日本の映画関係者はこれを読むべき

私はアメリカンコミックが嫌いではない。だが今回はアメリカンコミックを貶すことにする。日本の漫画文化を理解するためにはアメリカンコミックと漫画を対比するのが一番手っ取り早い。

アメリカンコミックは基本的に略画である。「人間」「男」「女」という一般名詞を具象化し、それに個性を肉付けしてキャラクターを造形する。

それに対し、日本の漫画は最初から固有名詞を具象化したものである。一般名詞に還元できない。具体的にどういうことかというと、日本の漫画家にマネキンを描かせると、作品の登場人物よりも美術解剖学的に正確な絵になる。

マネキンは「人間」「男」「女」という一般名詞を具象化し、立体化したものであり、それを二次元に直せば略画になる。

日本の漫画の登場人物は略画と比べてリアリティがない場合が多い。だからといって、作中のマネキンの絵を漫画の登場人物に合わせるとマネキンに見えないという問題が発生する。

アメリカのコミック作家はマネキンの絵が描ける。略画に個性を肉付けするという作業を省くだけでいい。

「だから日本の漫画よりアメリカンコミックが優れている」と言いたい訳ではない。むしろその逆なのである。

日本の漫画とアメリカンコミックの違いは観念とリアリズムの違いである。

実物の人間は一般名詞に還元できるが、日本の漫画の登場人物は一般名詞に還元できない。だから日本の漫画は観念的(リアリズムの反対)なのだが、実は観念性こそが漫画の武器なのである。

漫画はひとつの文化として、文学や映画と対抗しなければならない。だが文学には心理描写という武器がある。映画はアクションやスペクタクルが得意である。

その点、漫画やコミックはどっちつかずである。しかし、日本の漫画は観念性が高いので、リアリズムでは表現できない事を描くことができる。

アメリカンコミックにできることはすべて実写映画にもできる。その場合、実写映画の方が迫力があって面白い。だからアメリカンコミックは映画に勝てない。

だが、日本の漫画は文学や映画に勝つことができる。

日本の漫画はなかなか実写化しにくい。(日本の人気漫画の実写化はよく失敗する)。

それは日本の漫画のキャラが観念的に描かれていて、実写映画の俳優にはそれが真似 出来ないからである。

要するに、日本の漫画の実写映画化はミュージカル映画を作るのと同じ位難しいのである。ミュージカル映画も登場人物を観念的に描くからである。

映画関係者にその認識が欲しいところだ。


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