第52(7)話
「えっ?」
思ってもみない言葉が七海から飛び出した。しかし、驚く俺をよそに彼女は依然として真剣な顔つきを崩さない。
「私、小さい頃にはお兄ちゃんがいたんだ。いつも私と遊んでくれて、優しかったお兄ちゃんが。もちろん、お兄ちゃんも魔導師だった。一時期は優しすぎて魔導と距離を置いていたけど、魔導を使わせたら家族の中で一番強かった。そんなお兄ちゃんが私は大好きだった」
七海の口から出る言葉は全て過去形だった。そんな彼女の口調からそのお兄ちゃんの今を理解してしまう。
何も言葉を発することができず、ただただ彼女の口から出てくる言葉を聞き続ける。
「でも、怪異との戦闘でお兄ちゃんは死んでしまった。お兄ちゃんの恋人と一緒に。それもまだ小さかった私を守ろうとして。今でもその時のことは鮮明に覚えている。お兄ちゃんがどんどん冷たくなっていって、お兄ちゃんが次第に動かなくなっていった。いっぱい泣いた。お兄ちゃんともう会えないんだって思うと怖かった。いっぱい自分を責めた。もっと自分に力があればお兄ちゃんを死なせずに済んだのにって」
七海の言葉が、その時の感情が次から次へと零れだしてくる。目を瞑るだけで、幼い七海の泣いている姿が瞼の裏に浮かんでくる。
七海は言葉を続ける。
「そして何より、私はいっぱい怪異を憎んだ。私の大好きなお兄ちゃんを殺した悪魔を。それからの私は魔導の練習をたくさんして、怪異を片っ端から狩りまくった。少しでもお兄ちゃんの仇を取るために」
彼女の言う通り、大好きな兄を失ってからの彼女はたくさん魔導を練習して、怪異を狩り続けていたのだろう。それはもう、ひたすらに、がむしゃらに。
間近で見てきた彼女のあの動き、あの魔導がそのことを物語っていた。
「それでね、そのお兄ちゃんを殺した怪異ってのが――――吸血鬼、だったんだ」
「っっ⁈」
肩が震えた。
「まさか、昨日のあいつが七海のお兄さんを殺したっていうのか?」
しかし、七海は首を左右に振った。
「……分からない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、あいつが吸血鬼だって分かったときには体が勝手に動いていた。他の何も考えられなかった」
「……」
言葉が出てこない。
俺は肉親や友達など自分に近い人を殺された経験がない。でも、彼女と同じ立場で、もしあそこにいたら、自分も彼女と同じ行動をとっていたんではないか。そうじゃないとは決して言い切れない。だったら、あのときの彼女の行動を責めるなんてこと、できるわけがない。
「昨日の私は冷静さを欠いていた。ごめん、迷惑をかけたよね」
「いいや、迷惑なんて……」
たしかに彼女の言動には戸惑った。しかし、被害者の女性はすぐに救急車に運ばれて一命をとりとめることができた。だから、結果的には問題がなかったと言えるだろう。
でも、彼女的にはたぶんそうじゃない。助かった、助からなかったではなく、自分が助けるべき人を助けなかった、その事実が重くのしかかっているのだろう。
「それと、もう一つ、謝らせて。ごめん、私、桂君を私怨に付き合わせてしまった。私の復讐に巻き込んでしまった。……だからね、――――もうこんな復讐に囚われた醜い私に関わらない方がいいよ」
そう言うと、七海が自嘲気味に笑う。その笑みは、今まで見たことないほど寂しそうで、悲しい笑みだった。
おそらく彼女自身、最初から罪悪感を覚えていたのだろう。復讐という自分勝手な目標に他人を付き合わせていることに、それも命の危険すらある怪異の討伐に。
その罪悪感が昨日の出来事でより大きくなったのだ。それで今、自分の過去を、本音を、弱い部分を曝け出し、俺がこれ以上、怪異と関わらなくてもいいように遠ざけようとしてくれている。
「……」
己自身に問いかける。
七海は、半分は復讐のために怪異を討伐していると言った。たしかに人々を助けるとか、弱い人たちを守るとか、そんな高尚な理由ではない。
でも、自分が彼女に協力させてほしい、と言った理由はなんだったか。
怪異の犠牲になっている人を見捨てたくなかったから?
それもある。
あの廃校舎で何もしようとしなかった自分に腹が立ったから?
当然それもある。
でも、一番は――――
鵺に囲まれて怪我をしながらも、自分を逃がそうとした彼女の背中を思い出す。
――――そうだ、彼女を助けたい、と強く思ったからだ。
だとしたら、彼女に告げる言葉は決まっている。
俺はベンチから徐に立ち上がり、七海の前に移動する。七海は何事かと目を見開いて驚いていた。
七海の前に移動すると、その場にしゃがみ、じっと彼女の瞳を見つめた。彼女のこげ茶色の瞳には、真剣な顔をした自分の姿が映っている。
「七海は醜くない。俺が見てきた七海はいつも眩しくて、凛々しくて、いろんな人のために動いていた。俺もその中の一人だ。七海に二回も命を救ってもらった。たしかに七海は、復讐のために怪異と戦っていたのかもしれない。でも、俺にとって七海はヒーローで、ただただ尊敬の対象だった。そして同時に、七海のために何か出来ることをしたいって思った。あの廃校舎で傷ついている七海を見て、もうこれ以上、七海が傷ついてほしくないって思った。だから、俺は、これからも七海について行きたい。まだまだ足手まといだけど、七海の近くで自分に出来ることをしたいんだ」
自分の思いの丈を彼女にぶつける。
彼女にそんな寂しそうな顔をしてほしくなかった。彼女にそんな悲しみに暮れた顔を浮かべてほしくなかった。
言い終えてからも俺は彼女から目を離そうとはしなかった。絶対に彼女と離れない、離すわけがない、そう彼女に伝わるように。
すると、
「――――ぷっ、あはは……」
口元に手を置き、七海が吹きだす。学園以外で七海が笑うのを見たのはこれで二度目だ。
「はは……、桂君って、思っていたより変な人なんだね」
「うっ、変な人はないだろ……」
ついさっき自分の言った言葉を思い返してみれば、なかなかに恥ずかしいことを言った気がする。でも、そんなことはどうだっていい。彼女が笑ってくれるなら、こんなの安いものだ。
「ごめん、ごめん……、でも、ありがとう。こんな私に協力してくれるって言ってくれて」
七海は目元を拭う。
「こんなは余計だろ? 俺の憧れを汚すなよ」
「はは、そうだったね。それじゃあ、――――これからもよろしく」
七海が右手を差し出す。
「――――ああ、こちらこそ」
そう言って、俺は七海のその小さな手を握りしめたのだった。
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