第23話
一人で外食をする気にもなれず、といって宿の食事は申し込んでなかったから、コンビニでお弁当を買った。地方都市に来ようとも、コンビニで売っているお弁当は、見飽きたものばかりだ。
唐揚げ弁当を入れたビニール袋を下げて宿に戻ると、ひそかさんが、フロントとおぼしきカウンターの向こうで、俯いているのが見えた。
「やあ、おかえりなさい」
湯上りなのか、昼間くしゃくしゃだった髪は落ち着いていて、首にタオルを巻いている。
「どうでしたか? うまくいきました?」
眼鏡と手にしていたピンセットを置いてから、訊いてきた。今日はやけにピンセットを目にする日だ。川名さんところのおじいさんも、ピンセットを持っていたっけ。
宿は騒がしかった。一階の奥にある食堂から、笑い声が聞こえる。今日は満室なのだ。
「駄目でした。ぜ~んぜん駄目」
ひまりは早口で返した。さっさと部屋に行かないと、この前の謎の続きをきかされたらたまらない。
「あの、今日のわたしの部屋は」
すると、ひそかさんは瞬間ピンセットを動かすのをやめ、それからきまり悪そうにひまりを見上げた。
「一階ですか? それとも二階?」
「二階ですが。今日は、ほんとに満室で。でも、阿良々木さんを断るのは忍びなくて」
聞き取れないほどの声で続ける。
変人なだけじゃなくて、この人は気も小さいんだろうか。
そう思ったのも束の間、ひそかさんが爆弾発言をした。
「例の、使っていなかった部屋。あそこに泊まっていただきます」
「は?」
「だいじょうぶ。使っていなかったといっても、いつも風は通してありますし、掃除もしています。何の問題も」
「問題ないはずないでしょ!」
ひまりは泣きたくなった。夜中になると、変な物音がするという部屋。そんな場所に泊まれるはずない。
といって、今から、別の宿を探すのは無理だ。もちろん、相部屋も無理。国体のために泊まりに来ている青年たちと同じ部屋で眠るわけにはいかない。
「やだ、やだ、どうしよう。無理、無理、絶対無理」
カウンターの向こうから、ひそかさんがひまりのスーツケースを運んできた。
「考えようによっては、ちょうどいいじゃないですか。泊まって、是非、あの部屋の謎を解いてください」
階段を上るひそかさんの後ろ姿を呆然と見つめながら、ひまりは決意した。
何か不審な物音がしたら、すぐさま、布団を廊下に出そう。
ひまりは二階へ上がって行った。
風を通して、掃除もしていると言ったひそかさんの言葉は本当だったらしい。
問題の部屋は、特に変わったところはなかった。間取りも前回泊まった部屋とほぼ同じで、畳や壁は、使っていない分、前回よりはきれいだと言えた。
「もし何かあったら、すぐに呼んでくださいね」
何かなんて、あるはずない!
布団を被って、ひまりは横になった。
なかなか眠気は訪れてくれない。隣の部屋も騒がしかった。四人で泊まっているらしい青年たちの笑い声が、波のように盛り上がる。
十一時過ぎ、ようやく静かになった。
これでやっと眠れる。そう思ったのも束の間、今度は静寂が気になってきた。
物音がしないのだ。
町が静かすぎる。東京の練馬の家では、通りの車の音が途絶える時間はないし、幹線道路を行くサイレンの音もめずらしくない。
それがどうだ。地方都市とはいえ、町の中心部であるはずなのに、野中の一軒家のような静寂が建物を包んでいる。
かえって目が冴えてしまった。布団の端から顔を出して、天井を見上げる。
窓からの薄い光に、天井の板の模様が浮かび上がっている。
そのとき、部屋の入口の麩に、何かが当たる音がした。ズズッと、人がもたれるような音だ。
誰かいる。
ひまりは息を殺し、様子をうかがった。
入口の麩が、わずかに動いた。それから襖はゆっくりと引かれていく。
開いた襖(ふすま)の間に、なにか、誰か……。
「きゃああ」
起き上がって、窓のほうへ後ずさった。その間に、影はこちらに向かってくる。ひまりは目を閉じた。怖くて、目を開けられない。
ドドドッと階段を上ってくる音がして、パッと部屋の明かりが点けられた。
「ヨシさんじゃないか!」
やって来たひそかさんの叫び声に、ひまりはようやく目を開けた。
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