虚刀・空
虚刀・空を鞘から抜く。
――『治癒の加護』が付与された、空色の刃が抜き身になる。
「お前は死なないぞ。つーか、死なせない」
シアンはそう言って、刀身をタルロスの腹部に当てた。
そして、思い切り振り抜いた。
すると彼の傷口がたちまち塞がり、出血が止まった。
何が起きたのか理解できないタルロスは、困惑して自分の体を見る。
傷は完全に治っていた。
体力の方は、完全に回復とまではいかない。
が、しかし、タルロスは驚きのあまり声すら出なかった。
これは奇跡でもなんでもない。
カタナの加護だけではなく、シアンの能力もまた、他者を癒すことに特化している。
神聖系統の魔法を〈列代〉まで極めたシアンは、ヒーラーとしてそこそこ優秀な実力を持っているのだ。
ヒールと治癒の加護の合わせ技、その名も――
「祈刀――三の型、全快」
タルロスの体が元通りになったことを確認したアシリが、眉を上げる。
「なにが、〝全快〟、よ」
「……」
「アンタそいつをどーする気なのよ?」
「こうすんだよ」
次の瞬間、シアンは仰向けのタルロスに馬乗りになり、マウントポジションを取った状態で軍服の襟を掴んだ。
「お前は悪いことをしたんだろ。だったら生きて、」
そして、頭を振りかぶる。
「罪を償え」
ゴキィッ! という音と共に、タルロスの顔が大きく歪む。
彼は白目を剥いて気絶してしまった。
「ワチの頭は固いんだ。それでちっとは反省できるだろ」
シアンの頭突きは、タルロスの頭蓋骨を大きく陥没させていた。
いくら回復させたとはいえ、しばらくは動けないだろう。
「あたしが言うのもなんだけど、めちゃくちゃしやがるわねアイツ」
アシリは呆れたような顔で言う。
彼女の後ろに控えていたネフティスは、小さくため息をついた。
「そうねー。回復手段があるなら、先にそう言って欲しかったわ」
――それにしても、シアンのあの剣
斬った対象を癒す剣など聞いたことがない。
シアンの持っているあれは、恐らく聖剣に分類されるものだ。
それを打った男が、伝説の鍛冶職人であることを。
この時はまだ、ネフティスはおろか持ち主のシアンでさえ知らなかった。
「縛り手――
アシリがどこからともなく光の縄を取り出し、タルロスを縛り上げる。
拘束が完了したところで、彼女は腰に手を当てて言った。
「なにはともあれ一件落着ね。姫様、こいつどうする?」
「んー、馬車に乗せるのも窮屈ね。そうだわ、いいこと思いついた。
テレポーテーションの
ネフティスは懐から魔法の巻物を取り出すと、両手で広げた。
すると、タルロスが寝そべる地面に魔法陣が浮かび上がる。
そして、そこから這い出た霧に包まれ、タルロスの姿はフッと消えた。
「な、何をしたんだ?」
「《
「へー。あいつをどこに飛ばしたんだ」
「牢屋よ」
王都の地下深くにある監獄、それがエルビスである。
そこは、罪を犯した囚人たちが収監されている場所だ。
一度入れば二度と出ることはできないと言われている。
また、凶悪犯を収容するために、看守たちも一流の実力を持っているという。
そんな場所に、タルロスは送られたのだ。
もちろん、タルロスが何かしらの方法で脱獄しようとしても、決して逃げられることはない。
「頭を冷やしたタルロスなら、きっと本当のことを話すはず」
タルロスが自白するまで、そう時間はかからないだろう。
彼がなぜこの国を裏切ったのか。
人誑しは、どうやって彼をそそのかしたのか。
それを解明するのは、尋問官の仕事である。
「あとは尋問官が色々と聞き出してくれるでしょう」
ネフティスは、ぱんぱん、と手を叩きながら言う。
そして、シアンに向かって微笑みかけた。
「礼を言うわシアン。王都に戻ったらお礼しないとね」
「お礼ねー。ワチは何もしてないような気がするけど」
シアンはアシリの方をちらっと見る。
「あによ、どチビ」
「別に」
盗賊団を壊滅させたのは、ほとんど彼女一人の力によるところが大きい。
父に匹敵するほどの実力者だと、シアンは感じ取っていた。
「ねえシアン、あなた私の騎士にならない?」
