炎の魔女たち
突然窓が割れる音がしたかと思えば、焦がれ続けた声が聞こえてきた。
「ウィリアムを吹っ飛ばすなんてただの魔女じゃないね。君、ライナ…だったっけ?」
ゆらりと影が揺れたかと思うと、片時も忘れることはなかったオレアンダーが姿を現した。
「オレアンダー!」
「お褒めいただき光栄です。オレアンダー・ギレス先生。それにしても、よくここがわかりましたね」
「植物達の話を伝え聞いて、やっとここに辿り着いたんだよ」
おそらく緑の手の効果だろう。クシェルも確かに周辺を散歩しながら草木を触り元気のない植物に力を与えたりしていたが。草木達が彼をここまで導いてくれるとは思いもよらなかった。
「執念深いことですね…」
しかしライナは慌てる素振りもなく、それどころかまるで見せつけるかのようにクシェルを抱き寄せた。
途端に周囲の空気が一気冷えるを感じた。クシェルの背を冷や汗が伝う。オレアンダーの目が吊り上がりいつもの飄々とした表情はまるでどこかへ行ってしまった。
「ねぇ、この子がいいの?でもクシェル、もう女なんて抱けないでしょ?」
静かな声で訥々と呟くのにそこから溢れ出さんばかりの怒気を感じ、クシェルは身震いした。
「…おいっなにバカなこと言って」
こんな時に何を言い出すのだとクシェルは思わず突っ込むも、彼の怒気に冷や汗が止まらない。
「大丈夫ですクシェルさん。私があなたのこと抱きますから。絶対に満足させてみせますわ」
「…ライナ、なんてことを」
アルファ女性は男女どちらのオメガも妊娠させることができるらしいが。その方法に関してはクシェルは詳しくは知らなかった。
むしろ想像するのが怖くて思考を止めてしまった。
大胆過ぎる彼女の言葉に絶句しているとクシェルの目前に蔓の鞭が飛んできた。
間一髪でライナがクシェルを抱えながら飛び上がり事なきを得る。しかし攻めの手は止まずに次々蔓が振り下ろされ飛んでくる。
「いつまでその女の胸に顔を埋めてる訳!?」
「おわっ!おい!何してんだ!」
目標を外れた蔓がびしりと壁を抉り破片が舞う。店内の洒落た調度品達も見るも無惨な姿になっていく。
どう考えても先程から蔓は明らかにクシェルを狙っている。ライナが上手く避けなければ肩を掠めていただろう。
オレアンダーは自分を助けに来たのではなかったのだろうか。
悪魔の様に禍々しい空気を放ちながら攻撃を続けるオレアンダー。対して天使の様な美貌のまま凛々しい表情でそれを回避するライナ。これではどちらが味方かさっぱりわからない。クシェルは顔を引き攣らせた。
クシェルを抱き上げたまま優雅に降り立つと、ライナがクスクスと声をあげて笑った。
「あら、嫉妬ですか?随分と可愛いんですね。先生」
「番に手を出されれば怒るでしょ。さっさと返しなよこのドロボー猫!」
オレアンダーが長杖をカツリとつくと地面に魔法陣が現れ、強い光を放ち数人のアルラウネ達が飛び出した。
アルラウネ達が花の幻術を使うつもりか霧を出し始める。
「小賢しいですね」
ライナは呪文を唱え躍り出た炎は蛇のようにくねり這い回り始めた。蛇炎はアルラウネ達を狙ったかのよう飛びかかる。
奮闘するアルラウネ達だったが、相性の悪さから次々と燃え尽きていく。
霧が立ち込める中、ライナが飛び上がるとオレアンダーを切りつけた。
「花の妖精なんかで私に敵うはずがありませんよ」
彼女はせせら笑うも切られたはずのオレアンダーが途端に消し炭となり消え去る。
「傀儡…忌々しいわ」
ライナは憎々しげに呟いた。
彼女が攻撃したのはオレアンダーの木傀儡だったらしい。
目の前の出来事の速さに呆然としているクシェルだったが、突然後ろから抱え上げられる感覚があった。
「わっ」
「本当、君といるといくつ命があっても足りないよ」
「…オレアンダー」
求め続けた彼が現れて、クシェルは感極まり、声を震わせた。
しかしそれに気づいたライナ顔を歪めると剣を大きく振るい火炎が一気に燃え広がった。
「油断なさらないで下さい!先生」
紅蓮の業火が広がりクシェルとオレアンダーに襲いかかる。
「オレアンダー!」
「くっそ…!」
