ループ中の不遇令嬢は三分間で荷造りをする

矢口愛留

第1話 四度目の三分間



 アンリエッタ・ベルモンドには、三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは、この部屋にあるありったけの荷物をトランクに詰めることだ。


 アンリエッタは、今この瞬間からちょうど三分後に何が起こるか、知っている。

 なぜなら、アンリエッタは、死を迎えるたびにこの時間へのループを繰り返しているからだ。今回は、三回目のループ……すなわち、四度目の三分間だ。


「わかってはいたけど、またこの時間に戻ってきたのね。急がなきゃ」


 選ぶ必要もないほどスカスカのクローゼットから、衣服を全てひっ掴む。

 穴を開けた枕の中に詰めて隠し持っていたのは、少しのお金と、母の形見の指輪。それを服で包み、トランクの中に押し込んで蓋をした。


 必要最低限……しかし、アンリエッタが持っていたほとんど全ての品物をトランクの中に収め終わったところで、彼女は部屋の窓を開け、トランクを下の草むらに投げ捨てる。こうすることで、ここを追い出された後に荷物を回収できると気付いたのは、前回のループの時だった。


 最初のループ前は何の準備もなく放り出され、二度目の時はポケットの中に貴重品だけ入れたのだが、家を出される前に気付かれ取り上げられてしまった。三度目の時は、トランクを下に投げたものの、回収しに戻ることができなかった。


 しかし、前回のループで一度経験したためだろう、今回は、数十秒もの余裕を持って荷造りを終えることができたのだ。


「まだ少し時間がある。今回は、先に逃げさせていただくわ!」


 日も暮れて夜も深まっている。こちらを気にしている者は、さっと見渡す限り、誰もいない。


 アンリエッタは、開けた窓に身を乗り出し、躊躇なくひらりと窓枠を越えた。ドレスワンピースに土が付くのも厭わず、綺麗に受け身をとって着地する。

 この受け身の取り方は、ループ前から染みついていた技能だ。何度も地べたに這いつくばっているうちに、痛くない転び方を自然と身につけていた。


 急いでトランクを引っ掴み、アンリエッタは素早く窓の下から離れ、暗がりに潜んだ。もちろん、門番に見つかるとまずいので、正面からは出られない。

 樹木の陰に隠れてトランクを塀の上へ投げると、自身も樹木をよじ登って、塀の上へひらりと着地した。アンリエッタは昔から木登りが得意だったし、トランクはほぼ空で、見た目に反して軽いため簡単に持ち上がった。

 ただし、この塀は外からは登ることができない。そのため、前回のループでは中に侵入して荷物を回収することができなかった。だが、内側からならこうして樹木を使って塀に上がることができる。


「よし、脱出成功……おっと、今出て行ったら危ないわね」


 アンリエッタが木の枝から塀の上に飛び乗ったその時、ちょうど二階の窓が開いた。アンリエッタの義姉、マリアンヌだ。

 マリアンヌは窓の下をキョロキョロと見回すが、木の陰にうまく身を隠しているアンリエッタのことは見つけられなかったらしい。

 そのまま窓は音を立てて閉まり、カーテンが引かれた。


「……今度こそ、私は自由になる。今度こそ、生きるのよ」


 アンリエッタは、最後に屋敷を一瞥すると、寂しさを振り払って、塀から外へと飛び降りた。



 ベルモンド侯爵家は、建国時から王家に仕えてきた、由緒正しい家柄の貴族である。

 アンリエッタはベルモンド侯爵家の唯一の息女として、蝶よ花よと育てられてきた。父親はあまり子育てに興味がないようだったが、母親や使用人たちの愛情を一身に受けて、素直で純真な令嬢に育った。


 また、アンリエッタの母親は隣国の王家に連なる家系から嫁いできた、生粋のお嬢様だった。彼女に完璧な礼儀作法と、隣国の言葉や文化を教えてくれたのは、アンリエッタの母親だ。


 更に恵まれたことに、アンリエッタは、誰もが羨む美貌を持っていた。

 ルビーのような紅い髪と、エメラルドの瞳。白磁の肌はシミ一つなく透明感があり、頭からつま先に至るまで、その全ての行動に、気品が溢れる。


 美しく気高いアンリエッタと、王太子エドワードとの婚約が決まったのは、七年ほど前――アンリエッタとエドワードが共に十歳の時だった。

 この婚約は大国である隣国の王家との関係性を重んじた結果だが、十歳にして誰もが見惚れるほどの美貌と気品を兼ね備えるアンリエッタと、輝く金髪にサファイアの瞳を持つ秀麗な王太子――二人が並ぶと、まさに絵物語から飛び出してきたかのように、場が華やいだ。


 純真なアンリエッタは、苦しいはずの王太子妃教育にも、「新しいことを学べる」と嬉々として励んだ。

 アンリエッタはこの時、何不自由なく、輝きに満ちた世界を謳歌していた。



 ――アンリエッタの世界に影が差したのは、五年前のことだった。


 母親が、病気で亡くなったのだ。


 当時十二歳だったアンリエッタは悲嘆に暮れていたが、父親はそうでもなかったらしい。


 アンリエッタの父、ベルモンド侯爵が後妻を屋敷に連れてきたのは、なんと喪が明けた翌日のことだった。

 それも、信じられないことに、その後妻のお腹はすっかり膨らんでいる。

 おそらくアンリエッタの母が生きていた頃から妊娠していたのだろうと思うが、アンリエッタは考えないようにした。


 また、後妻には連れ子が一人いた。アンリエッタには、突然、同い年の姉ができた。

 義姉となったマリアンヌは、義母と同じ茶色の髪と、何故かアンリエッタやベルモンド侯爵とよく似たエメラルドの瞳を持っていた。マリアンヌは、美人のアンリエッタと違って、庇護欲を誘うような可愛らしい顔立ちである。

 マリアンヌは、目の色だけでなく、鼻の形もベルモンド侯爵とそっくりだった。だが、アンリエッタはやはり気付かなかったふりをした。


 明るく輝きに満ちていたベルモンド侯爵家が変わってしまったのは、それからだった――。



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 お読みくださりありがとうございます!

 KAC「長編への道のり賞」一万字目指して執筆します。

 続きは書き上がり次第上げていきます。途中で迷子になったらごめんなさい(笑)

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