02 256重の塔

 浅草。地上第一層。

 歴史の特異点と言われる現代東京においてもこの街は、独特な地位を占めている。都はこの街の統治・管理を放棄し、一切の徴税を諦めている。公式見解としては以下の通り。

 浅草を占有している存在は、いかなる意味でも人間ではなく、従って、公共サービスの一切を提供する必要性は、これを認めない。

 だが街は存在する。たしかに実在する。

 宗教の存在意義が大衆の救済にあるのなら、ある意味で浅草は世界でもっとも宗教的な街だ。なにせこの街ときたら、物理的に人を救っている。

 人間の皮膚の内側をすべて、端末上の仮想空間に再現する。

 しかるのち、自殺する……浅草流に言うなら、肉体を捨て去る。

 解脱アップロードと呼ばれるこの行為によって、年間数千人が肉体のくびき、生老病死という苦しみの根源から己を解放し、解脱走者ブッダハッカーとして端末上、ネット上に新たな生を受ける。

 解脱走者院ブッダ・ハッカーズ・アカデミー

 その本拠地がここ、浅草だ。絶望した人々を迎え入れるため、アカデミーはここで、仏塔に鳥居を1677万色に光らせている。捨て去られた肉体の数々は十分に活用され、この街が独立都市の中の独立都市であるための資金となる。アカデミーは常にその存在自体の違法性が取り沙汰される、ある意味では悪賊ギャング以上に問題視される派閥ファクションだが……。

 意思と意識を持ったコンピューター・アルゴリズム、天然の人工知能である解脱走者ブッダハッカーたちはたった一人、あるいは一体、もしくは一ファイルだけで、国家間電子戦の戦局を左右し得る。常に日本と戦争状態にある東京が、最も必要としている存在でもあるのだ。

「忍者による東京奪還作戦……?」

 服装同様、令嬢じみて整った綺麗な顔をわずかにしかめ、色葉は言った。時刻は二十三時近く。まだ観光客の溢れる浅草大通りを三人で歩きながら、久太郎が今回の事件を解説している。

「現状、考えられるのはそれぐらいだ。おそらく忍者たち……つまり日本は、五輪のドサクサに乗じて東京を占領しようと……そうするための準備を整えようと考えてる」

「……でもそれは、いつものことなんじゃ?」

 色葉がこてん、と首をかしげる。そう、いつものことだ。

 東京都の境、日本との紛争地帯、都境ときょうは常に戦争状態にある。戦況は常に東京が優勢だ。

 他の国々と同じように常識的なテクノロジーしか持ち合わせていない日本に対し、東京には派閥ファクションを生み出す元ともなったオーバーテクノロジーの数々が存在する。これらは未だ、東京以外では再現されていない。くわえて日本は憲法上、あらゆる武力と戦争行為を放棄している。それが有名無実であるとは世界中の誰もがよく知っていたが、その有名無実こそが日本を、日本人を縛り得るとも、世界中がよくよく知っている。

 よって都境は東京の独立宣言以降ずっと、自衛隊とフォースの都境防衛隊が戦列を披露し合い、散発的に小競り合いを繰り返すだけ、という奇妙な戦場となっているのだった。

「だが、忍者ってなると……話は違ってくる。里咲さん、もう一度確認なんですが、マジで連中、変身できたんですか? ……光学迷彩的な……映像を体に投射してる、とかじゃなく?」

 土産物屋の軒先に並ぶ、浅草ならではの、ブラックジョークの極みである人形ひとがた焼きに目を奪われていた里咲は、問われると我に返って首をひねった。

「だと思う。あの地下教会を教えてくれた忍者の人が、オレたちは変身できるんだぜ、って言ってたし……腕をね、四本に増やしたりもしてた、普通にモノ動かせててびっくりしたよ」

「ふむ……ってなると……日本も、持ってたってことだよな……」

 遠い目をする久太郎。視線の先には目的地である256重にごろじゅうの塔。一層の天井はおろか、東京の屋上さえも突き破り、成層圏近くまで伸びる仏塔の先端には噂によると、仏舎利をベースとした有機コンピュータがあるという。

