イリス王女

今日の仕事は、あまり気が乗らない。

昨日言われた通りに、イリス王女の部屋をクロードさんと訪れるようになっているが…子供の相手は、得意では無い。

近所の子と遊んだ程度、家の周りには、歳上が多く、小さな子は数人居たが、どのように接したら良いのか分からず、泣き出した小さな子供の対処には、姉上を呼んで対応して貰っていたから。

しかも、いくら子供と言えど、今回のお相手は、身分の高い王女様だ。

失礼があってはならないだろう。


乳母のチェスターさんが付きっきりでイリス様のお相手をしているそうで、チェスターさん自身の子供を放ったらかし状態なので、もし僕が少しでも役に立てば、チェスターさんも助かる…という図式で。

なんか、僕の役回りって…こいうの多くないかな。


父親であるアルさんはと言うと、訪室の機会が少ないとか…どうしても親子というよりは、妹のような感覚になるらしい。ちゃんと子育てしろよ!と僕は思うが…王族の家族間の距離感なんて分からない。


「失礼します」

入室すると、イリス王女は乳母のチェスターさんに絵本を読んで貰っているところだった。

「あ!パパとあそんでたひとぉ?」

遊んでた…良かった、抱き合ってた人なんて言われた日には、卒倒しそうだ。


近付いて行くと、逃げられるかと思ったが、じっと座ったままで、それでも絵本を握る手に力が入ったのが分かり、緊張感は伝わった。

そりゃ、訳の分からない大人が、ズカズカ入って来たら嫌だよな。

引きこもりの僕も、部屋は自分のお城だったから、ここは、王女にとっても安心出来る大事な領域のはず。


僕は、目線を合わせる為に少し離れた所に座ると、声を掛ける

「僕も絵本を読ませて頂いても良いですか?」

怖がらせる為に来た訳では無いし、少し距離感を測ろうと、そこら辺に数冊散らばっている絵本を一つ手に取って、広げてみた。

色鮮やかな動物が楽しそうにお茶会をしている絵本だった。

結構本気で見入っていると…

誰か近付いてくる気配がした。


「よんであげましゅか?」

声に出さずに見ていたから、僕が字を読めず困っているのかと思ったのだろう。

絵本を読んで下さるらしい…

僕は、その言い方の可愛らしさに自然と笑顔になり、お願い致します…と頭を下げた。

拙い言葉で一生懸命に読み聞かせて下さる。絵本の内容が、全く違うお話になっているが、不思議と挿絵との調和が取れていて、とても面白かった。


絵本を読む横顔をよく見ると、少しアルさんと似ている所がある、瞳は同じ青藍色だった。

髪の毛は、お母様の遺伝子を受け継いでおられるのか、ウエーブのある金髪で、どちらにせよ、将来は美しい王女になる事は間違いない容姿だ。

イリスという名前は、アイリスの花が好きだったセレスティア王女より、もし女の子が産まれたら名付けたいと希望があったらしく、イリス王女の名はそのまま、母君からの最後の贈り物になったと聞いた。

