みたらしとコッペ

 “chi.”の正体を知った日から始まった、千歳の観察。学校でいつ既読が付くかの検証はもう必要ないのだが、尊は千歳とのやり取りを単純に楽しむようになっていた。ゲームにおいて優位に立てている状況は、とても気分がいいものだ。


《俺そろそろ寝るけどお前は?》

《漫画読みたいからまだ起きてる》

《あそ。じゃーな》


 昨夜は日付が変わる頃にそうしてメッセージを終えたが、どうやら千歳の夜更かしは捗ったらしい。何度もあくびをかみ殺す横顔を斜め後ろから眺め、尊はにやける顔を拳に隠した。


 尊の変化は、千歳へのメッセージの回数だけではなかった。あれから遅刻はしなくなったし、授業も全て出席している。ケンスケとナベに「尊が真面目になった! 天変地異が起こる!」なんてからかわれているが、もちろん真面目になったわけではない。ただただ千歳の動向をチェックするためだった。


 そうやって過ごしたここ数日で、三上千歳という人物の新たな一面をいくつか知ることとなった。


 ひとつは、時折ふと翳った顔をすること。クラスメイトたちと会話を楽しんだ後によく見られ、休み時間を終え授業が始まる瞬間にはどこか安堵しているようにも見て取れた。クラスいちの人気者はそのポジションを自ら望んでいると思っていたし、実際に楽しんでいるようにも映るのに。そんな表情を見る度に、首を傾げる回数を重ねる度に。尊はそれと同じだけ、今までに感じたことのない何かを心に積もらせている。


 それは一体何なのか。明白な答えにはたどり着けないまま、ただただ三上千歳の情報として憂いた表情を記憶し続けている。


 それからもうひとつ。千歳と目の合う回数が格段に増えた。今まで通り、すぐに冷たく逸らされることに変わりはない。“chi.”が自分だと気づかれていないか、それが気になり窺ってしまうのだろうと推測している。こんなに目が合っては、既に正体を掴んでいることに勘づかれる可能性がある。そうは思っても、千歳の観察をやめることは出来なかった。笑顔も、本人が隠したい思いも見ていたい。そんな感情に不思議と抗えなかった。



 千歳とのゲームのタイムリミットまで、約一週間となった夜のことだ。終わりの日をどうやって迎えよう。言い当ててみせたら千歳はどんな顔をするのだろう。ベッドに寝転んでそんなことを考えながら、尊は共に暮らしている三毛猫の写真を“chi.”こと千歳宛てに送信した。ものの数秒で返信が送られてくる。


《猫飼ってるんだ! かわいい!》

《名前はみたらし》

《みたらしさん可愛すぎる》

《自慢で送った》

《待ってオレんちにも猫いる》


 その文面に尊は静かに目を見張る。油断が現れたことに気づいたのは、どうやら尊だけのようだ。ずっと“私”で統一されてきたのに。千歳は本来の一人称の“オレ”で送信してしまっている。言及しないまま、やり取りを続ける。


《写真送って》

《かわいいでしょ》

《最高》

《自慢で送った!》

《おい真似》

《うちの子はコッペ》

《猫好きなん?》

《動物はなんでも好きだけど猫がいちばん好き》

《俺もぜったい猫》


 千歳から送られてきた茅色の猫の写真を、尊はすぐに保存した。互いに無類の猫好きだとの共通点が見つかり、文字の会話でも千歳のテンションが上がっていることがよく分かる。だから取り繕えなかったのだろうそれを、少しのラグの後に指摘してみることにした。


《お前気づいてる?》

《なにが?》

《さっきオレって言ったな。男確定》


 先ほどからひっきりなしにメッセージを送り合っているのだ、もちろん既読のマークはすぐに付いた。だがラリーは突然途絶える。慌てて画面をスクロールし、自身の失態に狼狽えているのだろうことは想像に容易い。


《返事》


 二分ほど経って催促しても、まだ返信はない。


「……んだよ」


 これはゲームで、勝者にはなんでも言うことを聞いてもらえるという褒美がある――つまりは負ければ罰があるのとほぼ同義だ――のだから、お互い勝ちを得たいに決まっている。時には罠を張ってでも、少しでもヒントが欲しいのは当然だろう。ましてや今、既に知っているとは言え、偶発的に得た場面だ。生かさない手はない。そのはずなのに。なぜか芽生えてしまう罪悪感に舌を打つ。


 三上千歳は今頃、誰に遠慮する必要もない自室で、大いに顔を歪めているのではないか。それが自分のせいだと思うと、どうにも苦い感覚があった。


《なんか言え》

《さっきのは間違い》

《いや無理だろ》


 今更取り繕ったってもう遅い。それでも千歳はまた一分ほど時間をおいてから、次のメッセージを送って来た。


《男って知って嫌じゃない?》


「はあ?」


 問われている言葉の意味が分からず、首を傾げる。相手が三上千歳だと既に分かっている。それを差し引いても、男とメッセージのやり取りをするのは嫌だという感覚は特になかった。


《それ関係ある?》

《女の子のほうが嬉しいかなって》

《いや別に。それで私だったとか?》

《うん》

《よく分かんね。嫌じゃねえよ。男だろうなって思ってたし》


 そう送ればまた千歳からの返信は途絶える。


 女の方が嬉しいと踏んで偽っていたのだとして、それも全く理解が出来なかった。嫌っている相手を喜ばせたいものだろうか。いや、一旦喜ばせておいて落胆させる、というシナリオか。三上千歳のイメージにそんな意地の悪いやり方は全く似合わないが、対自分となると嫌われているという印象のみで、そんな答えにしか推理は着地できない。


 不思議なところで捻ってくるな、と変に感心していると、次の返信が届く。


《なんで男だって思った?》


 お前が三上千歳だと分かったから、なんてもちろん言うわけにはいかない。はぐらかして《なんとなく》と送れば、《そっか》と短いメッセージが続いた。


《最終的には誰かも当てるけどな》

《絶対に負けないよ》


 ただのクラスメイトとして過ごすだけでは、これも知り得なかった一面だ。意外と負けん気が強いらしいと、尊はまた三上千歳の新たな一面を垣間見る。


 明日もコッペの写真送って、とこの日の会話を終えた。

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