「何を、です?」

黒船技術ブラックテック

 久太郎の言葉を聞いた瞬間、色葉が、ぷっ、と吹き出した。

 黒船技術ブラックテック

 東京を形作る様々な超技術――特に派閥ファクションがそれぞれにもつ派閥技術ファクトは、実は、異星人によってもたらされたとする珍説・陰謀論の一つ。

「やだ、樫村さん、そんなの信じてたんですか?」

「信じる信じないの話じゃないさ。っていうか、これはどっちでもいい話……宇宙人から渡されてたとしても……なんだ、ほら、異世界? からやってきた人たちが伝授してたとしても」

 久太郎は考えを整理するためか、通りを埋めている出店の一つに寄り、DJブースから説法する釈迦をモチーフにした、割り箸に刺さったべっこう飴を一本、買い求める。昔ながらの黄金色をした、きらきら輝くガラス細工のようなべっこう飴は、久太郎の好物の一つ。

「……冷静に考えると、黒船は異世界から来たのかもなぁ……」

 里咲を見つめ、べっこう飴を舐めながら呟く久太郎。彼女は彼女で、べっこう飴屋台の隣、真言マントラを唱えると功徳がたまり、たまった功徳を使いV8マニ車や朗唱惑星を買い、さらに真言マントラを唱えていく、簡素なゲーム機に興味津々だ。

 久太郎と色葉にとっては通い慣れた街、見慣れた浅草の光景。だが里咲にとってはまさしく、異世界の光景。好奇心を剥き出しにしている彼女の顔に店主が、口を半開きにして見惚れていて……久太郎は少し、美人に作りすぎたな、と反省。お尋ね者の彼女と出歩くため、今、久太郎は全力で周囲の人々の視界をハッキングし続け、里咲の外見を別人に偽装し続けている。とはいえ操作自体は自動プログラムマクロ任せだから、ポケットの処理端末がほんのり暖かくなってふくらはぎあたりが汗をかいているだけで、彼に負担はなかったけれど。

「ま、さておき。日本にも一つ、東京みたいな超技術がある。それは……どの程度かわかんないけど、好きな外見に変身できる能力。ってなると狙うのは?」

都知事閣下ミニスターに変身して、すっごい連続猟奇殺人をする!」

 勢いよく言う色葉に、少し笑ってしまう久太郎。

「ま、それもアリっちゃアリだろうけど。でも一番効果的なのは同士討ちだ」

「……同士討ちってどこと……あ、派閥ファクションを、ですか!?」

「その通り。完璧な変身ができる忍者部隊、なんてのが存在するとしたら……派閥戦争コンフリクトの煽動なんて簡単にできるんじゃないか?」

「でもでも、そんなの、今できるなら昔からできたはずなのに、今になって急に、なんで……」

 と、問いかけると久太郎は無言で里咲を指さし、色葉が、あ、という顔をする。

「出入りが超、簡単になった。小隊規模の人員を都内のどこでも、何度でもワープさせられる異世界の協力者。パズルのピースが揃ったって考える連中がいても、おかしくはない……だよね?」

「だと思います。でも、実際にはどういうことを……あ、え、うそ、ひょっと、して……?」

 色葉は大きく開けた口を手で押さえる。

「まだ、ひょっとして、ってレベルだけど……」

 久太郎の言葉に、こくこく、と頷く色葉。

「フランシスさんは……じゃあ……もう……」

 悲しそうな顔をする色葉に、久太郎が首を振る。

「……いや、元々そんなヤツはいなかった、ってことじゃないかな」

 久太郎は少し、いつからだろうか、と考えるが、情報不足は明らかで息をつく。日本にいる人間に東京の実態がわからないように、東京にいる人間に日本の実態はわからない。確実に言えるのは、日本がそんな技術を持った当初から、だろう。それがいつかはわからないが、昨日今日の話ではないはず。

 おそらく、どの派閥ファクションにも日本のスパイ、忍者が紛れ込んでいる。

 だとすれば、適当な自由業フリーランスに、ちょっとした派閥ファクション間の諍いの調停を頼み……そのちょっとした諍いが、ありふれた誤解から大きくなり、いくつもの派閥ファクションを巻き込み、それは元々あった確執と混ざり、そこにわずかな伝達ミスや少しの確認漏れ、単純な機械のエラーが混ざり、やがて……という、十重二十重の偶然がなければ成り立たない穴だらけのプロットも、成立してしまう。そもそも、足軽悪賊フットライツギャング大鯨連ゲーマーズリーグ武装茶会コマンドパーティ警士庁サムライレギオン東京正規軍メトロフォース、五つの派閥ファクションが入り乱れていた今日のカジノゲーセンの混乱を久太郎が――都知事閣下ミニスターが収めていなければ、どうなっていただろう?

