02 256重の塔
浅草。地上第一層。
歴史の特異点と言われる現代東京においてもこの街は、独特な地位を占めている。都はこの街の統治・管理を放棄し、一切の徴税を諦めている。公式見解としては以下の通り。
浅草を占有している存在は、いかなる意味でも人間ではなく、従って、公共サービスの一切を提供する必要性は、これを認めない。
だが街は存在する。たしかに実在する。
宗教の存在意義が大衆の救済にあるのなら、ある意味で浅草は世界でもっとも宗教的な街だ。なにせこの街ときたら、物理的に人を救っている。
人間の皮膚の内側をすべて、端末上の仮想空間に再現する。
しかるのち、自殺する……浅草流に言うなら、肉体を捨て去る。
その本拠地がここ、浅草だ。絶望した人々を迎え入れるため、
意思と意識を持ったコンピューター・アルゴリズム、天然の人工知能である
「忍者による東京奪還作戦……?」
服装同様、令嬢じみて整った綺麗な顔をわずかにしかめ、色葉は言った。時刻は二十三時近く。まだ観光客の溢れる浅草大通りを三人で歩きながら、久太郎が今回の事件を解説している。
「現状、考えられるのはそれぐらいだ。おそらく忍者たち……つまり日本は、五輪のドサクサに乗じて東京を占領しようと……そうするための準備を整えようと考えてる」
「……でもそれは、いつものことなんじゃ?」
色葉がこてん、と首をかしげる。そう、いつものことだ。
東京都の境、日本との紛争地帯、
他の国々と同じように常識的なテクノロジーしか持ち合わせていない日本に対し、東京には
よって都境は東京の独立宣言以降ずっと、自衛隊と
「だが、忍者ってなると……話は違ってくる。里咲さん、もう一度確認なんですが、マジで連中、変身できたんですか? ……光学迷彩的な……映像を体に投射してる、とかじゃなく?」
土産物屋の軒先に並ぶ、浅草ならではの、ブラックジョークの極みである
「だと思う。あの地下教会を教えてくれた忍者の人が、オレたちは変身できるんだぜ、って言ってたし……腕をね、四本に増やしたりもしてた、普通にモノ動かせててびっくりしたよ」
「ふむ……ってなると……日本も、持ってたってことだよな……」
遠い目をする久太郎。視線の先には目的地である
「何を、です?」
「
久太郎の言葉を聞いた瞬間、色葉が、ぷっ、と吹き出した。
東京を形作る様々な超技術――特に
「やだ、樫村さん、そんなの信じてたんですか?」
「信じる信じないの話じゃないさ。っていうか、これはどっちでもいい話……宇宙人から渡されてたとしても……なんだ、ほら、異世界? からやってきた人たちが伝授してたとしても」
久太郎は考えを整理するためか、通りを埋めている出店の一つに寄り、DJブースから説法する釈迦をモチーフにした、割り箸に刺さったべっこう飴を一本、買い求める。昔ながらの黄金色をした、きらきら輝くガラス細工のようなべっこう飴は、久太郎の好物の一つ。
「……冷静に考えると、黒船は異世界から来たのかもなぁ……」
里咲を見つめ、べっこう飴を舐めながら呟く久太郎。彼女は彼女で、べっこう飴屋台の隣、
久太郎と色葉にとっては通い慣れた街、見慣れた浅草の光景。だが里咲にとってはまさしく、異世界の光景。好奇心を剥き出しにしている彼女の顔に店主が、口を半開きにして見惚れていて……久太郎は少し、美人に作りすぎたな、と反省。お尋ね者の彼女と出歩くため、今、久太郎は全力で周囲の人々の視界をハッキングし続け、里咲の外見を別人に偽装し続けている。とはいえ操作自体は
「ま、さておき。日本にも一つ、東京みたいな超技術がある。それは……どの程度かわかんないけど、好きな外見に変身できる能力。ってなると狙うのは?」
「
勢いよく言う色葉に、少し笑ってしまう久太郎。
「ま、それもアリっちゃアリだろうけど。でも一番効果的なのは同士討ちだ」