アルさんの亡き妻であるセレスティア王女とは、どんな方だったのだろうか…

アルさんとの夫婦仲は良かったのだろうな…子宝にも恵まれたのだから…

そう思うと、何となくモヤモヤする気持ちになってくるので、すぐに考えるのを止めた。

そんな事を考えても良い立場には無い事も、十分に分かってるのに…漏れ出た感情は、早く閉じ込め無くては。

こんなにも可愛らしい姿に触れる事も叶わず…我が子を胸に抱く事無く、天へ召された方を思うと、不謹慎だとも思った。

僕は、心の中で自分を酷く叱責した。


「イリス王女は、どの動物がお好きですか?」

絵本の中の動物について尋ねてみる。

「うしゃぎ」

兎かぁ、確かに可愛い。

後ろの壁のところで、僕達の会話の様子をチェスターさんとクロードさんが見守ってくれている。

止められないということは、大丈夫なのだろう。


「つぎ、おえかき」

絵本は本棚に片付けに行かれるみたいなのでついて行った。

沢山の絵本が並んでいる。

イリス王女は、今度は白い紙とガラスの棒を持ってこられる。持ってきたそれらを机に置くと、椅子に座られた。

王女と同等の席に座るのは憚られ、僕は膝を着く形で側に仕える。

これで絵が描けるのか?と思っていると、机に置いてあるインクにガラスの棒を浸し引き上げる。

なんと、このガラスの棒はペンなのか。

驚きながら見ていると、耳の生えた動物みたいな…多分兎を描いておられる。

「うしゃぎ」

「とてもお上手ですね」

僕の言葉に気をよくしたのか、ガラスの棒を渡される。

「うしゃぎかいて」

僕にも兎を描けと?絵は苦手なんだけど…

貴重な紙の端の方に…兎を描くが、なんだこれ?みたいな物体が出来上がると、

イリス王女にめちゃくちゃ笑われた。

「うしゃぎちがう」

足をブラブラさせながら笑っておられ、笑わすつもりでは描いてないが、楽しそうにされてるので良いやと思った。

そこから、僕は、鳥を描けだの猫を描けだのとリクエストされる。

その度に爆笑される。

あまりに王女が笑うので、後ろに控えているチェスターさんとクロードさんまでやって来て、見ると…

はい、クロードさん、大爆笑です。

チェスターさんは、流石に控え目ながらも、口を抑え肩を震わせながら、笑うのを我慢していた。

そんな面白いかなぁ…結構真面目に描いたんだけど…と、クロードさんに、抗議の声を上げたが、真面目に描いてる絵だからこそ面白いなんて言われてしまった。

そのままお絵描きを続けていると

「ねむい」

イリス王女が眠いと訴えたので、チェスターさんがすかさずやってくる。抱き上げられ、身を預ける王女は、まだまだ幼いのだ。


では、僕達はお邪魔にならぬよう、部屋を出ようとすると

「またきて」

チェスターさんに抱っこされながら、眠そうな目でこちらを見ている

「承知いたしました」

僕は、笑顔で答えて退室した。


イリス王女との時間は、思いの外、楽しかった。恐れ多いが、小さな妹が出来たみたいで…


僕達は執務室へと戻ると、クロードさんは

「私は、少し書類を纏めますので、アルビー様にイリス様のご様子を報告をお願いします。あ、あの絵は貰って来れば良かったですね」

まだニヤニヤしている。

そんなに面白かったのか?

よろしければまた、書類の端にでも描いておきますよ」

と僕は返し、隣のアルさんの居室へ向かう。

ノックをすると、どうぞと言われたので入った。


「ご苦労さま、リュカ。どうだった?」

ねぎらいつつも、心配顔を隠せていない

「パメラ王女は、とても朗らかで可愛らしい方ですね、一応邪険にされずに、絵本を読んで頂き、一緒にお絵描きをしてきましたが」

かなりホッとされたのか、ありがとう…と、手を握られる。

ただの握手なのに、思わず赤くなってしまう自分を止められず、俯いてしまう。


「またそんな可愛い反応して…リュカは、俺を煽るのが上手い。ご褒美は口付けでいいかな?」

「不要です。仕事ですから」

ピシャリと言うが、内心はドキドキしていた。僕は、こういう色めいた言葉の耐性は皆無。


不要だと…そう言ったのに…

ありがとうって僕の唇を軽く奪う。

この人は…本当にいとも簡単に、僕を翻弄してくる。

途端、握られた手が汗で湿ってくる…

僕の焦りが伝わりそうで、凄く恥ずかしい。

「隣には、クロードさんが仕事してるので、ダメです。早く離れて下さい」

「握手してるだけだよ?さっきのは挨拶みたいなキスだし」

余裕そうに言われる。

やっぱり揶揄からかってる。

「じゃ、離してください」

「えーヤダな…じゃあ、リュカから口付けしてくれたら離すよ、それで終わり、これ以上何もしないよ」

何だよそれ…

でも早くしないと…いつ、クロードさんが呼びにくるか分からない。

しかもアルさんは、全く離す気が無く、手はギュッと握られたままだ。

王子の手を振りほどく程の度胸は、僕には無い。


この場を何とかしなくては…と僕は、思い切って背伸びすると、目指すは、アルさんの頬!と決めた。

頬っぺに口付けしようと、目をギュッとつむる。

ゆっくりと近付く…距離がになる。

そして、触れたのは…頬っぺにしては、柔らかすぎるもの。

僕が恐る恐る目を開けると、アルさんの青藍の瞳と視線が重なる。

素早く位置を変えたのだろう…僕が触れたのは頬ではなく唇だった。


そのままグッと腰を抱き寄せられると、先程の軽い物でない口付けが僕に与えられたのだった。嘘つき…これ以上しないとか言ったのに。


突然鳴ったノックの音に、僕はビクッと震える。

そして僕はするりと解放された。


なんか、もう…身が持たないよ…

アルさんは、隙あらば触れようとするし。

しかも、僕が口では嫌だと言いながらも、本当は嫌じゃないから…完全には拒絶はしないので...絶対分かってやってるよ…


クロードさんが入って来ても、何事も無かったかのように平然としているアルさんが憎い。

僕は、赤い顔を見られないようにして、御手洗行ってきます!と、その部屋から逃げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る