君に夢中-2

「はあっ、ここまで来れば大丈夫かな」


 モールから外へと出て、裏手に向かった。人通りのほぼない生垣の影へ千歳がしゃがみこむ。腕ではなくいつの間にか繋がれていた手を引かれ、尊も隣へと並んだ。


「ちーお前……ああいうの断ったりすんの、苦手じゃねえの」

「あー……バレてた?」

「うん」

「なんか中学くらいからどんどん苦手になっちゃって。はは、初めて断ったかも。すっげー緊張した」

「……よかったのかよ」

「うん。今日は絶対、花村と一緒にいたかったから。花村がいてくれたから出来た」

「…………」


 昨日の呼び方の件もそうだが、様々な好意を千歳は無下にできない。それを知るのに、ゲームの期間は十分だった。言えばいいのにと勝手に歯痒く思って、時に苛立って。それでも千歳を形成する一部だと納得していたけれど。


 そんな千歳が誘いを断った。ふたりでいたかったからと。それが出来たのは花村がいてくれたからだと、打破した自身を清々しそうに笑っている。


 胸が詰まるような、少し気を緩めれば泣いてしまいそうな。覚えのない感覚が尊の体を駆け巡る。


 繋いだままの手をするりと撫でられ、まだ整わない呼吸に肩を上下させながら。この感情をなんと呼ぶのか、観念するかのように尊は思い知る。先走っていた鼓動に、やっと心が追いついた。


「ちー」

「んー?」

「なあ、次はいつ告ってくれんの?」

「は……? っ、え!? は、花村なに言っ……」

「俺もう返事していい?」

「え、なんで……」

「なあ、ちー……頼む」

「い、嫌だ。まだ聞きたくない……」


 そうと分かれば、早く言ってしまいたくなった。あの日お預けにされた返事は、その場で答えていたらきっと違うものだっただろう。でも今は赤く熟している。


 ――なのに。千歳はそれを拒んだ。不特定多数の好意は全部受け止めるのに。花村が好きだ、と言ったのに。返事をさせてくれない千歳は、その横顔を曇らせる。


「なんで? 俺、分かりやすいと思うけど。だめ?」

「…………」


 身勝手に好きだと言うことも出来るが、先にアクションを起こしてくれた千歳の気持ちを大事にしたい。尊は千歳が再び告白してくれるのを待つしかできないのだ。それなのに。


 今にも顔を伏せてしまいそうな千歳からは、先へと進めてくれる気配は感じられない。まさか、振られると思っているのだろうか。この期に及んで。


 もどかしくてくちびるに歯を立てる。待ってやりたい――千歳から求められたい。


 だが、その気にさせておいて、宙ぶらりんに放置されて。良い子でいてやる気もさらさらなかった。


「ふーん。あっそ。分かった」

「……ごめん」

「分かったけど。もうちょっとこのままな」

「……え?」


 手を離すと寂しそうな目を上げた千歳に、ぐっと顔を近づける。意識を全部奪ってやろうと、酷くゆっくりと再び指を絡ませた。


「っ、花村……」

「いや?」

「……嫌じゃない。嫌じゃない、けど……」

「ちー、こっち向いて」

「へ……あっ」


 指を緩めて、閉じこめるようにまたきゅっと力を入れて。それをくり返しながら、尊はもう何度目かの頬へのキスをする。少し風に冷えていて、けれど体の内側からすぐに千歳の熱がやってくる。震えるまつげの先で瞳が潤んで、しがみつくように握り返される手。恋人だと錯覚するような触れ合いに、尊は夢中になった。


 恋をするとこんな気持ちになるのか。今までの人生全てが嘘だったみたいに、この瞬間だけが喜びのようで、それでいて喪失感がすぐに追いかけてくる。切なくて、だからやめられなくて。今度は千歳のくちびるギリギリのところへ、齧りつくようにキスをする。


「は、あ……っ、花村」

「っ、ちー……」


 このままくちびるにもキスしてしまいたい。口の中まで暴いて、千歳の心を引きずり出してしまいたい。今すぐ欲しいと言ってくれ。


 暴力的なまでの欲求を、けれど尊はどうにか振り切った。名残惜しさにもう一度、頬にキスをする。落ち着け落ち着け、と深呼吸をひとつして、千歳の前髪にもぐるように額を擦りつけた。


