商人と若者と少女
頭が垂れ、私は思わず顔を上げた。まどろんでいて目を覚ました。
列車が揺れる。車室は静かだった。
初老の商人は鞄を抱えて腰かけていた。軍人くずれの若者は寝ている。赤い髪の少女は若者の向こうにある窓の外を眺めていた。
そうか、また戻ってきたのか。
ということはやはり私は
魔法こそ使えないが私には特殊な異能があった。不条理な死を迎えると少し前まで時間をさかのぼる。
この異能のお蔭で私はこれまでにも数回死を免れている。いや死んだのだろうがなかったことにされるのだ。
厳密には、死んでからその前の時に戻るのか、死ぬ予知夢を見てそれを回避しているのかはわからないが、あの生々しい実体験を考えると、もとに戻っているのだろう。
私は確かに軍人くずれの若者に斬られた。そして痛みを感ずる間もなく時を
この現象に気づいたのは紀行文を書くためにひとり旅を始めてからだ。おそらく私は老衰や病死などの自然死でない限り命を落とすことはないだろう。
さてさてこれからどうするか。あの瞬間を回避するために動かなければならない。それがなかなか面倒なのだ。
初めてこれが起こった時、私は何度も同じ経験をループすることになった。殺されてもとに戻るのを繰り返すのだ。
死なないから良いというものではない。未来へと足を進められないのはこれ以上ない苦痛だ。
まずは元凶となったこの若者から距離をとることが最優先だ。
しかしいったい何が起こったというのだろう。私は脳内に格納されている場面を思い出した。
車室に戻ったとき、すでに初老の商人はこと切れていた。あの若者が殺したと考えるのが妥当だ。車室には二人しかいなかった。
そしてそれを見られたと思った彼は私と赤い髪の少女を口封じに殺そうとした……という単純な構造でないことは何となくわかる。
だがいくら考えても情報が少なすぎて真相はわからない。
車室を出てずっと通路で過ごし、次の駅フローラで下車したら彼らと顔も合わさずに街の雑踏に身を隠そうかとも思ったが、あの赤い髪の少女のことが気になった。彼女が死んでしまうのは望むことではない。
初老の商人がどうなろうと知ったことではないが少女はそうもいかない。私は面倒くさい男なのだ。
何はともあれ、先程とは違う行動をとらねばならない。
私は何気なく静かな物腰で初老の商人に話しかけた。「だんだん暖かくなってきましたな」
窓の外の田園風景を意識して言ったのだった。
「そうかね?」と彼は素っ気ない。
彼にしてみればなんで今さら話しかけてきたのだ、とでも思っているだろう。
「あんたは物書きなのか?」唐突に彼は私のことを訊いた。
「ジョニー・オーウェンと申します。旅をしながら紀行文を書いています」私は名乗った。
なぜ私が「物書き」だとわかったのか、とても知りたい。
「物書きの顔をしていますか?」私は訊ねた。
「私には生まれつき鑑定眼があってね。魔法はほとんど使えないがこの異能だけは経験で鍛え上げてA++のスキルになっていた。さすがにSクラスになるには魔法学理論を極めないといけないから無理だがね」
正直なところ私にはA++クラスとSクラスにどれくらい差があるかわからない。
「あんたの特性は『さまよいびと』で『ダイアリー』の異能がある。おそらくは自らの体験を筆記具を使うことなく脳に書き込めるのではないかな」
「そんなことがわかるのですか?」
「声を落としてくれるかな」
彼は同室の若者と少女の方を気にかけた。私たちは彼らに聞こえない程度の声量で会話していたのだ。
「自分のことを鑑定してもらったことがなかったもので」私は頭を掻いた。「ちなみにどの程度までわかるのですか?」
「きみは四十二歳。独身だな。別れた妻子がいるようだが、その事情はわからないな。魔法は使えないが何だかおかしな耐性がついている」
「おかしな?」
「『不条理な死』の耐性がとてつもなく強い。見たことないくらいだ。死にかけて助かったことはないか?」
「死んだことはありませんよ」私はとぼけた。
「そうだろうな。そんなことができるわけないか」
さすがに私が、死を回避するために時を遡ることができることまでは彼の鑑定眼ではわからないようだ。
「きみに死を免れる能力があるのなら私はきみをそばに置いておきたいな。ま、冗談だ」
死を免れるのは私であって貴方ではないのだが、と私は口にはしなかった。
「ところであちらの二人についてもわかりますか?」私は気になっていたことを訊いた。
もしあの若者が彼を殺したとして、彼はその危険性を察知できなかったのか?
「わかるよ」彼は答えた。「若いやつは二十五歳の軍人くずれの冒険者。魔法は使えるようだが身体強化に特化したものだけのようだ。だからもっぱら刀剣術が彼の秀でた才だな。特性の『豪胆』とよくマッチしておる」
「なるほど」
「そして彼女は十五歳。魔法は使えない。特性に『聡明』とあるからなかなか賢いのだろう。『みちづれ』というのがどのようなものかわからないが……」
「『みちづれ』?」
「いや、気にせずとも良いな。それよりも……」彼は何か言いかけて口を閉ざした。
その目に不穏な企みの光が
私には鑑定眼はないが彼が何かを隠したことは何となくわかった。いったい何だ?
