第102話・SPARK②

 国鉄に構っている暇がない、その言葉は嘘や冗談などではない。


 GHQ、アメリカが危惧したとおり、共産主義の波が世界中を呑み込んだ。毛沢東が率いる共産中国を、世界各国が承認していた。

 日本同様、台湾を共産主義の防波堤と機能させるべく、かつて中国を二分していた蒋介石のもとへ、マッカーサーは飛んだ。

 一方、ホー・チ・ミンが率いる共産主義の北ベトナムを中国とソビエトが承認する。正統性を争ってフランスが建国した傀儡国家、南側のベトナム国をアメリカとイギリスが承認した。北の共産主義陣営と、南の資本主義陣営の対決がはじまった。


 これが海を隔てた目と鼻の先、朝鮮半島でも火蓋が切られようとしているのだから、日本に進駐するGHQの緊張感は高まっていた。

 駐留するGIは、そのほとんどが戦場を経験していない。戦場を知る将校は、生命を惜しまず散っていった日本人の記憶がよみがえり、戦慄していた。

 日本を拠点に進軍するのか。火の粉は日本に降りかかるのか。軍人として戦争に赴き、朝鮮人の生命を奪うのか……。


 日本に駐留して出来るのは、共産主義の波を食い止める。そのための国鉄人員整理だったが、もはや国鉄だけでは留まらない。

 それが証拠に、三鷹の暴走事故では共産主義者の無実が証明されて、その罪を元運転士たったひとりが負っている。企業、政治、司法の世界にまで共産主義者が跋扈ばっこしている、この現状。赤化を阻止するGHQとして、看過できるはずがない。

 根源たる共産主義者を狙わなければ、日本も赤く染まってしまう。


 そのような状況であるから、国鉄本社には好きにしろとも、勝手な真似をするなとも、矛盾する感情をシャグノンは同時に抱いた。

 電化推進? 列車の電車化? 好きにしろ。人員整理を実施して、効率的な運営で労働組合を骨抜きにすればいい。

 電車が燃えても、変電所が電源を断たなかった? 未熟な日本には早すぎた、貧しい現状を踏まえないからだ。鉄道などに未来を託すな。


 アメリカを見ろ。大戦で獲得した航空技術が空を覆い、繁栄の行き着く先が道路を埋める。最先端を走っていた鉄道は、先細っていく一方だ。

 それでも技術が欲しい、と言った男がいたのを、シャグノンは思い出した。

 椎名だ、国鉄における鉄道車両設計の第一人者。彼の設計は使いこなした技術ばかりで、目新しさがひとつもない。作れと命じた国の責任でもあるが、ボイラーが破裂するD52、バラック電車の63形、炎上した80系電車など、失敗も少なくはない。


 戦争で失った時間をくれてやろう。アメリカに牙を剥いたことを、日本に後悔させてやる。アメリカで潰える鉄道の火を、この日本で燃え上がらせる。

 命令して作らせた……スロ60とか言ったか。四人一組で窮屈に座る区画を、自在腰掛リクライニングシートのふたりがけに変えさせた。九十六人が乗れる三等客車を、四十四人だけが乗る二等車として使用する。アメリカの豊かさに、日本人は羨望の眼差しを向けている。


 心の豊かさなどまやかしだ。資本は力、贅沢には誰であろうと魅了される。これがアメリカ、これが資本主義だと、共産主義者は思い知れ。

 ……そう。貧しい日本人は、指を咥えているのみだ。輸出品Occupied Japanで稼ぐ資本家は現れた。だが一般庶民は、慎ましやかに日々を過ごす。

 経済の底上げが必要だ。それこそ、スロ60の座席が埋まるほどの豊かさだ。憧れを手に入れて、それに魅了された瞬間に、日本人は心からアメリカの手に落ちる。


 さて、経済底上げの手段だが、アメリカはひとつしか知らない。アメリカ式の方法では、世界情勢に頼るしかないが、その瞬間は刻一刻と迫っている。

 日本よ、若き兵士よ、恐れるな。アメリカが世界の覇権を握り、日本が再び立ち上がる。黄金の五十年代を、ともに迎えようではないか。


 ──と、考えていたシャグノンは、悪魔のような笑みをたたえた。CTSの同僚は、仕事の手を止め凍てついている。それにヒビを入れるかのごとく、シャグノンは嬉々として口を開いた。

「東の動向は、どうなっている」

 極東にいて、東。共産主義陣営を示していると気がついて、シャグノンの部下が報告をする。

「ソビエトと中国が同盟を結び、ジェット戦闘機が中国へと流れています。原子爆弾の技術も流出するものかと」


 薄汚い泥棒め、とシャグノンがつばを吐き捨て、続きを待つ。シャグノンほどの地位ならば我々より詳しいだろうに、と沸き起こった苛立ちを噛み殺して求めに応じる。

「勢いづいた中国は、チベットへの侵攻を開始しました。これは時間の問題です」

「チベット、内陸か。東から日本への影響は?」

 思わぬ問いに動悸する心臓を、シャグノンは視線で貫いた。ここは我々が進駐する日本。アメリカを第一に考えようと、日本という眼鏡を通さなければならない。


「中国の影響は、図りかねます。ただ、シベリアに抑留された日本人の送還が終了しました」

「それは、共産主義思想に染まっているな? 国鉄の呉羽のように」

 ほんのわずかだが、思い出すのに時間を要した。松川の脱線事故で逮捕された、国鉄職員のひとり。人員整理をする際に、名簿から外したシベリア帰りの職員だ。


 呉羽を名簿から外した理由を、シャグノンの同僚は理解した。

 解雇だけでは、労働組合に損失を与えられない。積極的な組合員だ、労働争議を過熱させるだけかも知れない。

 罪を着せ、犯罪者だからと解雇させる。無実だと訴えようと、それを証明するまで呉羽は籠の鳥。

 CTSに、不穏な渦が巻いている。

 その中心には、外せと命じたシャグノンがいた。

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