オレアンダーが手早く保護魔法をかけるも、クシェルにかけるだけで手一杯だったらしく彼はまともにくらってしまった。
自分が足手纏いになったせいで彼が攻撃を受けたことにクシェルの心は引き裂かれそうになる。
彼の身体が業火に包まれるも、水魔法で消火するとオレアンダーは姿を現した。
オレアンダーがまだ生きていることにホッとするとともに、尚も身体を叱咤してライナに立ち向かおうとする彼の姿に心が凍りそうだった。
クシェルを背に庇い、膝をついたまま対峙しようとするオレアンダー。対して彼を見下すようにライナが立ち塞がる。
「愛情深いことですね。番を身を挺して庇って。まさに予想通りの行動です。死んでないのは予想外ですけど」
「…俺は名前の通りしぶといんだよね。簡単に死なない」
「死に損ないの間違いじゃないですか?」
愚弄するライナだったが、オレアンダーは冷静なまま言葉を返した。
「君たちは相変わらず、乱暴だよね。あの日の大火事だってわざわざヒートのオメガを領内に入れて暴発させたらしいじゃないか」
オレアンダーが淡々としたまま話す。彼にとって忌まわしい悪夢のような出来事のその詳細を初めて知り、クシェルは耳を疑った。
「ふふ、本当に攻撃するつもりはなかったんですよ。ただ、ヒートのオメガを中に迷わせ、長命のギレスとの子を孕ませたかっただけです。たまたま大火事になってしまって大損ですわ貴重なオメガだったのに」
対してライナはなんでもないことのように、鼻で笑いながら謳う。さっきのクシェルの妊娠に対しての喜びようといい、彼女達はギレスの血を入れることを昔から虎視眈々と狙っていたようだ。
「…人の心がないんだね、そんなことして。魔法で君たちのローゼラインの中にオメガが生まれなくして正解だったよ。どうせ家畜以下の扱いをするんだろう?」
辟易とした様子でオレアンダーは言い放つ。
「ふん。負け惜しみですか?まあギレスなんて今やあなただけですものね」
嘲笑う彼女の声にすぅっと目を細めるとオレアンダーは息をつき言葉を紡ぐ。
「俺達の領土は奪われ死地になった。家族の命も。もう、戻らない」
彼の、オレアンダーの一族の領地は穢れた炎で死地と成り果てた。
「どんな立派な建物や資産があったって奪われ壊される」
跪いたまま、しかしオレアンダーの声はどこまでも力強い。
今は彼の家族が眠りその土地に住むのはオレアンダーだけだ。彼の気持ちを考えるだけでクシェルの胸に痛切が走る。
「弱いものは強いものに挫かれる。それだけのことじゃないですか」
淡々と話すライナの声はいつもと変わらないはずなのに、彼へと浴びせる言葉はどこまでも残酷だ。
しかし、オレアンダーは不敵な笑みを浮かべる。
「つまんないヤツだね君って。でも誰しも知恵や知識や経験は奪えはしない。君だってそう思うだろう?」
茶化す様に言うオレアンダー。対してライナは顔を歪め押し黙ってしまう。
オレアンダーの言う通り、現にローゼラインをここまで追いやったのは他の三つの一族達の知恵や知識、経験からだったからだ。その全てを用いてローゼラインの一族にオメガが生まれなくなる魔法をかけたのだ。
オレアンダーは立ち上がるとローブの埃を払い長杖をかまえた。
「だから俺は学び、教えを続ける。これだけは決して誰にも奪えないから。そして、それを多くの人に知ってほしいと思う。だからこの道を進んだ」
いつも本気なのかわからないような言葉ばかりなのに、その琥珀の瞳は射抜くようにどこまでもまっすぐだ。あまりのまっすぐさにクシェルは息を思わず息を呑む。
「素晴らしい綺麗事ですわね。長閑なギレス家はやはり違うようで」
それでもライナは気丈に振る舞う。そこからは焦りなどは微塵も見えない。
「何とでも言えばいいさ。学びで俺は人を救いたいと思う。できれば君だって救いたい」
オレアンダーの静かな声があたりに染み渡るようだ。
しかし途端にライナの口元に浮かんでいた笑みは、スッと消えた。
「…戯言を」
代わりに氷のように冷たい呟きが落ちてくる。
刹那、火炎の剣を携えたライナがオレアンダーに切りつけてくる。
「私の番に手出しはさせません」
「ふざけるのもいい加減にしろ」
