第77話・UNION②
人民電車は、翌十一日にも運転された。その間、GHQはストライキの中止を命令し、正常ダイヤを取り戻す。その後も団体交渉は継続されたが、人民電車の運行に関わった組合員は、電車往来危険罪で逮捕された。
兵隊と革命家には、大きな違いがあるのだと平木は知った。大日本帝国軍人は虜囚となれば、生き恥を晒したと蔑まれる。平木自身がそうだったから、痛いほどに理解している。ところが革命家は、逮捕は闘った証しだからと、どこか誇らしげであった。
レーニンをはじめ、名だたる革命家のほとんどに逮捕歴がある。公権力の誤りを訴えて、闘争した末の逮捕だから、革命家は堂々としていられる。
そして発足間もない国鉄の問題点を、労働組合が世間に広く知らしめた。刺し違え、深傷を負わせた格好だ。
この闘争は、革命だ。資本家ではない、国家との闘いだ。これに勝利し、国民が主権を掴むのだ。
そんなことが出来るのか、と目の前に停まる客車が嘲笑う。
マイネ40。発注したGHQが、完成間近で不要と判断した寝台車だ。鉄道総局には買い取れず、製造した工場で塩漬けにされていた。日本国有鉄道予算で購入し、ようやく営業運転が叶った。国鉄が購入した証拠に、窓下に引かれた帯にはGHQが定めた軍番号や愛称ではなく、日本国有鉄道の略称であるJNRと記されている。
そう、帯だ。一等車を示した白帯は、連合軍専用列車の証なので、クリーム色で代用している。
そしてその一等車、このマイネ40、贅を尽くした二十四の寝台を、ドッジが招いたデフレーションの旋風に翻弄される日本人には、埋められない。国鉄保有と明記しながら、結局は軍番号が書かれた連合軍専用客車に挟まれ、GHQの将校を乗せている。
これから迎える夏に備えて、冷房装置を屋根裏に設置する。重量級を表した「マ」を頭文字に掲げるとおり、冷房装置は重たい上、信頼性は低い。だがむせ返るような日本の暑さは、アメリカ人に厳しいので設置するよう指示された。
悲運の客車だ。GHQに頼まれて作り、GHQに不要とされて、買い手がつかず留め置かれ、やっとの思いで国鉄が買っても、GHQの将校にしか手が届かない。
この寝台を、日本人が埋める日がくるのか。日本が主権を取り戻し、国民がマイネ40を選択できる日は、いつ訪れるのか。
ひと通りの作業を終えると、同僚が平木を労ってきた。慣れない作業と、車内にこもった熱気で疲れが見える。平木はというと、涼しい顔で汗を拭ったのみだった。
「冷房装置といえば、床下吊り下げだったからな。狭い屋根裏の作業に、俺たちは慣れていないんだ。平木がいてくれて、助かったよ」
「軍用車では、よくあることです。その分、窮屈な思いをさせましたが」
工廠勤めが役に立つとは、忌々しい。しかもそれがGHQ、進駐するアメリカ軍のためなのだから、平木の感情は自分にも紐解けないほど複雑で、それは謙遜として現れた。
「車軸発電式ですから、試運転をしなければ冷房が動作するか、わかりませんよ」
「大宮工場まで走らせる。不具合があれば、そこで調整するのだろうが、平木がやったのだから大丈夫だろう」
信頼が嬉して、痛いほど胸に沁みた。仁科に反発などせず、大宮工場に籍を移していたら、今はどうなっていたのだろうか。大井より遥かに大規模で、仕事が多岐にわたる大宮ならば、多くを学び多くに触れて、更なる活躍が出来たのかと、袖にした現在に思いを馳せた。
いいや、俺は間違っていない。仁科の誘いに尻尾を振って大宮工場に異動をしたら、鉄道総局の人事は正しいのだと勘違いさせてしまう。ましてや人事に権限がない渉外室、横暴だと捉えたのも誤りではない。すべての組合員が駒にされないための、必要な選択であり闘争だった。
これでいいんだ、労働組合のためならば、ひとりくらいの犠牲があっても……。
犠牲? 俺は、大宮工場で働きたいのか?
平木は再び、訪れなかった今を夢見た。
忌々しいと顔を歪めた工廠勤め、それを大宮工場ならば、塗り替えられるような気がした。
GHQが持ち込んだディーゼル機関車。狭い大井では組み上げだけで精一杯だが、汽車も作れる大宮ならば国産化も叶うのではないだろうか。
そうか俺は、エンジンをやりたいんだ。工廠勤めもつらくはなかった、俺はエンジンが好きなんだ。
馬鹿な考えはよせ、と平木は胸の内で
工具を片付け、マイネ40から降りた平木に、工員が血相を変えて駆け寄った。ただごとではないのがひと目でわかり、平木も連れの工員も眉をひそめずにはいられない。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「いいから事務所にきてくれ! 大井の……国鉄の一大事だ!」
言われるがまま事務所に走ると、炎が立ち上ったような、異様な雰囲気に包まれていた。窓から覗く人だかり、嫌な予感が身体の芯から広がっていく。
事務所に入った平木の背中を、工員が奥へと押し流す。連れられたのは、口を固く結んでいる工場長の前だった。そして耳を覆いたくなる真実が、怒りにまかせて告げられた。
「あなたも知っているでしょう、工場長! 平木は国鉄に必要な男だと! それがどうして、人員整理の対象なんですか!」
人員整理? この俺が? 定員法に抵触し、国鉄を解雇されるのか?
平木が捉えていた像は、次第に渦を巻いて歪んでいった。
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