ代わりに恨む事を知ってしまった方達ですから」

「うーん、あんまりスッキリしないのです」

「人の死ですから」

及川は言った。


 「人の死に良いも悪いも、スッキリするもしないもありません。その代わりに、スッキリするコーヒーでも入れる事は出来ますが」

「瑠海は紅茶が良いのです」

「瑠夏はココアを所望するのです」

及川は「承知致しました」と言い、ソファを立った。

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