第9話 共に来い

「せ、星弥せいや、苦しい、です」

 

「わっ、ごめんね」

 

 鈴心すずねの訴えにようやく腕を緩めた星弥は改めて鈴心に向き直る。

 

「すずちゃんが兄さんのことも疑ってるのはちょっと寂しいけど、わたしは兄さんのことは信じてる。お祖父様の言いなりだとしても、少しでもすずちゃんに良い様にしてくれる──すずちゃんに酷いことはしないって」

 

「私もそう信じたい、です」

 

「うん!」

 

 満足気に笑う星弥に、ほっとした安堵の表情を向ける鈴心。そんな二人の雰囲気に、ニヤニヤしながらはるかは聞いた。

 

「──で、リン? この期に及んで、抜ける、なんて言わないよね?」

 

 すると鈴心はまた真剣な顔をして永に向き直る。

 

「ハル様、私がこのままここにいれば、少なくともいつもよりは長生きできるんですよ? なのに、今回もまた戦うんですか?」


 

   

 最終確認だ。

 過去に何度もこんなやり取りをしてきた。その度におれ達は前を向くしかない。


 

 

「お前の犠牲の上に成り立つ命など無意味だ。おれは、お前もライも、おれ自身も救ってみせる。リン、共に来い」

 

 ライとリンが左右にいてくれれば何だってできる。はなぶさ治親はるちかはそれだけをよすがに長い時を生きてきた。

 

 永は朗々と語り、鈴心に手を差し伸べる。その手の前に跪いて鈴心は短く答えた。

 

「──御意」

 

 永がにっこりと笑う。その姿は自信に満ちた主君然としていて、蕾生らいおは誇らしい気持ちになった。

 

「たまに出るのは、英治親の口調なんだな」

 

「えー? やだあ、なんか恥ずかしいなあ!」

 

 蕾生の言葉にヘラヘラ照れる様はよく知る永のもので、蕾生もやっと安心することができた。

 

「さあ、これでやっとスタート地点だ」

 

「そうだな」

 

 永と蕾生の言葉に鈴心が黙って頷く。こんな空気感は初めてのはずなのに、いつも通りの様な気もしてなんだかくすぐったかった。


 

  

「あのー、まさかこれでわたしはお役御免じゃないよね?」

 

 めでたしめでたしの雰囲気を打ち破るように、星弥が手を挙げて言う。もちろんにっこりと笑って。

 

「え?」

 

 永が肩を少し震わせると、星弥は笑顔を崩さずに続けた。

 

「ここまで関わっておいてさよならなんて言われたら、ショックでお祖父様に泣きついちゃうかも?」

 

「えーっと……」

 

 にこやかな脅しに永がどう答えたものかと考えていると、横から鈴心が口を挟む。

 

「ハル様、星弥は知り過ぎました。かくなる上は味方にするか殺すかですが、たとえハル様の命令でも星弥を殺すことはできません。しかし、主の命に背くことは死を意味──」

 

「しないよ、そんな命令! わーかった、わかりました! 銀騎さんとは中立の同盟が既に結ばれてるから、今後もそれを継続する! それでいいよね!」

 

 まさか鈴心まで脅してくるとは思わなかった永は、それに好意を感じつつ、元からそのつもりだった考えをわざと今決めたかのように言った。

 

「うん。これからもいい距離感でよろしくね!」

 

 満足気に笑う星弥。それを見て蕾生も考えを述べる。

 

「まあ、いつもと違う人間が介入したら、なんか変わるかもな」

 

「いやあ……そういうのは……何というか、前例が結構──なんでもない! わかった! なんとかする!」

 

「さすが永。頼もしいぜ」

 

 なんだかごちゃごちゃ言ったことは蕾生は聞かなかったことにした。これが吉と出るか凶と出るか、それは永次第だ。

 たとえ凶になっても、自分が体を張って永を守ればいいのだから。

 

「ハル様、お察しします」

 

 星弥の性格を知り尽くしている鈴心だけが、永のこれからに思いを馳せることができた。案の定、永はもうすでに疲れた顔をしている。

 なんだかドタバタしてきた頃、突然部屋のドアをノックする音がして、四人は一斉に驚いた。



 

「──お嬢様、よろしいですか?」

 

「あ、はーい。なあに?」

 

 弾かれたように早足で扉まで歩いた星弥が鍵を開けると、控えめな態度で家政婦が顔を覗かせる。

 

「あの……皓矢こうや様がそろそろお戻りになるそうで、ご友人方にはお帰りいただくようにと奥様が……」

 

「え? じゃあ兄さんと夕食が食べられるの? すごい!」

 

 星弥の声がみるみる弾んでいく。鈴心は二人に小声で囁いた。

 

「ハル様、ライ。今日はここまでに願います。また日を改めて」

 

「そうだな」

 

 永も小声で承諾し、蕾生も頷く。それから永はとぼけた声音で星弥に話しかけた。

 

銀騎しらきさん、じゃあ僕らそろそろ帰るよ」

 

 それを聞くと、家政婦は何も言わずにそそくさと部屋から離れていった。

 

「あ、ごめんね?」

 

「ううん、数学の答え合わせは明日学校で」

 

「そうだね」

 

 蕾生も一切開かなかった鞄を持って言う。

 

「じゃあ、また明日な」

 

「うん」

 

 そうして永と蕾生は屋敷を後にした。星弥と鈴心が揃って見送る。いつの間にか雨は止み、元の曇り空に戻っていた。

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