 千歳が好きだ。だがここまでしても何も言わない千歳は、この先へ踏み出す気はやはりないのだろう。腹が立って、悔しくて――でもそれと同じくらい、そんな千歳ごと大事にしたいと思った。


 気持ちを切り替えるようにハッと大きく息を吐き、空を見上げる。そうだ、大事にしたい。だけどわがままを言うなら、恋人にはまだなれなくても、もっとちゃんと千歳の特別だと感じたい。


 今はまだ立ち上がる気力もなく、どうしたものかとふうと息をついた時。握り直した手の中で、何かがコツンとぶつかった。


 そうだ、これだ。


「ちーがまだ言いたくないのは分かった」

「……ごめん」

「いや、いい。でも一個、お願いがある」

「お願い?」


 繋いでいる手を持ち上げて、ふたりの間でゆらゆらと揺らしてみせる。そこに光るのは、たまたま同じブランドだった、デザインの違うそれぞれの指輪だ。


「俺がしてる指輪、ちー的にはどう?」

「え? う、うん、好きだよ。さっきは言いそびれたけど、オレも実はそれと悩んでた」

「マジ? じゃあさ……交換しねえ?」

「っ、え?」


 一瞬でも離れるのが寂しいけれど手を解いて、尊は指輪を外した。それを手のひらに転がし、「ん」と千歳の目の前に差し出す。


「指輪交換」

「指輪交換……」

「いつか返すんでいいからさ、ちーのもの持っときたくなったっつうか。そんな感じ。だめ?」

「っ、だめじゃない。え、めっちゃ嬉しい……けど、いいの?」

「俺がしたいっつってんの。もう決まりな。ほら、ちーも外せ」

「う、うん」


 まだ目を丸くしながらも、千歳も自身の指輪を外した。どうぞと渡されそうになるのを受け取らず、左手を差し出す。


「ちーがつけて」

「え!?」

「俺は右につけんのが好きだけど、ちーのだからちーの真似して左がいい。ん」

「えー、っと……」

「あ……もしかして結婚式みたいだーとか思ってんだろ」

「っ、思っ! ちゃうに決まってんじゃん~!」

「はは、かーわいい。なあ、早く」

「うう……分かった」


 赤い顔をこんなに近くで見ることが出来た。それだけでもう今日は充分な気さえしながら、尊は指輪が嵌められるのを待った。恭しく添えられた片手が本当に結婚式みたいで、それをくすぐったく感じつつその瞬間を迎える。慣れない左手への指輪は存在感も大きく、千歳のものだとより感じられる。それがすごくいい。しばらく眺めてから、今度は千歳の手を取る。


「ちーはどっちにする?」

「……オレも花村の真似する」

「じゃあ右手出して」


 差し出された右手を取り、人差し指の節をひと撫でする。ぴくんと指先が跳ねるのを見たら、またキスをしたくなった。それをどうにか押しこめながら、先ほどまで自分の手にあった指輪をゆっくりと千歳の指に通す。


「サイズも一緒みたいだな」

「うん。……うわー、花村の指輪だ」


 ふたり横に並んで、それぞれに手を空へと翳す。太陽を弾いた光が交差して、尊と千歳に射している。


「なんかこれ、ドキドキするわ」

「うん、オレも……」


 ぎゅっと握って、また翳して。手を顔に近づけたと思ったら、遠くに伸ばしてまた指輪を眺める。そんな千歳がまぶしくて、胸がきゅうと音を立てる。


 想いはまだ結べそうにない。けれど今日という日にたくさんの千歳の顔が見られた。好きなものを共有して、たくさん触れて。今はきっとこれでいい。


 そう思えるのは、確かなものをひとつ見つけられたからだ。今日が終わっても、この気持ちは続いていく。恋なんて知らなかったのに、千歳への恋心がはっきりと尊の中に存在している。だからゆっくりでいい、千歳のペースを待ってやりたい。もはや降参と言えるのかもしれない。


「あーあ」

「…………? 花村?」

「いや、今日すげー最高と思って」

「ほんと? オレも!」

「な」


 好きだと気づいた時にはもう、千歳に夢中になっていた。

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