オレアンダーは琥珀の剣で応戦する。ギリギリと鍔迫り合いをするも、ライナの火炎の剣が燃え広がる。
「いいえ。先生、至って私は大真面目です」
炎が大きく燃え上がり渦を撒きオレアンダーを攻め立てる。彼が水の魔法を用いるも火の手が強い。
「オレアンダー!」
「うっ」
身体を庇うようにオレアンダーはうずくまった。腕に深い火傷をおったようだ。
やはり花葉術を扱う彼にとってはかなり不利な戦いらしい。彼の再生力を持ってしても火傷が尾を引いてしまっているようだった。
オレアンダーに駆け寄ろうとするも、気づけばクシェルの目前のかろうじて形を残した机にライナは降り立った。氷の様な冷たい表情でこちらを見下ろしてくる。
「昔話をしましょう」
これ以上何を話すと言うのだろう。しかしあまりの彼女の覇気に気圧され、クシェルはライナを見つめた。
「二十年ほど前にある少女が私たちの領地から姿を消したのです。赤毛に赤い瞳。名前は、クシェル・ローゼライン」
クシェルは目を大きく見開いた。嫌な予感に手が震える。胸がドクリと大きく鼓動を立てるのを感じた。
「その少女は私と番になるはずだったんです」
ライナはしゃがみ込むとクシェルの頬を両手で包み込む様にして顔を覗き込んできた。その血のような瞳はどこまでも深く、暗い澱みが宿っていた。
「クシェルさん、あなたのお母様は高名な魔術師でした。あなたを産んだ時に魔法をかけて性別を偽ったのでしょう。男児は一族の掟で供物とされますからね」
「う、そだろ?」
女のような名前だと幾度となく揶揄われた過去があったが。それどころか女として出生していたのだ。次から次へと明かされる真実にクシェルは何回も頭を殴られたような衝撃を受ける。
しかしそれが露見し自分の母は一族の制裁を受けたのだろうか。産みの母の最後を知る者はいないようだった。
「先に抜け出し、クライネルト領に身を寄せていた妹のイルゼ・ローゼラインにあなたを引き渡した。どうやって引き渡したかまでは定かではありませんが」
クシェルは呆然とした。育ての親、イルゼとは血が繋がらないことは知っていたが。まさか自分の叔母にあたる人だったとは。
呆然としているとクシェルに背を向け、気づけばライナは嘲笑うかのようにオレアンダーを見下ろしていた。今のライナは恐ろしい魔女そのものだ。
「あなたが憎んで仕方ないローゼラインの血が彼には流れているんですよ?それに耐えられますか?」
彼女が口にしたと同時にクシェルもその恐ろしい事実に今更ながら気づいてしまった。
自分は彼にとって憎い敵の一族である。
家族を愛し、ローゼラインを憎み悲しむオレアンダーの姿をこれでもかと見せられてきたクシェルは全身が氷の様に冷たくなっている自分に気づいた。
さすがにもうオレアンダーの側にはいられない。
避けられない現実に目の前が暗くなるようだった。
ちょうど少し離れた前方にいるだろうオレアンダーの顔を直視できず、クシェルは俯いた。
「…俺は血統とか、一族とかそういうものに拘っていた。それが枷となって上手く生きれない所もあった」
よく通る凛とした声が響く。ハッとしてクシェルは顔を上げた。その声には少しの迷いも感じさせられなかった。
「でもクシェルと過ごして気づいたんだ。心から寄り添える相手かどうか。それが家族として、共に生きる相手として重要なんだってことを」
オレアンダーの琥珀の瞳は強い光を宿している。その光は暗闇の様に落ち込んでいたクシェルの胸を切り裂くように照らす。まるで一条の光のようだった。クシェルは心の底から思った。生涯この光を忘れることはないだろうと。
その光に突き動かされる。今自分がすべきことは何か。クシェルは弾かれたように飛び出した。
止めを刺そうとするライナの前に立ちはだかり、魔法術を練ると蔓や樹木を伸ばし、防御壁を作った。
しかし途端に彼女に薙ぎ払われる。草木の壁を作っては切られ作っては切られ、イタチごっこだ。
「いじらしいですね、クシェルさん。目眩しですか?でも焼き払えば一発ですよ」
無駄な足掻きだととばかりにライナは苦笑を浮かべている。
「クシェル、下がって!」
「すぐに全部忘れさせてあげますから。待っててくださいね」