「……同士討ちってどこと……あ、
「その通り。完璧な変身ができる忍者部隊、なんてのが存在するとしたら……
「でもでも、そんなの、今できるなら昔からできたはずなのに、今になって急に、なんで……」
と、問いかけると久太郎は無言で里咲を指さし、色葉が、あ、という顔をする。
「出入りが超、簡単になった。小隊規模の人員を都内のどこでも、何度でもワープさせられる異世界の協力者。パズルのピースが揃ったって考える連中がいても、おかしくはない……だよね?」
「だと思います。でも、実際にはどういうことを……あ、え、うそ、ひょっと、して……?」
色葉は大きく開けた口を手で押さえる。
「まだ、ひょっとして、ってレベルだけど……」
久太郎の言葉に、こくこく、と頷く色葉。
「フランシスさんは……じゃあ……もう……」
悲しそうな顔をする色葉に、久太郎が首を振る。
「……いや、元々そんなヤツはいなかった、ってことじゃないかな」
久太郎は少し、いつからだろうか、と考えるが、情報不足は明らかで息をつく。日本にいる人間に東京の実態がわからないように、東京にいる人間に日本の実態はわからない。確実に言えるのは、日本がそんな技術を持った当初から、だろう。それがいつかはわからないが、昨日今日の話ではないはず。
おそらく、どの
だとすれば、適当な
第一次世界大戦は一国の皇太子夫妻暗殺から始まった。言い換えれば、二人の人間が非業の死を遂げ、結果的に軍人、民間人合わせ約三千七百万人もが非業の死を遂げた。
では現代の東京で内戦を始めるには、どの程度の事件が必要か?
「……でもそうなると、都知事の暗殺がちょっと、文脈に沿わないよな……」
こん、こん、こん……呟きながら、鉄帽を叩く久太郎。
「え? なんでー?」
そこでようやく、土産物屋から視線を離した里咲が会話に入ってきた。
「里咲さん、聞いてたんですか?」
「んふふ、まあ大体は。なんで都知事の暗殺が文脈に合わないの?」
「だって、あいつは三期目でも支持率がマジで九十二%の化け物みたいな政治家ですよ。それだけの実績もある。暗殺なんてしたら神格化されて、ますます日本憎しで東京は結束……」
と、そこまで言って久太郎は自分で気付く。
「暗殺の罪は誰かになすりつけちゃえばいい。それこそ、内戦のいいきっかけでしょ」
里咲が笑いながら言う。久太郎は戦慄し、その考えを検討した。
「とすると……じゃあ、
「だと思うよー、黒石もなんかそういうの言ってたし。戦争したい人たちの考えそうなことじゃん。ま、あんな強い人と一緒にいたってのが誤算だったんだろうけど。マジで、なんなのあのお爺ちゃん?」
が、久太郎は答えない。ただひたすらに考える。
……東京が内戦状態になれば。
日本にとっては、本気を出して東京を侵略するこの上なく良い口実となる。テクノロジーの違いはあれど……
なにより……今までは都民の存在が半ば人質となって、日本は東京に対し、非戦闘員を巻き込むような大規模攻撃兵器が使えなかった。日本にとって東京に暮らす人々はまだ、日本国民なのだ。だが……もう躊躇はしないだろう。ミサイルや爆撃でどれだけ都民が死んだとしても、堂々と言い張ればいい。
彼らは都内に存在する、
「……戦争で最初に犠牲になるのは真実だ、って言葉……里咲さんの世界にもありました?」
ため息をつきながら久太郎が里咲に尋ねると、彼女はただ、肩をすくめて言った。
「ウチだと……もうちょっと違う言い方だったな……あは、こういうの、なんか面白いね」
「どんな言い方でした?」
「えーと……」
見えてきた
「……
それを聞いた久太郎と色葉は少し息を吐き、こちらも肩をすくめた。
「……長いっすね」
「ですね……」
「ねー」
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