犯罪者が安らかに眠ろうなんてゆるしませんよ?

雨風しぐれ

第1話 プロローグ/その日


 夜の七時を回った頃だった。夜の蝉も鳴くのをやめた頃。


 加野川巳継かのかわみつぐたちは金網をよじ登り、方円寺小学校へ忍び込んだ。


 いつも使っている教室に忍び込み、大胆にも蝋燭ろうそくに火を灯した。誰が持ち込んだのか、白くて太い蝋燭の先で紅い炎がらめいている。


 どうしてこんな事をしているのかというと、学校で怪談かいだん話が人気になったからだ。


今、学校では至る所で出所の知れない噂話が飛び交っている状況だった。しかし話自体はそこまで怖いものではないので、段々とつまらなくなってくる。それならもっと雰囲気を出して味わおうということを言った者がいて、皆の予定が合った夏休み終盤のこの日、ついに決行される運びとなったのだ。


「新体育館が建ってから、出るんだってー」


 女子の一人がそんなことを言った。


「出るって、幽霊?」

「そう!」

「えーでも新体育館って今年建てられたばかりだよ?」

「へえ。でもよお、誰がそんなこと言ってんだ?」

「二組の女の子」

「じゃあ俺知らねえやそいつ」


 一人がそうやって笑う。


 みんな、怪談話をしようというテンションではない。それどころか、怖がろうという雰囲気でもなければ、幽霊を見ようという意気込みすらない。夜、友達と入っては行けない場所に入って、コソコソと話をしているのが楽しいだけだ。


 巳継みつぐは怪談話に興味などないが、同じクラスの篠原佐和しのはらさわが参加すると言ったのが切っ掛けだった。


 佐和さわは色白で活発な、いつもクラスの中心に居る女子だ。たまに伊達だて眼鏡を掛けていたり、コロコロと髪型を変えたり、ボーイッシュな服装から女の子らしい可愛い服装まで色々と着こなしていたりと、ファッションに詳しいらしく女子からの人気も高い。


「ねえ、新体育館のお化けってどんな感じなの?」


 佐和が静かなトーンでそう言った。教室の中で大声は出せないから皆自然と声は小さくなるのだが、彼女の声はよく通り、その上で妙な落ち着きがあるため、不意に皆が一瞬黙ってしまった。


 その途端、しんと静まりかえった。


「ねえ、どんな感じなの?」


 佐和がもう一度そう聞いた。


 友人が答える。


「あのね、泣いてるんだって」

「泣いてるの? 体育館で?」

「うん。俯いてるだけかと思えば、すすり泣いたり、泣き止んでまたずっと立ちくしたり。でもね、新体育館って今年建てられたばかりで、変な事故は起きてないんだよ」

「そうだよね。私も聞いたことない」


 新体育館が建てられたのは確かに今年だ。れに荒れていた敷地の一角を整備して建てられたのが新体育館で、元あった古臭い体育館は近いうちに取り壊される予定でもう使われていない。学校側は数十年前から新しく体育館を建てる計画があると言い続けていたらしいが、待てど暮らせど一向に着手されず、今年になってようやく完成した建物だ。


「でも確かに居るらしいんだよ、幽霊が」

「男の子? 女の子?」

「わかんない」


 皆がうーんと首を傾げた。かと思うと、誰かがあっと言った。


「そういえばさあ、あの建てられたところじゃない? 別のうわさが立ってたのって」

「別の噂?」

「死体が埋まってるってやつ」


 佐和が「あ、知ってるかもそれ」と薄笑みを浮かべた。


「なんだっけなぁ。えっと、確か、嵐の晩にそのあたりを掘り返している人がいるっていう感じだっけ?」

「あ、そんな感じ」


 聞いたことがある。


 嵐の晩、誰も居ないはずの校庭に、雨合羽あまがっぱを着た男が大きなシャベルを持ってやってくる。その男は嵐の間中、ずっとそこを掘り続ける。というものだった。死体が埋まっているなんて話は初めて聞いたけど、尾ひれがついたのかもしれない。


「じゃあ、その上に建っちゃったのかな」

「どうなんだろうね」


 佐和が口元を僅かに緩めた。


「じゃあさあ、見に行こうよ」


 皆がソワソワしだしたのが伝わってくる。いけないことをするのが楽しいのだ。


「そこに埋められた死体の霊が、そこで泣きじゃくってるのかも」

「こわぁい」

「でもさあ、その噂って結構前からあるよね」

「私たちが小学校に入った頃にはあったよね」

「だよねえ、誰が埋めたんだろうね」

「殺人鬼が町の中にいるってことだよそれ」

「この町ってさあ、昔色々起こってるよね」

「あー、えっとあの、学校の近くの大きな家とかね」

「そうそう、お金持ちの家なんだって」


 学校裏の資産家の家は、今では有名な廃墟だ。塀でおおわれた敷地内も、学校から見る感じ雑草だらけで手入れなんてされていない。忍び込んで折檻を喰らう小学生は後を絶たない。


「お金盗まれたんだよな」

「そうそう、そのあと、盗まれた人も奇病にかかって死んじゃったんだって」

「奇病?」

「昔は分からなかったんじゃない?」

「あー、あるよねー」


 巳継はこっそりとあくびをした。


 たとえ判っていたとしても、有名人じゃないんだから病名まで公表はしないだろう。噂なんてそんなもんだ。


「でもさあ、体育館閉まってるよ?」

「もしかしたら、窓を調べればどっか開いてるかも」


 佐和が微笑みながらどんどん悪いことを言っている。


 ただでさえ教室に忍び込んでいるのに、まださらに罪を重ねようというのか。彼女が言ったのでなければ多分帰っていたはずだ。


 巳継はこっそりとため息をついた。


 しかしなぜ、皆して幽霊なんてものを見たがるのだろう。


 緊張感のない事だろうと思うが、幽霊が見える巳継にとって怪談は怖い話ではない。世間話、もしくは噂話の一種だ。


 幽霊はいる。探せば遭えるようなものではないが、珍しいものでもない。


 そして、幽霊は見えたからといって別に何かしてくるわけではない。あちらからも、こちらからも手出しはできない。それが普通だ。十年近く幽霊と触れ合ってきたが、今のところ例外はない。


 でも、ついて来たらどうする?


