第1話

 砂來シャナクの集落に着いたのは昼前だった。

 大きな木造の門をくぐり、四足獣デカウを預ける獣舎に向かっていると、軽快な足取りで向かってくる青年が見えた。暖かそうな獣毛の防寒衣を纏った赤茶色の短髪の彼は、濃茶の瞳に明るい光を宿し、朗らかな笑顔で手を振る。

結迦ユイカー!」

 ほどなくして二人の前に立った彼に、結迦も笑顔で「こんにちわ、隼斗ハヤト」と返す。その笑顔に、彼は「そろそろ到着すると思ってたんだ」とさらに顔をほころばせ、続いてダリュスカインの方に向くと、「お疲れ様です。そいつは俺が連れていきます。手綱、貸してください」とにこやかに手を差し出した。彼──隼斗は、ここの獣舎を取り仕切っている主人の次男だ。

 ダリュスカインは黙ったまま、隼斗に手綱を渡す。「じゃあ」と隼斗は慣れた手つきで手綱を捌き、デカウを速やかに獣舎へと導いた。彼は獣舎守りの男とひと言ふた言会話を交わして戻ってくると、結迦に言った。

「お昼、まだだろ? 一緒に食べよう」

 結迦はすぐに答えず、ダリュスカインを見上げた。深緋色混じりの朱い瞳が、「どうしよう」と尋ねている。ダリュスカインは「まあ、ひとまず届ける物を届けたら、どこかで食べなくてはいけないのだしな」と素っ気なく返した。

「よし。じゃあ、まずは配達だ。俺も手伝います」

 隼斗が、意気揚々と言った。



 薬屋に摘んできた薬草を届け、反物屋に結迦が織った織物を職人に届け、食材の店では、持参した高地ならではの自家製の野菜や果実などと物々交換を交えて食物を貰ってから、遅い昼食となった。

 集落の主要な通りに面した食堂に入ると、丸太を切っただけの簡素な椅子に腰掛けた隼斗は、身体を大きく伸ばして深呼吸をする。

「ふう、腹が減ったな。でも、もうこれで、あとは少しゆっくりできるんだろう?」

 彼の爛々とした瞳は、結迦に向いている。その結迦は、ダリュスカインに視線を投げた。

「二の刻くらいに帰路につけば、暗くなる前に帰れるだろう」

 ダリュスカインが答えると、隼人は「良かった。じゃあ少し、広場とかさ、案内するよ」と微笑んだ。「仕入れと納品だけじゃ、味気ないだろ?」

 結迦が「今日、酒場のお仕事は大丈夫なの?」と尋ねると、彼は無邪気な様子で、「そっちは夕方からだから、二の刻だったら問題ないよ」と言った。「広場の端に、工芸品を扱う雑貨屋があるんだ。綺麗な耳飾りとか装飾品を置いてる。一緒に行かないか?」

 すると、結迦の表情がほのかに動いた。

「カイン、行ってみてもいい?」

 普段は目で尋ねるだけの彼女が声に出して聞いたのは、それだけ興味をそそられたからだろう。ダリュスカインは「時間はある」と静かに返した。

 その時、「お待たせしました」と頼んだ料理が運ばれてきて、会話はそこで一度終わり、ようやく食事の時間が始まった。

「わあ、美味しそう」結迦がささやかな喜びの声を上げる。

「ちょっと遅くなったしな。昼の営業時間に間に合ってよかった」

 隼斗はすでにフォークを手にしている。

「いただきます!」彼が言うと、結迦も「いただきます」と続いた。

 ダリュスカインは、左手に取ったパンをシチューに浸して口に含みながら、結迦の明るい表情を横目に見た。

<こうも変わるとはな>

 今の結迦には、ダリュスカインが初めて会った頃のような焦燥感は全くない。

 ほんの数ヶ月前まで一切声を発することなく、俯いていた彼女が、自分と出会ったことで心の傷を越え、声を取り戻すきっかけになったという事実は、ダリュスカインにとって密かな救いになっていた。

 たとえ己の罪にさいなまれ苦しむ夜が続いても、結迦にとって僅かな光を灯せるならば、それだけが今の自分の価値なのではないだろうか。

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