第12話 体育館の地縛霊
日はもう暮れていた。雨は少しずつ強くなってきた。視界が酷く悪かった。
渉と待ち合わせをしていたのは、方円寺小学校の校門前だ。今の時間であれば、先生に見つかることもないだろう。
校門前に渉が立っていた。質感のないその身体は雨に濡れず、風に押されることもない。こんな天気の時は、少しだけ羨ましく思ってしまう。
「……巳継、無事だったか。待ったぞ」
「ごめん、遅れた」
巳継は息を切らしながら、渉に常盤麗子が事件に関わっていて、先ほど成仏したことを報告した。
「ややこしい話になってきたな。詳しく聞くのは後だ。……伝えたいこともあるが、それよりも俺は今朝の清算が先だな」
渉は今朝の登校時、豊田が刺されたという報道が気になり巳継の前から姿を消したのだという。そして星雲荘を確認し、部屋の中の惨状を目の当たりにしていた。渉が巳継に普段から星雲荘へ行くなと言っていたのは、生きた犯罪者がいる可能性が高かったからだ。なのであの時も一人でこっそりと行ったのだという。
「部屋の中で、佐和ちゃんの父親が死んでた。これは今朝からそうだった」
巳継は今初めてこの情報を聞いた。
しかし、動揺はしなかった。
扉から流れ出るあの量の血痕を見て、殆ど確信していた。ここ数日、この町で流血沙汰の事件は起こっていない。事件でないなら、血痕は片付けるはずだ。あんな状態のまま放置はしない。
もうひとつ気になることがある。小林さんは、最近この場所に人が来ていないと言い張った。そんな嘘をつく理由なんて、この状況下では犯罪以外に考えられない。小林さんは死んだ後も誰かを庇っているのかもしれない。
このように不審な点も多かったため、巳継が常盤麗子と会っている間に、渉にはあの廃墟の中をさらに調べてもらっていた。渉は光を灯せないため、暗くなる前に全ての情報を集めてもらう必要があったのだ。
「どうなってた?」
「……背中を一突き」
「は?」
「玄関の方を向いてうつ伏せに倒れていた」
「その他は?」
「身体の下になにか紙のようなものが一枚入っていた。何かわからないが、四角い紙の、四隅の一角だと思う。それが少しだけ見えてた。畳が上げられていた。床下は暗くて見えなかった。あとは遺体なんだが、台所のシンク下の収納に手を伸ばしているようにも見えた。もう少しで扉に届きそうな距離だったが、届いてなかった」
その収納の中を覗こうにも、光がなく見えないだろうが、そこに住んでいた渉なら、その中身を知っているかもしれない。
「中に何が入っていたかわかる?」
「確か、包丁類だ」
「武器を取ろうとしたのかな……」
「かもな」
「血溜りとかあった?」
「その収納の付近と、遺体の傷の下。遺体の履いていたズボンも血まみれだった。足元にも少し血だまりができているようにも見えた。言っておくが、俺は普通の人間だったからな。見るべき所も分からないし、ちょっとした違和感にも気付かない」
「分かってる。ありがとう」
「さあ、それより行くぞ」
ここに来た理由は、新体育館に居たあの正体不明の霊の件だ。
「きっとあの場所に渉は埋められていたんだ」
「でも、今は別の奴がいる」
それが誰かを調べるために、ここまで来た。
「いいか、この件に関わっている可能性が非常に高い。慎重に聞き出すんだぞ」
「わかってる。といっても、手なんてないけど」
「ま、そうなんだよな……」
巳継たちは小学校へ侵入した。渉が事前に周囲を見回ってくれていたおかげで、小学校への侵入は簡単に成功した。周囲に人が居るかどうかも、曲がった先に人が居るかどうかも、体育館の中に人が居るかどうかも、簡単に分かる。先に渉が調べてから巳継が後に続く形を取ればいい。
「昨日とは大違いだ」
「当たり前だ。守護霊様をなめるな」
「守護霊のつもりだったの? 御利益しょっぱいね」
「自称だ、自称。あてにすんな」
昨日忍び込んだばかりの体育倉庫に、巳継は再び侵入した。運がよく、鍵は掛けられていなかった。昨日はバタバタし過ぎて閉め忘れたのだろう。
幽霊のこととなれば尚更だが、渉が傍に居るだけで安心感が違う。巳継の身体は、今回は震えていない。