ライナが口角に笑みを浮かべるとごおっと音をたて火炎の剣が燃え上がる。
「ごめん!ライナ!」
クシェルは叫ぶと力の限界まで花葉術で次々と花と草木を生み出し続ける。辺り一面に花畑が広がった。
それを嘲笑うとライナは花を消し去るように火炎の剣で一刀両断した。燃え上がり煙が周囲を取り囲んだ。ライナの宣言通り呆気なく地獄の業火に焼かれ花々はまるで嘆いているように縮み、灰になっていく。
「ぐうっ」
火炎の起こす業風でクシェルは床に叩きつけられてしまった。
「クシェル!」
オレアンダーの叫びが聞こえる。
クシェルが慌てて身を起こすと燃え盛る炎を背にライナがジリジリとオレアンダーへ距離をつめていくのが見えた。
「私の番が恋しがるんです。邪魔なので先生、死んでください」
「…」
無表情のライナがオレアンダーへと火炎の剣を振り上げたその時だった。
途端に彼女は崩れ落ち咳こみ始めた。
「ごほっ!ごほ!一体、これは?」
「…まさか、クシェル!」
苦しみうずくまるライナの様子から何か察したようにオレアンダーは叫んだ。
これは彼の元で学んだクシェルが捻り出した精一杯の知恵であった。
「ぐっ、げほっ、やっぱりきついな」
花葉術を使い少しずつ毒の耐性を積んできたつもりだったがまだ一歩及ばなかった。毒にあてられクシェルもその場に耐えられず這いつくばってしまった。
「バカ!なにやってんの」
慌てた様子のオレアンダーが自分の火傷も忘れたように身体を引きずり慌てて寄ってくる。
「…俺の浅知恵では、これくらいしか思いつかなかった」
「クシェルまで死んだらどうするの?」
彼も上手く動けないせいか、引き寄せるようにずるずると身体を引きずられると回復魔法をかけられた。
「いてて」
「…我慢してよね」
治療を受けながら渋い顔をしたオレアンダーに見下ろされる。
「君って、本当に…」
呆れたように嘆息するオレアンダーの頬にクシェルは手を滑らせた。
「だって、こうでもしないとオレアンダーが、死ぬと思った」
ぽつりと呟くとやっと彼に直に触れることができた充足感に息をつく。
「うっ」
魔力を使ったことで負担になってしまったのかオレアンダーが呻くとうずくまった。慌ててクシェルは彼の体を受け止めた。
「オレアンダー!ごめん、俺のせいでこんな…」
クシェルが言い切る前に、突然ガーンと何かが崩れ落ちた音が響いた。
「なんの音だ?」
よく見ればそれは店の壁だった。そこでやっとクシェルは花屋の周りが火に囲まれていることに気づいた。それどころか火の手は店の外まで広がるどころか街全体を覆い尽くしているようだった。
「いつのまに、こんな」
蜃気楼のように浮かぶ
幻か、魔法か。
この世の終わりの様な光景にクシェルはオレアンダーを抱き止めたまま身をすくませる。
後ろの気配に振り返るとよろめきながらライナがこちらへと向かってきた。
「…魔法の炎は簡単には消せませんよ。あなたはよくご存知でしょう?オレアンダー先生?」
「…君たちは本当に力任せだね」
オレアンダーが吐き捨てるとライナは勝ち誇ったように笑った。
「影隠しの魔法であなた方二人の足取りは消し去ってますからね。助けは来ませんよ」
影隠しの魔法とは探知魔法にも引っかかることのない隠蔽魔法だ。それがかけられているということは外からの救援は絶望的だろう。
「クシェルさん、私と来てくださるのでしたら先生の命は助けて差し上げます」
ライナはクシェルの目前までくると顔を覗き込んできた。そしてギルドにいた時と同じようにまるで天使のような笑みを浮かべ、手を差し伸べてくる。
「…行っちゃダメだ、クシェル。君は俺の番なんでしょう?」
しかしオレアンダーが掠れた声で制止するように必死に腕を掴んできた。
「…オレアンダー」
クシェルとしてはなんとか彼だけでも助けたい。それにはやはり彼女の手を取るしかないのだろうか。
苦渋の決断に迫られているとふと甲高い声がクシェルの耳に届いた。
『熱いよ〜クシェル〜』
ズボンのポケットに隠れていたらしい豆粒きのこが顔を出した。周りの熱さに耐えきれなくなったようだ。
「ダメだ、隠れてろって」