 第一次世界大戦は一国の皇太子夫妻暗殺から始まった。言い換えれば、二人の人間が非業の死を遂げ、結果的に軍人、民間人合わせ約三千七百万人もが非業の死を遂げた。

 では現代の東京で内戦を始めるには、どの程度の事件が必要か?

「……でもそうなると、都知事の暗殺がちょっと、文脈に沿わないよな……」

 こん、こん、こん……呟きながら、鉄帽を叩く久太郎。

「え? なんでー?」

 そこでようやく、土産物屋から視線を離した里咲が会話に入ってきた。

「里咲さん、聞いてたんですか?」

「んふふ、まあ大体は。なんで都知事の暗殺が文脈に合わないの?」

「だって、あいつは三期目でも支持率がマジで九十二%の化け物みたいな政治家ですよ。それだけの実績もある。暗殺なんてしたら神格化されて、ますます日本憎しで東京は結束……」

 と、そこまで言って久太郎は自分で気付く。

「暗殺の罪は誰かになすりつけちゃえばいい。それこそ、内戦のいいきっかけでしょ」

 里咲が笑いながら言う。久太郎は戦慄し、その考えを検討した。

「とすると……じゃあ、カジノゲーセンの件も陽動……都庁警備の気をそらせて、防御を薄くするためで、暗殺が本筋……?」

「だと思うよー、黒石もなんかそういうの言ってたし。戦争したい人たちの考えそうなことじゃん。ま、あんな強い人と一緒にいたってのが誤算だったんだろうけど。マジで、なんなのあのお爺ちゃん?」

 が、久太郎は答えない。ただひたすらに考える。

 ……東京が内戦状態になれば。

 日本にとっては、本気を出して東京を侵略するこの上なく良い口実となる。テクノロジーの違いはあれど……フォースの佐官クラスに忍者がいて、千人単位で東京側に寝返る部隊がいるとしたら? そうでなくとも東京奪還後の地位を約束され、目の眩んだ派閥ファクションがいたとしたら?

 なにより……今までは都民の存在が半ば人質となって、日本は東京に対し、非戦闘員を巻き込むような大規模攻撃兵器が使えなかった。日本にとって東京に暮らす人々はまだ、日本国民なのだ。だが……もう躊躇はしないだろう。ミサイルや爆撃でどれだけ都民が死んだとしても、堂々と言い張ればいい。

 彼らは都内に存在する、派閥ファクションと呼称される反日・反政府武装勢力間抗争の犠牲者である。日本国はこれ以上、日本国民からの犠牲者を増やさないため、東京で争いを続ける現地武装勢力を制圧する。これは国民保護、国家として当然の義務であり、テロの鎮圧であり、憲法で禁じられた戦争行為には該当しない……中学生の言い訳じみた言い草だが、国というものはそんな言い草でも動いてしまう、というのは、歴史の教訓かもしれない。

「……戦争で最初に犠牲になるのは真実だ、って言葉……里咲さんの世界にもありました?」

 ため息をつきながら久太郎が里咲に尋ねると、彼女はただ、肩をすくめて言った。

「ウチだと……もうちょっと違う言い方だったな……あは、こういうの、なんか面白いね」

「どんな言い方でした?」

「えーと……」

 見えてきた256重にごろじゅうの塔の入り口、数センチしかない0と1の彫金を組み合わせて作った、全高数十メートルの巨大門に目を丸くしながら里咲は言った。

「……殊更ことさらに真実と言葉にする人間こそ、もっとも真実から遠い場所にいる。戦時であるなら尚更なおさらだ。言葉はすべてが虚構だが、銃弾はすべてが事実であるが故に。あるいはこうも言えるだろう。人間に委ねられた真実は、幼子に任された戦争に等しいと」

 それを聞いた久太郎と色葉は少し息を吐き、こちらも肩をすくめた。

「……長いっすね」

「ですね……」

「ねー」

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