確かな手つきで、巳継は体育倉庫の扉を開けた。
あの時と同じ、ぎい、という音がした。
***********************
体育館の中は暗かった。雲に覆われていて月明りはなく、誘導灯のわずかな光だけが体育館の中を照らしていた。
体育館の中央あたりに、やはりいる。
夜、暗闇になったときに姿を現すのかもしれない。なぜそんな時間に想いを強めるのか知らないが、それならば今まで見つからなかったのも頷ける。
膝から下のない幽霊は、確かにそこにいた。
男だ。
かなり老けている。
まさかこの人……。
「話を聞かせてくれませんか。ここに建物が建っていることも、気がついていないんですか? 足、埋もれてますよ」
足から血は出ていない。綺麗に床で服も切れているように見える。
「誰だテメエ」
「こっちの台詞です。我々の体育館に何の用です」
「体育館?」
やはり気付いていないのかもしれない。かなり気が触れているようだった。
渉が「少し下がれ」と手で巳継を誘導した。
「お前、あそこの大家だな」
「あんたは……」
霊の目が少し開かれた。皺の寄った小さな目だ。
大家。星雲荘二号室の住人。
まさかこんな死に方をしているなんて……。何があったか知らないが、碌な死に方をして居なさそうだと思った。常盤麗子の「全て跳ね返る」という言葉の重みを、巳継はひしひしと感じた。
「元とはいえ客だぞ。あの時の白々しい謙った姿勢はどうした」
男は口を開かない。
「金の事を知ってて住まわせやがったな」
「……そうだ。見つけたらくれてやろうと思ってた」
男の声はまるで酔っ払いのようで、発声に呼吸が追いついていない。話すための呼吸をしているのではなく、吐く息に声を乗せている感じだ。死んでまでこのように会話するとは、よほど生前の生活週刊が悪かったのだろうか。
それにしても、渉の語気がかなり強い。自分を殺したかもしれない相手だから仕方がないのかもしれないが、今にも飛び掛かって行きそうな雰囲気だ。
事実、この大家は三億円強奪事件の実行犯の一人だ。巳継は常盤麗子の話を聞いているから知っているが、渉はまだその事実を知らない。
「渉、大家さんも事件に関わってる。金を受け取った四人のうち一人だ」
「ガキ、どこでそれを!」
大家の怒声に反応して殴り掛かりそうな渉を「待って待って」と制止して、今度は巳継が喋った。霊同士であっても互いに干渉できないから殴れない、というのは渉からきいた情報なのに、完全に頭から抜け落ちているらしい。
「どうしてここにいるのか教えてくれたら、教えてあげます」
「ふざけんな! さっさと言いやがれ!」
「そんなだから利用されるだけされて殺されちゃうんだよ」
「なんだと……」
やはり図星だ。
十年前にこの見た目、年齢なら、体力的に実行犯に混ざっている方がおかしい。
「ねえ誰に殺されたの? 豊田? 小林?」
「んなわけねえだろ!」
「わかった。常盤麗子じゃない?」
「ぶっ殺されてえのかテメエ!」
「じゃあ、篠原巧とか……」
大家は一瞬黙った。悔しさを滲ませた表情と共に。
あ、た、り。
「経緯を教えてくれたら、いいこと教えてあげるよ」
巳継が持つこの情報は、苦しむ地縛霊にとって一番ほしい情報のはずだ。
黙り込む大家に、巳継は言った。
「成仏できるかもよ」
大家は歯を強く噛みしめた。
「お前、俺が怖くねえのか」
巳継は笑ってみせた。
「長い間何もできなかった霊なんて怖くないよ。何か出来るならもうやってる」
「どうやったらテメエみてえなガキが育つんだ」
「今度訊いてみるよ、親に」
実は横にいるんだけど……。
「話してお前に何のメリットがある」
「僕だって本当はこんな所に来たくないよ。何が悲しくて夏休みに学校なんかに来なくちゃいけないんだ」
男はしばらく巳継の目を見てなにかを考えているようだった。
そして、ため息をひとつ吐いた。
成仏の魅力というのは、やはり無視できないらしい。
「……いいだろう。教えてやる。後悔するなよ」
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