私たちが小声で話をしていたらそれまで寝ていた若者がやおら頭を上げ周囲を見回した。
「フローラまであと一時間くらいかな」商人が若者に言った。
「そうか……」若者は伸びをした。
「あんたらフローラで何をするんだい?」若者は話しかけてきた。
「まあちょっとした商売だな」商人は答えた。
「私は旅をしながら紀行文を書いている」正直あまり関わりたくなかったができるだけ自然な態度はとっておくべきだと思った。
「ひとりで旅するとは度胸があるよな」
若者はそう言って私たち二人を見てそれから少女の方も見遣った。
少女は聞こえないふりをしているようでそっぽを向いていた。
「用心棒は必要ないか?」
「ほう……」若者の問いに商人が食いついた。
若者の方が商人に持ちかけたのか? 先ほどは商人が若者に声をかけたと少女から聞いた気がするが。
前回と行動を変えると流れも変わることはよくある。いや、だからこそ私はあの結末を回避するために変えているのだ。
「フローラで二泊する予定だがついてくれるか?」商人は若者を誘った。
普通なら初対面の男に気を許すなどあり得ないと思うが、彼の鑑定眼は若者に守護者の資格を与えたようだ。その選択の妥当性を彼は微塵も疑っていなかった。無駄に鑑定眼があるとそのような過ちを犯してしまうのかもしれない。
私がいるにもかかわらず二人は条件について話し合った。
「あんたは同行しないのか?」話がまとまると若者は私にも目を向けた。
「私はいつも自由気ままに旅をしているので」私は答えた。
「それで食っていけるのはうらやましいな」
「じゃあ」と言って私は席を立った。小用くらい足さなければならない。
すると若者も思い出したかのように立ち上がった。「俺も用足しだ」
なんで一緒に行くかな。できればこの男とは二人きりになりたくない。
しかし適当に断ることもできずに私たちは通路に出た。
「あの男、相当悪どいことをやってるな」若者は呟くように言った。そして私を見る。
「どうしてそう思う?」
「わかるさ。流しの用心棒をやってるとな」若者は得意気に言う。「貴族でもないのに金持ち。人知れず三等室を利用して周囲には気をつけている。狙われるだけのことはしてきたんだろ」
そうかもしれないと私も思った。
「それでも彼の用心棒になるんだ?」
「俺も金は必要だからな」
私たちは最低限の会話だけ維持し、用足しを済ませた。そして自分たちの車室まで戻った。
扉に触れたとき、またあの得体のしれない
今度はゆっくりと扉を開いた。
まさか前回の光景が人を替えて繰り返されるのか?
爽やかな冷気を帯びた空気の流れを感じた。窓が少し開いている。
少女が窓際にいて外の景色を見ていた。
扉を閉めると空気の流れは穏やかになった。
商人は目を閉じている。
それがわざとらしい仕草であることを私は気づいていた。私たちが扉を開けた瞬間、彼の腰は座席から少し浮いていたのだ。
間違いなく彼は少女に何らかの話しかけを行っていた、と私は確信した。
「換気したのか」若者はどっかと腰を下ろした。
「よどんでいたからね」
初めて少女は口を開いた。
私は自分の席についた。
商人が少女に何かちょっかいを出したのだろうか。そう思って彼の方を窺うと、寝た振りをする彼の頭に黒っぽい鳥の羽根が一枚刺さっていた。
窓の外から飛んできた羽根なのだろうか。よく見ると首筋にも一枚立っている。彼はそれに気づいていないようだった。
「いて!」若者の声が聞こえた。
そちらに目を向けると、自分の指を見ながら怪訝な顔をする彼がいた。
足元に黒っぽい羽根が一枚落ちていた。
若者が不思議そうに羽根を拾い上げようと身を屈めた。その
「何だ?」
若者は
私も天井を見たがそこに何の異変もなかった。
異変は別のところから起こった。寝た振りをしていた商人がくわっと目を見開き、胸をかきむしるようにして悶え始めた。それはまるで高齢者特有の心臓発作にみまわれたかのようだった。
「だ、大丈夫ですか」私は慌てて彼のもとに駆け寄った。
彼は声も出せずに口をパクパクと動かし、やがて痙攣したかと思うとその場でこと切れた。
唖然とする私の首筋に何かが刺さった。チクッとする感覚を覚え私は反射的にそれを引き抜いた。予想通りそれもまた羽根だった。
「くそ! どこから? もしやお前か?」
若者が振り向いた先に少女はいたが彼女は
何が起こったのか理解しようとする私の身にも異変は起きた。
息ができない。いや、息はしているのに酸素が取り込めない感覚。私は胸をかきむしった。
車室に無数の羽根が舞っている。窓の外から入り込んでいるのではない。上から降ってくるのだ。
「お前! くそ!」若者は悶絶し床に倒れて動かなくなった。
そして私の意識も遠ざかる。
少ししておもむろに立ち上がる影があった。
私はその主を見上げた。
赤い髪の少女が首まわりの羽根を抜いていた。
「油断したよ」少女はまだ息のある私を見下ろしていた。「他人の個人情報を盗み見る異能を持つ奴がいるとはね。列車内ではテロ対策で魔法が使えないよう結界が張られていると聞いて安心していたのにまさか異能とはね」
「きみがやったのか?」私の言葉は声にならなかった。
「この羽根の羽軸にはアマネカズラの根から抽出した毒が塗ってある。少し時間はかかるけど耐性がない限り間違いなく死に至る。ごめんね。おじさんに恨みはないんだ。でも仕方がない。旅はみちづれ。こいつらと一緒にいってもらうよ」
少女が手をはらうと、無数の羽根が天井へと舞い上がり、宙で反転して、降ってきた。
私の意識は途絶えた。
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