第6話
「今期契約が切れるけど、変わらないのか、ポスティングでメジャーへ挑戦。でも残留のオファーもあるんだろ?」
「はい」
「残らないのか? 日本に……」
質問している先輩選手は、形だけの質問だなと、自分でわかっている。
目の前にいる後輩選手はランニングマシーンから降りた。
荻島秀晴。
今期チームに貢献し、メジャーを狙う気持ちは変わらないらしい。
「うるさいんですよ、日本。野球に集中できないし」
「まー何が煩いって、女が煩いんだろーが。お前の場合は。入れ食い状態だからって、適当すぎるっていうか冷たすぎるっていうか」
呆れ気味に云われるが、その言葉を嘲笑するように、秀晴は言い捨てる。
「オレのことを好きってわけじゃない、金で遊びたいだけで。好きだ、愛してるいわれても、どこが? って思う」
もしくは、肩書きが欲しいのか。プロ野球選手の恋人という肩書き。
秀晴にはそれがわかっている。表面は気持ちがあるだろうし、中には本当に秀晴を愛してるという彼女もいるだろうけれど、秀晴の方の気持ちがついていかず、女の方から別れていくというパターンだ。
最近は秀晴自身も本気と遊びの区別のつかなさそうなタイプは相手にしない節がある。
「なあ、荻島。お前、前からそうだったけ?」
「何がっすか?」
「あーうーん……その、恋愛感てゆーか、結婚とかはどうするの?」
荻島が2年遅れで入団して以来の付き合いだが、松田は本気で心配になってきた。
「ああ、なんか監督とかも、メジャーにいくなら結婚とかどうするかって聞いていたな」
「それだよ、そんなんで結婚なんてできないだろ」
「別に、好きな相手と結婚できないなら、誰としたって同じでしょ、しろって云われればしてもいいっすよ」
松田は頭を抱える。
今まで、ここまで深くプレイベートなことを訊いたことがなかったけれど、荻島秀晴は、もしかしたら女が嫌いなのかとさえ思えてくる。
先輩達からそれなりに、芸能人や女子アナの紹介はしてもらっているだろうけれど、荻島から強いアプローチを見たことがない。
常に、受身だ。
松田は記憶の糸を手繰り寄せる。
この目の前の後輩が、自ら進んで誰かに女に電話をするなんて光景は、ここ数年見たことがない。
入団した当時はどうだった? 入団時は……もっと違った印象があったはずだ。
当時10代だったし……、もっと明るくて無邪気な印象があったように思う。
野球のプレイでもそうだった。
新人らしい新鮮さで、ベンチの先輩選手たちも、荻島のそんな言動は可愛いくて仕方ない様子だった。小さな野球少年が身体だけ大きくなって、プロにきた、そんなイメージが強かった。
もちろん2年目の怪我のあたりから、なんだか雰囲気が変わった。
野球に対しては常に真摯だし、プレイには問題ないし。雰囲気が変わったのは、プロとしての自覚をしてきたからだと、周囲は云っていたし、誰もが思っていたことだ。しかし、入団当初の荻島の性質が見られなくなった。
当時のマスコミも、怪我をしてプロの自覚が芽生えたなんて、書きたてていたが、普通はそこまでは変化することはないだろうにと、松田は思う。
「し、失礼しマース」
荻島と松田は顔を上げる。
トレーニングルームに顔を覗かせてきたのは、今年、大学からこの球団に入ってきた新人だった。
「荻島選手、いらっしゃいますか」
秀晴は顔を上げて、ドアの方に視線を向ける。
新人選手は全身に緊張を漲らせている。
「おう、遠慮せず、こいや」
松田がチョイチョイと手招きすると、新人はドアを閉めて、荻島に近づく。
「何?」
「あ、あの、自分、湘海大から今年入団した佐野といいます」
「知ってる」
「先輩から言付かってきました。荻島選手に連絡したい人がいるらしくて」
「おいおい、そうゆーのは……」
「わかっています、でも、云うだけ云ってくれって。連絡をとりたがっているのは荻島選手と東蓬学園で同期だった中谷先輩なんです」
「中谷?」
秀晴が訊き返すと、佐野は頷く。
秀晴が有名になってから「自分は荻島と知り合い~」「自分は親戚~」なんて、秀晴自身はまったく面識がないのに、そう吹聴する連中も多くて、実家にもあまり戻らなくなった。
