第57話 海賊と梟

エウベ大陸の西の海シャプール海は、一年中、穏やかで荒れることがほとんどない。バカンスを楽しむ人々にとっては、快適な海として有名だった。


周辺のリゾート地には夏は涼しく、冬は暖かいという海洋性気候をもたらす。観光客だけではなく、近隣に住む人々にとっても、まさに宝の海なのだ。


だが、人々でにぎわう遊泳区域を外れ、沖の方に一歩、出ると危険な海域も存在する。そこには小島が浮かんでおり、海賊バルジャック兄弟の拠点となるアジトがあったのだ。


そのアジトの中、港町ダールドを襲いながらも、見ず知らずの男の思わぬ逆襲に会い、命からがら逃げ帰ってきた男が、顔を真っ赤にして廊下を歩く。

バルジャック兄弟の弟ハイデンは、血相を変えて兄の前に登場した。


建物奥にあるやや大きめな部屋で、待ち受けていたオロチ・ハイデンは、弟に座るよう促すが、頑としてはねつけられる。

仕方なく、相手の剣幕を、そのまま受けることにした。


「兄者、俺を囮に使ったのは、本当か?」


ハイデンが怒っているのは、アジトに戻ると新顔のエルフィーという男が、以前、逃げられた海の民の娘、モアナを拉致しているのを知ったからである。


牢屋の中に見たことがある碧い髪をした女と、もう一人、深緑のフードを被った娘を見た時、自分がだしに使われたのだと、発狂しそうになったのだ。


「囮じゃねぇ。いわば二面攻撃よ。」


そんな弟をなだめるようにオロチは諭す。考え方としては、ハイデンが主力を引き寄せたからこそ、後方が手薄になり、モアナを連れ去ることができたのだ。

この功績の半分は、ハイデンの頑張りのおかげという論理ロジックである。


だが、実際、命を落とす危険があった弟は、兄のそんな説明にも納得できないようだった。

そこにエルフィーが飄然と姿を現す。


「これはこれは、ハイデンさん。あなたの派手な活躍には、大変、感謝いたします」

「でめぇ、新入りが大きな口を叩くんじゃねぇ」


ドスの利いた声で、迫る海賊にエルフィーは顔をしかめた。それはハイデンを恐れての事ではない。

その証拠に、このシルクハットを被った男の瞳には、怯えた色はまったくなく、あるのは嫌悪感だけ。自らの懐に手を入れて、ハンカチを取り出すと鼻に当てながら、苦言を呈した。


「私はスキルの関係上、鼻がよく利くのです。申し訳ありませんが、あまりに私に近づかないでいただきたい」

「・・・この野郎!」


ハイデンはエルフィーの胸倉を掴み、拳を大きく振りかぶる。しかし、その太い腕が、降ろされる場面は、一向にやって来なかった。


右腕に力を込めて、歯軋りするも、腕は1ミリたりと動かない。

これは彼の意思ではなく、強制的に止められているせいだった。


「何しやがった?」

「野蛮な人物の暴力を封じただけですよ」


エルフィーは自分の胸倉にあるハイデンの指を一本一本緩めて、自由の身となる。

衣服を整えた後、冷めた目を動けぬ木偶と化したバルジャック兄弟の弟に向けた。


「新入りとおっしゃいましたが、私は別にあなた方の傘下には入っておりませんよ。あくまでも我々『アウル』とあなた方兄弟は同盟関係です」


これは兄のオロチも承服しており、さんざん弟にも言って聞かせてある事。

但し、ハイデンは、未だに納得していないのだった。


これまで、兄弟、力を合わせて、どんな難敵をも撃ち破ってきたのである。

その自負が、こんな訳の分からない男と手を組むことに対して、プライドが邪魔をして許さないのだ。


「ハイデン、この件は、何度も言っているじゃねぇか。俺たちは『海の神殿』の宝を分け合う仲だ。向かう敵が一緒の間は、手を組むってな」


ポートマス家ごときであれば、誰の手も借りず落とすことが出来ると思うオロチだが、『海の神殿』には、例の魔獣がいる。それに、海の民自体も意外に厄介な相手なのだ。


あの民族は、刀や槍の達人が多く接近戦に無類の強さを示す。

例えオロチがスキル『雷電ボルト』で雷を落としても、海の民は死を恐れずに特攻を仕掛けてくる。


それで、負けるとは思ってはいないが、自身も手傷を負う可能性があった。

そのリスクを解消できるのであれば、どんな奴とも手を組む。


オロチも『アウル』の全貌を知っているわけではないが、絶対的な力を持っているミューズ・キテラの元、強力なスキルホルダーが揃う組織だと認識していた。

その戦闘能力を考えれば味方につくというのを拒むのは、実にもったいない。


「・・・分かったよ」


動けぬ身とあっては、それ以外言いようがなかった。納得しているようには見えないが、それでも承服の返事をする。

そんな弟に対して溜息をつくと、オロチはエルフィーに向き直った。


「一応、ハイデンの奴も、ああ言っている。スキルを解いてやってくれ」

「ええ、分かりました。我々は良きパートナーですから」


そう言うと、エルフィーは『麻痺香パラリシス』を漂わせるのを止める。

体が動くようになるとハイデンは、エルフィーとは目を合わせず、その場を去っていった。


オロチは、やれやれといった仕草をするが、今、この場にハイデンがいない方が話は進めやすい。

今後、人質を使って、どうやって海の民を切り崩していくかエルフィーと相談しようとするのだった。


ところが、そのエルフィーは、まだ、早いと告げる。


「どうしてだ?待つ必要はないだろう」

「いいえ。あなたの弟を痛い目に合わせたレイヴンって男が、必ず人質を奪い返しに来るはずです。その撃退が先ですよ」


そうしないとエルフィーは、海の民、レイヴンと前後に敵を作る事になると説明した。

しかし、その話、オロチは、にわかには信じられない。


奪われた人質の奪還のためにダールドの連中が、このアジトに乗り込もうと思うわけがないのだ。

それは、以前、領主の跡取りデュークの時に、さんざん痛い目に合わせたので、懲りているはず。


「我々、『アウル』ですら、あのレイヴンには煮え湯を飲まされております。油断なさらない方がよろしいですよ」

「それほどの男なのか?」

「ええ。実際、ハイデンさんの『猛毒ヴェノム』は通用しなかったでしょ」


普段、飄々としているエルフィーが、ここまで真剣に話すのだ。オロチは、その言葉を信用することにする。

ただ、やって来るというのであれば、自慢のスキル『雷電ボルト』の餌食にするだけだ。


いつものように、一隻残らず焼き払い、海の藻屑と消し去ってやる。

そして、二度とこのアジトを攻めこもうなんて気を起こさないように、骨身に染みるまで恐怖を与えてやるのだ。


油断するなと言われたが、オロチの目は完全に海の民の方に向いている。

実は、エルフィーには話していないが、海の民の国マルシャルを攻め込むために、近海にいる同業の海賊たちには、すでに声をかけていた。


そいつらが近々、この小島にやって来る手筈になっている。レイヴンなどという男に時間をかけている暇はないのだ。


『まぁ、いい。俺の力を見せつけるいいパフォーマンスになる』


邪魔するハエなど、鎧袖一触がいしゅういっしょくにするだけ。

格の違いというのを見せつけてる。そう決め込むオロチだった。

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