仮初のつがいは魔術師を恋い慕う
桃田りんね
始まりは夏の終わり
明け方の日がまだ昇り切らない頃。
露に濡れた街の裏道をクシェルは小さな獣の様に一人走り抜ける。
ボサボサの手入れされていない錆色の髪を風の思うままに遊ばせ、炎の様に赤い猫のように丸く釣り上がった瞳を擦った。早朝なこともあってまだ少し眠い。季節は夏の終わりに差し掛かり、少し肌寒さを感じたのでボロ切れの様なローブのフードを目深に被り直した。
都市部から遠く離れたこのフィリグラの街の周囲は深い森や山に囲まれており、豊かな自然の恩恵で果実や薬草の栽培が主要産業であった。しかしその一方凶暴なドラゴンや魔獣達の繁殖に適した環境のせいで犠牲になる者が後を立たなかったそうだ。
そんな現状を打破すべく自警団として立ち上げた組織がドラゴンや魔獣達を駆逐し街の平穏を保っていた。
やがてその組織は形を変えてハンターギルドとしてこの地に根付いた。
重厚な作りのギルドの鉄の扉を開きクシェルは中へと足を踏み入れる。古めかしいながらも清潔な木床が音を立てた。日が昇り切らない早朝ということもあり、人はまばらで時折談笑する様な声が聞こえてくる。受付カウンターの方を見遣るとよく知った顔と目があった。
「おはようございます。クシェルさん」
「おはよう、ライナ」
ギルドの看板娘兼受付嬢のライナは朗らかに笑いかけてくる。三つ編みに纏めている亜麻色の髪は滑らかで絹の様だ。適当にナイフで切った自分の髪の毛とは雲泥の差だとクシェルは常々感じていた。そして楚々とした美貌はまるで宗教画のように洗練されている。
「南の湖で害獣駆除の依頼が来てますが、どうでしょう」
凛とした声で渡された依頼書を手に取るとクシェルは目を走らせた。報酬も申し分なく、クシェルの属性とも相性が悪くなさそうな依頼だ。
「ああ、お願いするよ」
美貌だけではなく、彼女の冷静でいて正確、そして細やかな気遣いが光る仕事ぶりはベテランも舌を巻くほどだ。まだ入所して数ヶ月の新人だというのに、良い意味で末恐ろしい。
なによりその笑顔は仕事で荒んだ狩人たちのオアシスと言っても過言ではない。最早財産だ。
「ではクシェルさん、お気をつけて!」
「ありがとう」
手続きを済ませ、天真爛漫なライナに元気付けられたクシェルは気を取り直して出発することにした。
扉から外へ出ようとすると、同業らしき男の三人組が笑顔で近づいてきた。
「おい、クシェル。調子はどうだ」
「まぁまぁだ」
「なあベータ同士仲良くやろう。今度飲みに行こうぜ」
相手は少し年上だろうか、男は狩人らしく筋肉のついた腕をクシェルの肩に回してきた中々馴れ馴れしい。
クシェルはさりげなく距離を取りサラリと断りを入れる。
「いや、せっかくなんだけど時間も金も中々なくてな。悪いけど急ぐからまたな」
クシェルは足早に彼らから遠ざかるも聞こえよがしな悪口が耳に入ってきてしまう。
「せっかく誘ってやってるのにあいつ、付き合い悪いよな」
「いつも汚いローブ被って、必要以上に喋らないし。嫌な感じだ」
「顔を隠しているのは犯罪者だからみたいだぞ」
「いや、すごい火傷があって崩れてるって聞いたぞ」
下品な笑い声が周囲に響き渡る。彼らのクシェルへの非難はどこか楽しげで、暇つぶしの一つにしか過ぎないのかもしれない。
──くだらない。
クシェルは彼等には特に気に留めず、受けた依頼の段取りへと思考は移っていった。
もっとも悪口を言われるくらいなら可愛いものだ。この地域では差別の対象になってしまっては生活に苦労する。
クシェルにはひた隠しにしてきた事実があった。それは『第二の性』を偽っていたことだ。それが露見することを恐れ、誰とも親しくならなず距離を置いて生活をしていたのだった。
クシェルが住むこのエディンの国には特異なものが二つあった。
一つは魔法、もう一つは『第二の性』といわれるものだ。
第一性と呼ばれる男女の性に加え、第二性はアルファ 、ベータ 、オメガの三種類の性別からなる。
アルファ性の者は男女の性に関わらずオメガ性の者を妊娠させることが出来る。
一方オメガ性の者は男女の性別に関わらずアルファ性の子供を妊娠することが可能だ。
オメガには定期的な発情期があり、アルファを発情させるフェロモンを発し、人口の大半であるベータには特殊な繁殖能力や発情期はない。
この第二性はある魔術師一族が禁じられた魔法を使ったことにより発生したとされるが、真実は定かではなかった。
その魔術師達は能力、魔力共に高いアルファ性の繁殖に躍起になっていたという。彼らの理想としては繁殖もアルファ性同士でも繁殖するようにしたかったが、上手くは行かなかった。男性のアルファと女性アルファでは繁殖が可能だが繁殖力は著しく低く、アルファ性存亡の危機となった。
その結果繁殖のための性、オメガが生み出された。
強い催淫、高い繁殖力。何より受胎した子供は高確率でアルファとして生まれてくる。
そのため一昔前まではオメガはアルファの繁殖のため、家畜同然の扱いを受けていた。
魔力の強いアルファ、そのアルファ性を引き継ぐ繁殖に適したオメガ、どちらにも当てはまらないベータ。
そのためかつて魔法はアルファと一部才能のあるオメガのものであった。
そのせいで第二性で分けられた性別達は互いの理解を得るどころか、溝が深まるばかりだった。
しかし中には第二性の垣根を越え血を残す者もおり、そこから一般庶民へと長い年月をかけ魔力が伝わることになる。しかしその力は微々たるものでこの国の魔力格差は中々縮まらなかった。
もっとも、貧しく魔術にも明るくないクシェルにとっては詳しいことはわからないし、わからなくても生活に支障はなかった。
クシェルは男性だが、第二性はオメガだ。
人々の羨望であるアルファを誘惑するその性は全ての性から忌避された。つまり差別の対象であった。
オメガであると露見することはこの世界では大きなハンデとなる。
就業は娼館以外断られるし、ギルド内でも報酬、昇級にあからさまな差が出る。昇級に関しては低い級で打ち止めだ。
クシェルが第二の性を偽るのは生きるためやむを得ない切実な事情があったからだった。
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