クシェルが焦って押し込もうとする。
しかし予想に反し、ライナは歯牙にもかけないようだ。
「そんな小さく弱い使い魔でどうしようって言うんですか?」
彼女は呆れたように笑い声を上げる。
美しくも恐ろしい魔女の声に圧倒されてか、きのこは萎縮し泣き出した。
クシェルに泣きついていたきのこに顔を顰め身体の痛みに耐えながらオレアンダーが手を差し伸ばしてきた。
『怖いよ〜うぇーん』
こんな状況なのにオレアンダーは安心させるようにゆっくりときのこへ言葉をかけた。
「…心配しないで。大丈夫。怖くないよ。俺は君の家族のことも知ってる」
『うっうぅ…本当?』
怯え続けるきのこを手の上に乗せるとオレアンダーは安心させるように掌に包む。
家族という言葉を聞いた途端にきのこはぴたりと泣き止んだ。
この子は生まれて間もなく、物心ついた時から一人でよくオレアンダーの隠れ家のきのこ達の話をクシェルにせがんできたものだった。だから興味深々で彼の話に耳を傾けているようだ。
「『君の家族』を心から想って。どうか俺の大事な家族をもう失わせないで」
神妙な表情でオレアンダーは祈るようにきのこに言葉をかけた。するときのこは目を閉じうずくまり、途端に発光し始めた。
「なんだ?」
「ただ光るだけじゃないですか?」
ライナが鼻で笑うも、オレアンダーは真面目な顔で首を振った。
「菌糸たちの話、知らない?彼らはただのきのこなんかじゃないよ?」
「何の話ですか?先生の研究分野とは違う様ですけど」
「彼らはこの豊かなエディンの国の森や木々に張り巡らされた情報網をもっている。」
「…だから、なんです?」
要領を得ない話にライナがイラついたような声音になったその時だった。突然周りの業火の勢いが弱り始めたかと思ったら辺りから水が溢れ始めた。
「…なに?」
紺のローブに白銀の髪。ローゼラインが恐れる水に愛されし者。クライネルトの魔術師達がその場に現れた。
魔術師達の間を縫ってウィリアムが門番のきのこの精を何匹か頭に乗せ姿を見せた。しかしその表情は不機嫌そのものだった。
『いたー!クシェル〜』
『オレアンダーさまぁ!大丈夫?』
「お前ら!」
クシェルは彼らに駆け寄った。
「…きのこ達はお前に胞子をつけたから追尾するって聞かなくてな」
クシェルがオークの木の扉の前で泣じゃくったきのこ達を慰めたあの時、手に胞子がついたのは偶然ではなかったらしい。
『クシェルは前科ありだからね〜』
『ね〜』
以前きのこ達を騙して脱走したことが前科になってしまっていたようだ。おかげで助かったが少し複雑だった。
オレアンダーの掌のきのこが彼らをここへ呼んだらしい。きのこ達は独自のネットワークを持ち、呼び合うことができるそうだ。菌糸によるネットワークは植物や土を伝いこの国どころかその外までも広がっている。
「ギレス先生、無謀ですよ。単騎で突っ込むなんて」
「クシェルがアイツの番にされる所だったんだ。間に合ったけど」
「…首輪つけて木につないでおいてくださいよ。まったく」
二人の会話を他所に紺のローブの魔術師達は無駄な動きなくライナの周囲を固めた。
無事救援がつき、どうやら助かったらしい。
クシェルはオレアンダーの身体を抱いた手を離さないままだが脱力した。
「花葉術も上手に使えるようになったね」
胸の位置に抱いたオレアンダーがゆっくりと労うように話しかけてきた。
「まだまだだ。大したことはできなかった」
「いや、きのこの精を生成するのも中々難しいんだよ」
「そうなのか?」
仰向けのままふにゃりとオレアンダーは笑みを向けてくる。
「知識が、経験が君を守る手助けになって良かった。俺も死なずに済んだしね」
改めてボロボロになったオレアンダーを見ると悔しさや情けなさで胸が一杯になってしまう。クシェルはオレアンダーに力一杯にかき抱いた。
「お前が無事で、助けがきて本当に良かった」
ため息をつきながら呟くも途端に白けたようなウィリアムの声が降ってきた。
「イチャつくのもほどほどにしろよ。熊殺し」
「なっ」
全く周囲が見えていなかった。クシェルは羞恥で顔が熱くなっていくのを感じる。
「えー怪我してるんだから、介抱くらいやらせてよね、ぶっ」