シーズンオフで上京しても、ホテルで泊まってこっちに戻ってくる。そんな状態だ。
高校時代の知り合いもそういう手合いがいないこともないので、秀晴は例の怪我のことがあってから、そういう選手伝いで繋ぎをとろうとする連中とは一切の連絡をとってない。
しかし、この目の前の選手は「中谷」の名前を出した。
中谷は大学行ってプロになってもおかしかくなかった。
秀晴と同期や先輩後輩でプロになった人間は何人かいるが、その中に、入ると思っていたのに、結局その名前をこの界隈で耳にしたことはない。
「えーと、『東京に戻ってくることがあれば連絡くれ』だそうです。これも」
携帯の番号が書かれているメモを秀晴におずおずと渡す。
「それだけっす! 失礼しました!」
バッと、垂直に腰から折り曲げて挨拶して、カチコチになりながらトレーニングルームを出ていく新人選手を松田と秀晴は見送る。
ドアが閉まると、松田がニヤニヤしながら呟く。
「入団当初のお前も、あんぐらいの可愛さはあったよな」
実績に裏打ちされたふてぶてしい態度の後輩を見て松田は呟く。
「……中谷って、女か?」
「男」
「荻島、ちょっと聞くが、お前はホモじゃないよな」
「なんでそういう発想が?」
「態度が違うから」
「ホントの知人だからです、深い意味はないですよ」
「ふうん……それが『トーキチ』なんだ」
松田の言葉に秀晴の動きが止まる。
「てっきり『トーキチ』イコール『とおこ』だと思ったんだが、別人……か……」
秀晴は松田を見下ろす。
そのリアクションに、視線の強さに松田はドキリとする。
「なんで、その名前を、知ってるんですか? オレ、話しましたっけ?」
ゆっくりと区切るように問い質す。
「話したというか、聞こえたというか……多分知らないけれど、お前、寝言で必ず言ってるし」
「は?」
「球団では一部有名よ? その話」
シリーズで移動中に荻島自身が寝入り込んで呟く名前。
先ほど手繰り寄せた記憶のどこかで、その名前が浮かび上がる。
入団1年目の頃、荻島がよく携帯で話していた名前だということ。
そして……その名前は、荻島と付き合いがあると囁かれる芸能人の女性達からは耳にしている。
――――秀晴が寝ている時に呟くのよ。「とおこ」って。元カノだとは思うけど失礼よね。
どうして彼が寝ているときに呟いているのを知っているのか……。
つまりはそういうことなのだと、彼女達は周囲に公言したいのだろう。
トーキチ。
とおこ。
前からそれは同一人物かもしれないと松田は思っていた。
秀晴の目が真剣味を帯びている。
マックス157キロを投げる瞬間の目と同じ。
触れてはいけない部分なのがはっきりとわかる。
「……」
「お前の元カノ達も云ってたし。コトの最中に口走ったか?」
「――――ああ、それはあるかも」
松田はガリガリと乱暴に髪を掻く。
「んだよ、それは。今までお前がつきあってきた女の名前にはないだろうそれは」
「ないっすね。ああ、そういえば、それが理由で離れていった女もいたような気がする」
「離れるだろう、つか、ドン引きだ」
「別にオレは傍にいてくれなんて頼んでないから構わないんですけど」
「荻島、お前その『とおこちゃん』とはどうなのよ。本命なんだろうが」
秀晴は後輩の選手から渡された、中谷の携帯とメルアドを入力する。
ピピピと、電子音が響く。
「松田先輩は、本命いたら、その人に一直線?」
「あたりまえだ」
「自信あるんですね、オレにはなかった」
松田が溜息をつく。
――――自信がないとはどういうことだ。
日本が注目するほどの選手が、恋愛には自信がないのか。
どんな女でもよりどりだろうに。
「上がります、オレ、明日は東京なんで」
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です」
淡々とした口調でそういい、秀晴はトレーニングルームを後にした。
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