ネフティスは口許に指を当ててそう言い放つと、シアンの手を引っ張った。
「お給料は、はずむわよ」
彼女は小声で耳打ちしてくる。
シアンは驚いて、思わず飛び退いた。
その反応を見て、ネフティスはくすりと笑う。
冗談だったのだろうが、心臓に悪い。
シアンは苦笑しながら答える。
「そういうめんどーな役目はごめんだ……」
「あら残念」
「なら、うちの団に入りなさいよどチビ。雑用としてこき使ってやるわ」
今度はアシリが、意地の悪い笑みを向けてくる。
「雑用もごめんだ」
シアンは肩をすくめて、その場から離れようとする。
「ちょっとアシリ、私を差し置いて勝手な勧誘はやめて貰えるかしら」
「あによ、姫様だって断られてたじゃない」
二人の美少女がにっこりと睨み合う中、シアンは何気なく空を見上げた。
(今日はホントに色々あったな。家を勘当されて、ヌシを釣って、河童と話して、ファントムと斬り合って、ネフティスと再会して、盗賊と戦って……)
こんなにも慌ただしく、目まぐるしい日々は初めてだ。
だけど不思議と、悪くない気分だった。
「ふぁぁ~」
緊張感が解けたことで、一気に眠気が襲ってきた。
大きなあくびをするシアンにつられて、ネフティスも釣られるように欠伸をした。
「今日はもう寝ましょう」
「んじゃ、夜番はあたしが引き受けたわ」
「あらいいの? アシリも眠たいでしょうに」
心配そうな顔を浮かべるネフティス。
だが、アシリは首を横に振って言った。
「それも依頼料に含まれてるから」
「あらそう。ではお言葉に甘えて」
「悪いな」
シアンが寝そべろうとすると、アシリが右手を突き出してきた。
「アンタのお守りは依頼料に入ってない」
どうやら護衛代を要求しているらしい。
「いやなやつ……」
シアンは顔をしかめた。
アシリは鼻を鳴らして笑う。
二人は焚き火を囲んで胡坐をかく。
少し離れたところで、ネフティスは静かに目を閉じた。
「どチビ、アンタは誰に剣を教わったのよ?」
唐突に投げかけられた質問。
シアンは頭の中で、旅人と父の姿を思い浮かべる。
「ほぼ我流だけど、むかし、
父にも、神官剣士の何たるかを叩き込まれたような気もするが。
しかし実際の剣術は、七年間ものあいだカタナを振り続けたことで、完全に体に染みついている自己流だ。
あとは実戦を重ねながら、自分のスタイルを作り上げていけばいい。
そう思っていた。
しかし、その考えは甘いと、すぐに気付かされることになった。
おそらく。
父同様に。
アシリ・ブレインハートには、シアンの剣術が通用しない。
それは彼女の強さを目の当たりにしたときから、分かっていたことだ。
規格外。
そう悟らせるほどに、アシリは強い。
シアンは改めて確信する。
同時に、悔しさを覚えた。
自分と同い年ぐらいの少女に、これほどまでの強さを見せつけられてしまったことが。
そんな彼女に勝つためには、自分もまた、規格外の域に達するしかない。
シアンは強く拳を握ったあと、ゆっくりと息を吐き出す。
「なあバカ女、ワチに足りないものはなんだと思う?」
「バカは余計よ、どチビ」
アシリはしばらく黙り込んだ後、こう答えた。
「……経験ね」
その通りだろう。
シアンは頷いて、肯定した。
「ただ、あんたの居合いは、必殺に近い。間合いを詰める術を覚えたなら、あるいは」
「あるいは?」
「後は自分で考えなさい。あたしはね、お人好しじゃないの」
アシリは素っ気なく言う。
シアンは小さく笑った。
そして、目を閉じる。
瞼の裏に浮かんでくるのは、やはり父の背中だった。
いつか追いつきたいと思う一方で、同じ道を辿ることは、もう二度とないだろうと感じていた。
だが父を越えねば、最強の剣士には届かない。
「間合いか」
「……」
アシリはちらっとシアンの顔を睥睨した後、ため息をつく。
(――こりゃ、うかうかしてられないわね……)
心の中で呟いたアシリは、誰にも聞こえないように小さく舌打ちした。
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