 あちらから手出しできないのと同じように、こちらからも手出しできないのだ。そうなったら最後、不快極まりないではないか。


よくある洗面後の鏡に知らない人が映り込むアレが日常化するわけだ。


そうなると、もはやゴキブリよりたちが悪い。駆除が出来ないのだから。こうなるともう手当たり次第に坊さんに頼み込むしかない。しかし坊さんに駆除できるのかすら疑わしい。死人を無理やり動かせるほどに干渉できる力なんて理解できない。だからといって泣き寝入りするわけにもいかないから、坊さんを何百人呼んででも駆除したいと思うはずだ。だってそこにいるのだから。見えるのだもの。


そんなことになると泣くに泣けないので、巳継は霊に対して非常に警戒しているのだ。


 さらに警戒する理由はもう一つあり、恨みなど、強い気持ちを持つ幽霊は生きている人に影響を与えるのだという。そんな霊になど逢ったことはないが、今回の霊がそうだったら取り返しがつかない。不審者に遭遇して襲われるのと変わらない。


 変な場所に居る幽霊なんて碌なものではない。そのあたりは生きている人間と同じだ。まともな思考回路をしていれば、変なところにずっと居続けるはずがないのだ。


 ――夜道を歩くな。


 ――人気のない道に行くな。


 ――まわりに気を付けろ。


 これらはすべて、学校で教わることだ。


 これらを守っていれば、恐ろしい暴漢に襲われることもなく、怖ろしい霊に襲われることもない。本当に大切な教訓だ。


「じゃあさ、行ってみようよ」


 鶴の一声というよりも、悪魔の囁きだった。教訓など一切伝わっていない。


「そうだな、名探偵もいるし」


 皆が巳継を見た。


 巳継は、今度は分かるようにため息を吐いた。


「マグレだって何回言ったらわかるんだよ」

「何回マグレ起こすんだよ」

「何回だって起きるよ、マグレなんだから」

「みんな何かあったらとりあえず加野川君に相談するようになっちゃったし」

「そうそう、探し物だってオカルトだって、加野川に相談すれば大体解決するから、みんな名探偵って言ってるぞ」

「そうそう、指で机をコンコンコンって叩きながらいつも考えてるよね」


 カラクリがあるんだよなぁ、とは言えないから、巳継は頭を抱えるしかできなかった。


「とりあえず加野川君もいるし、行ってみようよ」


 佐和のその言葉に、皆が同調して動き出した。


 蝋燭ろうそくの火を吹き消し、来たばかりの教室を出て新体育館へ向かう。コソコソと暗い校舎の中を歩くだけで、背徳感はいとくかんから背筋がぞくぞくする。夜の虫の声と、足音がやけに響いて聞こえる。


 新体育館の扉の鍵は、毎日施錠されるため、普段使う扉が開いているわけがない。仕方なく巳継たちは体育館のまわりをぐるりと回り捜索した。鍵など開いているわけないと思っていたが、体育倉庫にある小窓の鍵が開いているのを発見した。


「開いてた……」

「すげえ……。運いいな。行こうぜ」


 皆で妙な連帯感を発揮はっきし、壁をよじ登って小窓から中へ侵入した。自力で登れなかった人は登れる人が引っ張り上げた。


 初めて入った体育倉庫の中は埃の匂いがした。使ったことのない器具が狭い部屋に詰め込まれている。


 体育倉庫の中から体育館の中に出るのは簡単だった。内側から鍵を開けられたからだ。そろりと扉を開け、皆が興奮しながらも慎重に扉をくぐった。


 鍵を開ける時のガチャリという音が響いた。そして、ぎいと扉の開く音がした。


 巳継は最後に出ることにした。



**************************************



 曇っていて月明りはない。誘導灯の灯りだけが体育館の中を照らしていた。


「なーんだ」

「何も居ないね」


 そんな声が聞こえてくる。


 既に皆が体育倉庫から出ている。


 巳継はまだ体育倉庫の中だった。そこからでも見えた。


 体育館の中央あたりに誰かが居る。


 皆はその場所もしっかりと見ているはずだが、気付いていない。


 こんな所に居る霊など碌なモノではないという持論は、どうやら正しそうだ。


 あの霊。両足の膝の上、そこから下がない。なぜ、と考える意味はない。ない物はない。現実は、その状態で立っている霊がそこにいるのだ。




 なんでこんな場所にいるんだよ……。


 関わるな……。




 そう本能が告げる。


 体育の時間でここを使うことはもちろんあったが、その時は見えていなかった。なぜ夜になったら現れるのか……。


 巳継は考えるのをやめた。


 巳継は皆と居るふりをして、扉まで近付きはしたが、先生が来ないか背後を警戒するふりをして、そちらに目をやらず、最後まで体育倉庫から出なかった。




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