06 人と、人でないものと
謎の力を持った女性が逃げ遅れた観客を次々と救い出す様子はばっちり、実況と解説の目に止まり、しっかり配信された。めざとい実況解説二人はその女性、里咲が都知事暗殺未遂犯として賞金をかけられている人間だと判定したが……それがネットの海を駆け巡ると、視聴者数は五億三千万から十二億六千万まで膨れあがった。
そして、視聴者の中に黒石五稜がいた。
里咲のスーツを回収した際に引き渡すこと、という破格の条件で、子飼いにしていた忍者部隊を待機させつつ、東京都内で五輪配信を見ていた黒石。画面内に里咲の姿を認め、それが罠であると知りながらも、笑い、かき消えた。どんな罠があろうが里咲とスーツの回収は、彼にとって絶対だ。忍者どもに渡すため……などではもちろん、なかったが。
だが、この期に及んで会場に向かう人間は黒石と忍者たちだけではなかった。あと二人ばかり宙を跳び、げらげら嗤い、爆音を轟かせ、会場に向かっていた。その声を、音を聞いた周囲の住人は思った。
ああそうか、五輪はもう、おしまいなんだ。
※※※※
「大丈夫、だいじょーぶ! ワープホールは何回でも開けます! 並んで、ゆっくり!」
客席の人だまりを見つけてはそこに転移し、人を転移させる用の黒い穴を開いて誘導する。当初は都知事暗殺犯がなぜ、と混乱があったものの、無関係の少女を装う色葉の実演と、公式配信が二人のレスキュー活動を実況解説してからは話がスムーズだった。今のところは順調で、時間さえあればすべての観客を非難させることも難しくはないだろう。しかし、色葉はずっと予感めいた何かを感じていた。
……ちりちり、する。
首筋に寒気がはしり、産毛が逆立つ。
「里咲さん、急いだ方がいいかもしれません……」
「そうだけど……無理だよ……人数が、多すぎる……!」
色葉は辺りを見回す。十三万人を詰め込んでいた五輪客席、ワープを使えたとしても、ちょっとやそっとの時間で避難を終えるのは難しい。残されているのはあと何万人だろう、と思ってレンズのアプリで計算してみると、八万人弱。完璧に避難を完了するまで、あと……。
だがそこで、色葉の思考を、絶叫のような、爆撃のようなギターサウンドがかき消した。天から降り注ぐその爆音は、場内のすべての人間の耳に響いた。
そして誰もが、空を仰ぐ。
「面白そおおおおおおなことやってんじゃねえええええええかあああああああ!」
爆音のギターサウンドをかき消すほどの大声。
全身真っ黒のレーシングスーツ、足元も真っ黒な
「おいおいおいおい! こういう五輪ならよお、毎年やってくれよなあ!」
げらげらげらげら!
狂躁的に嗤いながらも、
東京都最高賞金首の一人。
MC暴力、
二人合わせれば賞金総額十億を越える、
「太助! やっちめーや!」
無言で頷いた大男は、肩に担いだステレオを、どすん、と地面に置く。そして背中から取り出すのは、一本のロケットランチャー。なんの合図も、躊躇もなく、客席に向けて発射される。
「里咲さんっ!」
あっけにとられ固まっている里咲の手を、色葉が取って飛びすさる。
KA―BOOOOOOOOOOM!
爆発音と、矢車のげらげら笑いが轟く。しかし夜纏は満足していないのか、背中から次々と新たなロケットランチャーを取り出し、顔色一つ変えず、流れ作業のように客席に撃ち込んでいく。その間も周囲の
KACRACKA―BOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!
「祭りはよお、神輿を担がなきゃ楽しくねえよなあ!?」
爆発が静まると、矢車の声が轟く。
「もおおおお客席なんかねええええぜええええええええええ!!!」
ロケットランチャーの爆発は、客席の前方を瓦礫として崩した。東京の建築、すべてが強度無限建材というわけではないのだ。
しかしおかしなことにランチャーは、逃げ遅れた観客や
一体全体、彼らが何をしているのか、なぜここまでわざわざ来たのか、
瓦礫の山を
足場が、できてしまっている。
……そうだ、彼らはここに、さらなる混沌をもたらしに来たのだ。
なぜなら彼らこそ絶対の、悪にして賊、
ひょっとしたら黒石が来るまで、力は温存しておけるかもしれない、と思っていた色葉は、大きなため息をついた。
……ごめんなさい、樫村さん。
視線の先に矢車がいる。彼の狙いが、少なくともその一部が客席にある以上、久太郎が危険にさらされることは間違いない。八つの
初めて八つの
気がつくと、どろどろに溶けた自分の両腕が、びちゃびちゃ、自分の下半身を押しつぶしている瓦礫をどかそうとしているところだった。彼女の正気を戻すための薬を数ヶ月かけ一から開発し、なんとか飲ませたのだという。
もう、そんな都合の良い薬はない。
……それでも、絶対だ。
色葉は思う。
〈1.a:B-c〉という実験物だった自分に、名前をくれた、家をくれた、相棒にしてくれた。人にしてくれた。自由に、してくれた。
……ほんとに、ごめんなさい、樫村さん。
客席の久太郎を、遠目に見つめる。ハッキングに集中しきっている彼はきっと、今は、何も見えていないだろう。いつものことだ。少し笑ってしまうぐらい、いつも通り。
「……あなたが教えてくれたんです」
色葉は、彼が自分を人にしてくれた時のことを思い出す。
※※※※
「色葉。一丸、色葉。君の名前に、どうかな」
「…………わるくない」
