第3話 ハヤタとアキコのパンドラの箱


(初出はKAC20243。お題は「箱」です)


 * * *



 この箱には絶対に触れてはならない。

 同居をはじめるにあたり、ハヤタはアキコ隊員になんども念を押した。


 そもそも同居すること自体ハヤタとしては気がすすまないのだがそこはアキコ隊員の巧みな戦略にかかればどうあがこうと回避不能であるのはだれの目にも明らかだった。

 匠の網により同居という結末へたぐり寄せられてしまうのはハヤタに如何ともしがく、さいごは従容として運命に身を委ねた。


 それにいざ同居をはじめてみるとあながちわるくない。

 当代一の才媛と世に名高いアキコ隊員の傑出した能力は家事スキルにもおよび、過酷な任務を終えたあとのハヤタは美味と滋養を絶妙に両立させた料理や彼女のプロデュースになる極上の快適リビングに癒された。

 なによりうつくしく愛らしいアキコ隊員そのものが癒しなのだ。

 だがどれほどアキコ隊員に感謝し心を許そうと、この箱にだけは断じて触れさせるわけにいかなかった。


 箱は、一辺50センチメートルほどの正六面体である。

 上面に把手様の出っぱりがついているからここから開けるのであろうと思われる。

 色はやや青ずんだ黒色で、材質は金属か、あるいは高硬度の樹脂のようにも見える。

 やや謎めいているとはいえ絶対に触れるなと念を押されるほどの特別な物とはぱっと見思えないこの箱が、じつはハヤタをM78星雲とつなぐ唯一の手段なのである。


 転属願いもこの箱を通じて出したし、返事もこの箱から届くはずだ。

 また、食料品等送付制度を利用して年に二回、故郷のなつかしい食料品や最新情報満載の雑誌を入手することができる。

 ついでに異星からの侵略者を撃退するための便利グッズもときどき送りつけられたりもするし、至極重宝する機構なのである。


 百万光年も離れたM78星雲から物品が瞬時に転送される仕組みにはブラックホール中の「特異点」を利用する技術が使われている。

 こむずかしい理論を避けなるべく端折って言うと、これは特異点を通してふたつの時空をつなげる技術だ。

 理論上は可能だとはいえ想像を絶する超重力の極点をどうやって無事に通過させるかというのが最大の難点なのだが、M78星雲ではデータ情報だけなら無傷で通過させる技術が確立され、長い運用実績を誇っている。


 問題はデータ情報と比べ格段に複雑で繊細な構造をもつ物質の転送である。

 これには物質をデータに変換する技術が応用された。つまり、いったん物質をデータに変換して特異点を通過させたあと物質に再変換するという方法である。

 ただしデータ情報に万一傷が入ったときには物質の再現に支障が出るリスクがかねて指摘されており、公式には否定されているもののどこそこで重大インシデントがあったらしいという噂は絶えない。

 とうぜん知的生命体への適用は慎重のうえにも慎重であらねばならないところだが、ハヤタはその十三番目の被験体なのであった。


 これもあくまで噂に過ぎないのだが、知的生命体が特異点を通過すると寿命が百日縮むという説がまことしやかに語られている。真偽は定かでないもののやはり気分のよいものではない。

 ハヤタには年に一度この箱を通って一時帰国する権利が認められているのだが、リスクを伴う箱の利用を必要最小限にしたいと考えるのも当然で足は自然と遠のき、おかげで老いた両親の顔をもう四年も見ていない。



 ともかく、地球人の科学力をだんぜん凌駕するM78星雲の科学でさえ実験段階にある最新技術が万一漏洩されてしまうことあらば、その損害の甚大なるや星一個を消滅させたぐらいではきかないであろう。

 ハヤタがアキコ隊員に、くれぐれも箱に触れてはならぬと念を押したのも首肯できるのである。


 ところでハヤタはこの惑星の住人の特性にかなり通じているのではあるが、それでも万全というわけではない。

 「熱湯風呂」もそのひとつである。この惑星では往々にして「ぜったい触るな」が「ぜひとも触れ」に謎変換される論理式が存在することをハヤタは知らなかった。

 凡人の理解をはるかに超えるアキコ隊員の脳内ミクロコスモスでこの論理式がいつ発動するかは神のみぞ知る神秘なのである。




※ 本作はフィクションであり、ここに書いたのは全部なんちゃって科学ですので、鵜呑みにしないでくださいませ。


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