第6話

 翌朝、結迦ユイカは薬草摘みに出かけた。


 昨日、集落との往来で使った道は、ダリュスカインによって雪が取り払われて通りやすいが、それ以外はまだ埋もれたままだ。

 薬草を摘みに出ている道はまだ雪が覆い、通い慣れた結迦でも判断に迷う箇所がいくらかあった。そもそも、こんな雪が積もった中で薬草探しをしたところで、結果は知れている。何も、今日出掛けなくともよかったのだ。だが、あのまま小屋にいるのも息が詰まりそうだった。

 

 ダリュスカインと、昨日のようなことになったのは初めてだった。結迦は昨夜ずっと、どうしたらいいのか考え続けていた。

 結局、気持ちが整うどころか苦しさが募るだけで、今朝初めて、彼女はダリュスカインの髪を結くことなく小屋を出てきてしまった。


 本当は傍にいたいと思う反面、ダリュスカインの片腕を補うためにいるのだと、当然のように思っていた自分が、今は恥ずかしい。


<カインにとって私は、そういう相手に思われていなかったんだ>


 星莱せいらいやしろを追われ、結迦は声だけでなく、森羅万象の声を聴く能力も失った。だがどういうわけか、瀕死で倒れていたダリュスカインに触れた時、彼の内に迸るあまりに悲痛な波動を、結迦は汲み取ってしまった。

 自分の全てであった社と仲間を諸共に失い、生きる意味すら見出せなくなっていた結迦の心は、やはり家族を亡くし天涯孤独のダリュスカインの秘めたる痛みに共鳴し、寄り添っていった。

 やがてダリュスカインの存在は、結迦に再び声を、そして生きる意味を与えた。ゆえに、想いを伝えられぬまま一度はここを去った彼が奇跡的に戻って来た時、結迦はどんな苦衷くちゅうも受け止め、共にしようと心に誓ったのだ。

 でもそれは全部、自分の中で決めたことであり、彼からそう言われたわけではなかった。


<馬鹿みたい。一人でその気になって>


 時に、雪に足を取られそうになりながら、結迦は嫌な思考を振り払うように黙々と進んだ。

 ところが──どこか上の空で、鬱屈とした思いに囚われながら歩いていたせいで、いつまでも目印にしている大樹が見えてこないことに、結迦はかなり深入りしてから気づいた。

 いつもはこんなに進まずとも、大樹に辿り着いてはいなかったか。

 少しくらい道を逸れても、雪景色でなければ大体の居場所の見当はつく。しかし今、あたりは一様に雪に埋もれ、目印になりそうなものは見当たらない。


<どうしよう…>


 それでも、方角がわかる、覚えのある景色がどこかにないかと、結迦は辺りを見渡した。だが、判断材料になるようなものは、視界の中に何も見つけられない。

<そうだ。足跡を辿れば、戻れるはず>

 結迦は、今しがた自分が踏みしめて来た大地を振り返る。雪が覆っている部分には、自分の足跡がちゃんと残っている。

<大丈夫>

 そんなに長く進んではいないはずだ。きっとすぐに、知っている道まで戻れるだろう。

 結迦はきゅっと口元を引き締め、歩き始めた。



 ────────────



「遅いのう」

 薪の束を縛りながら、宗埜ソウヤが空を仰いだ。「結迦はどこまで薬草摘みに出かけたんだか……またひと雪くるかも知れんというのに」

 隣で同じように薪を縛っているダリュスカインが、空を確認するように顔を上げる。先ほどまでは青く澄んでいたのに、いつの間にか灰色に変わっている。日差しが遮られ、体の芯を冷やす風が、どこからともなく吹き始めていた。ほどいたままの彼の金髪が、その肩先でふわりと風に揺れる。

 時刻はひるを過ぎている。普段は昼食には戻ってくるが、今朝の結迦はいつも以上に早く出掛けて行った。山はまだ、ダリュスカインが炎で払った場所以外は、おそらくほとんど雪に埋もれているだろう。摘める草も少ないはずだ。普通より早めに切り上げてもおかしくはないくらいなのに。

 ダリュスカインは急に不穏な予感が胸に渦巻くのを感じながらも、まるで宗埜の言葉など耳に入っていないかのように、無表情のまま左手で薪の束を押さえると、紐の片側を口に咥えて引っ張った。そこで、宗埜と目が合った。

 彼は白い顎髭を撫でながら、独りごちた。

「まあ、結迦はこの辺の道はよく分かっておる。杞憂とは思うが……雪もまだ積もっておるし──」

 沈黙の中に漂う雄弁な思惑を、ダリュスカインは無視することができなかった。

「……少し、その辺を見てきます」

 昨日のことがあって、本当はあまり顔を合わせたくはない。朝、結迦がついに自分の髪に触れることなく小屋を出ていったことを思うと気が滅入った。だが、やはり彼女にしては遅すぎる。

<気配が、辿れるといいが>

 雪が残っている場所には足跡があるだろうし、通ってまだ数時間なら、風属性を利用した術で探せばある程度の気配を感知できるだろう。

 ダリュスカインは、小さく息をつくと、重い腰を上げた。

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