「よかった。意味とかはあんまり考えないでくれ。僕も響きだけで考えたから。それじゃあ……色葉。君に……ちょっと、言っておきたいことがある」
「なに」
「僕は、自由でいたいって思ってる」
「…………お金が欲しいってこと?」
「まあそうなんだけど……それは半分。残りの半分は、誠実でいること」
「……せーじつ?」
「………………周りに……自分に……世界に、嘘をつかないってこと」
「…………………………むずかしい」
「……まあ、僕もよくわかんないよ。友達に教えてもらっただけだから」
「友達なんて、いるの?」
「失敬な、二人いたよ」
「今はいないの?」
「二人とも……先に行っちゃった。だから……僕も、先に行かなきゃならない。だから僕は、
「……ふりー、自由、ってついてるから?」
「違うよ、
「…………けど?」
「……でもやっぱり、好きなんだ。小さい頃から、憧れてたからさ。だからそこにいる人たちには、仲良くしててほしい。だから、だよ」
「…………それは、無理じゃない?」
「だろうとは思う。けど、でも、これまでこの街は、大きな争いはなくやってこれた。なら、それをもうちょっと伸ばすのだってできるだろ。そんで、ずっともうちょっと伸ばせてたら、それは永遠に平和でいられるってことだ」
「……なんか……すっきりしないね」
「仕事なんてそんなもんさ。で……それを君にも手伝ってもらいたいけど、いいかな?」
「いいよ…………あ、相棒、だね、じゃあ」
「妙な言葉は知ってるなぁ」
「うん、この前ネットで見た」
「そうか……それで……僕と約束、してくれないか?」
「なに?」
「人を殺すのはナシにしてくれ」
「別に、もう殺したい人なんていない…………なんで?」
「…………………………儲からないから」
「儲からない…………お金が増えなくなる?」
「そう。そうすると、自由じゃなくなる」
「うん……? でも、自分が殺されそうになっても、だめなの?」
「ま、そういう時は誰も何も言わないよ」
「ん。わかった、約束」
「……………………ったく、ホントにわかってんのかね……」
「ねえ、じゃあ、あなたも、約束して」
「どんな?」
「私ね、もう一回、笑ってみたい」
「……なんで、また……」
「笑うってどんななのか、もう忘れちゃったけど、でも、きっといいものだって気がする。だから……ねえ、あなたと一緒にいたら、笑えるようになる?」
「……じゃ…………取引だな」
「とりひき?」
「君は人を殺さない。その代わり、僕は君を笑わせる……おいとんだ不平等条約だな……」
「ふびょーどーじょーやく……?」
「君ばっかり得するだろ、僕は人を笑わせるとか、そういうことはあんまり得意じゃないなんだ」
「へんなの、みんなを仲良くさせたいのに?」
「ふん、これからがんばるさ……じゃあ、君の約束に追加。力はもう、使わないでくれ」
「なんで」
「人を殺さないでくれって言ったろ」
「殺さなければ使っていいの?」
「そうじゃない。もう、薬はないんだろ? で、五つ以上使って、薬がなきゃ君は死ぬ……だから」
「じゃあ……四つまでならいいの?」
「にしても……なるべく、使わない」
「人を殺さない……って、わたしも、入るの?」
「なんで入らないって思ってんだよ」
「持ち物だったから、あの人たちの」
「……でも、もういないんだろ……だから、殺さないでくれ」
「むずかしい……ねえ、人、って、なに? 私は、人?」
「…………家と同じさ。自分は人だって思ったら人」
「なぁに、それ」
「……お、ちょっと笑ってない?」
「…………そう?」
※※※※
あれから、どれぐらい彼と一緒に過ごしただろう。
暦の上では数年だけれど、数十年はあったような気がする。それこそ、永遠だったような。
少しずつ、少しずつ、笑って、泣いて、喜んで、怒って、悲しんで。
結局記憶は取り戻せなかったけど、そうやっている内に、感情は取り戻せた。
……一緒に、きっと、恋心も。
父のようで兄のようで、弟のようで息子のようで、人生で一番の友達で、誰よりも大切な好きな人で、そんな相手に自分の想いを告げるのは、ためらわれてしまって。でもそんな関係が心地よくて。少しだけ肌寒い風の中で感じる、木漏れ日みたいに暖かくて。
笑みと共に目を開け、大きな息をつく。そして思う。
………………私は、この街が大嫌いでした。
今も、嫌いなままです。
この街は私に何もくれないまま、全部をとっていったから。
でも……あなたと歩くこの街は、好きになれました。
この街にない風が、いつでも、あなたと一緒にいると吹いているようで。この街を、街に居る人を、祝福しているみたいな。その風に吹かれていると、私まで、生まれた時からずっと、自由だったんだって思えて。自分の体だって、大好きになれました。誰がどう作ろうが、今やそれは君だけの、誰にも奪えないものなんだ、ってあなたが教えてくれたから。
ねえ、樫村さん。
大好きです。だから。
あなたとの約束は、死んでも守ろうと思うんです。
そうしないと、私はきっと、人でいられないから。
人でいることが、あなたを信じることだと、思うから。
そうしていないとまたきっと、誰かの持ち物に戻ってしまうから。
だから、私はあなたを、絶対に死なせません。
……それがきっと……自分に誠実でいるってことでしょ?
「
色葉の体が、白く光り輝く。
「
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