唇を尖らせるオレアンダーにウィリアムは無表情のまま緑の粉をぶっ掛ける。
「え?なんだ?これ?」
「再生力を活発化させるアイテムだ」
「最初から持ってこれば良かったろ?」
つい口が滑り言えば、むくれたオレアンダーと目が合った。自分で起き上がれるほど回復したらしい。
ウィリアムが咳払いをして説明してくる。
「…先生は万一を想定して俺に持たせてくれたんだ。まだ試作品で分け合えるほどの量はなかったんだ」
「なんでウィリアムに渡したんだ?」
「ローゼラインの魔女達から襲撃を受けたんだ」
ウィリアムの固い声にクシェルは驚きで言葉をなくした。
彼はクシェルを通りすぎていってしまった。目で追うと拘束され、動けずにいるライナに近寄っていくのが見えた。クシェルはその様子を固唾を飲んで見守った。
「力任せだと上手くいかないものだろう?」
ウィリアムがライナへと言葉をかけると彼女はぼんやりとしたまま蚊の鳴くような声で言葉を紡いだ。
「…だって、それしか知らなかったから」
ライナがまるで幼い子供のようにぽつりと言葉を発した。
「力で人を従えることしか、奪うことしか知らなかった」
彼女の表情が頼りない子供のようで、それがどうしようもなく悲しくてクシェルは胸を締め付けられるようだった。
ローゼラインの一族は幼少期から、厳しい選別を受け、競争教育にさらされ血も涙もない教育を受けさせられるという。彼女の今までの様子からそれは本当のことなのだろうと想像がついた。
オレアンダーがライナを救いたいと言ったのはそれを知ってのことなのかもしれない。
「…私にも、いい先生がいれば良かった」
ウィリアムが長杖を携えながら彼女を見下ろす。
「大人しくしていれば手荒な真似はしない。聞きたいことも山ほどあるしな」
クライネルトの魔術師達に周囲を固められ、拘束もされている。どう考えても逃げることは叶わないだろう。
「ライナ、お願いだから」
大人しく従って欲しかった。周囲の魔術師達から伝え漏れる情報を聞く限りではクライネルトに対しても攻撃を行ったらしい。
これ以上彼女に誰も傷つけさせたくなかったし、また彼女自身も傷ついて欲しくなかった。
しかしクシェルの希望に反し、彼女は被りを振ると頼りない小さな声でポツリと溢した。
「ごめんなさい。クシェルさん。私、一緒には行けないんです」
「…どうして?」
なぜか胸騒ぎがした。彼女の表情は穏やかなままなのに泣いている様に見えて仕方がないせいかもしれない。
「クシェルさん。心よりお慕いしております。またいずれ会いましょう」
言葉を発した途端にライナの足元に黒い禍々しい魔法陣が現れる。
「クシェル離れて!」
「総員退避!」
オレアンダーが叫ぶと同時にウィリアムが指示を出し周りの紺のローブの魔術師達を一斉に避難させる。
途端にごおっと音を立て、突然彼女の身体から爆炎が上がった。
「くそっ!口封じか」
舌打ちしたウィリアムが水魔法を発動させる。勢いよく周りを飲み込むほどの大量の水流を浴びせるもまるで火の手の勢いは弱まらない。
「ただの火の魔法じゃない。むしろ呪いに近い」
オレアンダーの魔法によって引き寄せられ事なきを得たクシェルは力無くその場に崩れる。しかしすかさず彼が身体を支えてきた。
彼女は確かに人の道を外すことをいくつもしてしまったかもしれない。けれどもこんな最期を迎えるなんて、あんまりだ。
優しく献身的だった彼女の姿が後から後から浮かび、クシェルは目の前の光景を信じられずに固まってしまう。
「…ローゼラインの何が一番恐ろしいって、この自己犠牲の習性なんだ」
口封じによる一族への献身のために彼女は呪いを用いてその身を焼き尽くしてしまったのだった。
瞬く間にライナだったものは炭のように焦げ形を失くす。そのまま風に吹かれ焼け落ちた建物をすり抜け、塵は空へと舞っていった。無情にも空は晴れ渡り、美しかった街は焼け野原と化した。
あまりに壮絶な光景にクシェルはいつまでも言葉を発せないままだった。
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